第74話:『古雅の帰服』と『大悟の俯仰』
「それじゃあ気付くべきで気付いてないのは、舞人と惟花だけっていうことか」
「でもあの子たちは愚鈍じゃないわよ? 惟花はもちろんだけど、舞人もね?」
「じゃあまだ幼いんだろ、舞人と惟花はね」
友秋くんはチョコチップクッキーの封を、横に裂きます。びりっと。
舞人は甘い物が好きでした。
未だに舞人は、チョコチップクッキーを愛食しているんでしょうか?
……でも舞人が、クッキーを食べていない姿を想像できないよなぁ……。
友秋くんが両頬を上げてしまう中で――、
「――友秋。お前は、俺たちの味方だろ?」
怜志くんがいつにないほど心血が注がれた眼差しを、送り込んでくれました。
「それはわからないよ。お前たちの考え方によっては、敵になることだってある」
「――じゃあお前は、誰の味方をするつもりなんだ?」
「いわなくてもわかるだろ?」
「じゃあ俺たちが敵対する必要なんてない。味方であるべきだ」
「それは無理だ。あくまでもあいつの望みを叶えるなら、敵になるかもしれない」
「――あの人のためだけに、今度こそ世界の全てを壊してあげようってこと?」
「少なくとも俺はそう思っている。――それがあいつが最後に抱いた望みならな」
「でもそんなのは本当のあいつの望みじゃないだろ。確かにあいつもそういう結末を望んだなのかもしれない。でも今ならあいつの望みを叶えるための――別の可能性だってあるはずだ。それでたぶんそれこそがあいつにとっては。本当の望みだよ。あいつが望むのは、いつだって同じだったはずだ。自分の愛する家族を守りたいだけだよ。――だからお前は許せないだけだ。あいつを殺した世界をな」
怜志くんは明哲でした。彼が空気に触れさせた言葉は、全て図星なんでしょう。
友秋くんだって、どうして親友が世界を壊そうとしたのかは、気付いています。
ただ愛する家族を守りたかっただけしょう。
しかし今は世界を壊さなくても、彼の家族を守れる未来に望みがあります。
だからそれがベストなはずなのに、ベターな世界破壊を望む自分がいました。
友秋くんは親友のことを愛しているからこそ、恐怖があるのです。
今は最善の選択しても、将来的にはまた彼のことを傷つけてしまうのではと。
それならもう何もなき虚無の世界を作り出すのが、1つの答えのはずなのです。
「友秋」
「なんだよ」
「力を貸してくれ。この通りだ」
友秋くんは思います。
むしろ怜志くんのほうこそ、この世界に対しては制裁を加えるべきなのだと。
こんな世界のせいで彼は、自分の大切な物を幾度も失ってしまったのですから。
それでも怜志くんは、こんな世界を救おうとします。
「自分の兄」と「兄の婚約者」と、「2人の愛の結晶」のためにでしょう。
当たり前のように幸せな家族生活を、怜志くんは3人にさせてあげたいのです。
世界を再構築した後に綻びが現われようと、ただ3人の幸せを望むのでしょう。
怜志くんも友秋くんも願っているのは、思い人の幸せだけです。
未来に光りがみえているかみえてないかが、お互いの差なんでしょう。
「やめろ、怜志。お前が頭を下げる必要なんてない。今すぐに上げてくれ」
「じゃあ私が下げるわ。むしろ今は私のほうが下げるべきだから」
「やめろよ、静空も。お前たち2人が頭を下げる必要なんてどこにもない。――そもそも俺たちは友達だろ? じゃあそんな顔で頭を下げるのなんて、反則だ」
「なら舞人と惟花に全てを話して、あの2人から頭を下げられればいいのか?」
「そういう事をいっているんじゃないよ、俺は。――それにそもそもあの2人に必要以上の動揺を与えるのは危険だ。舞人はもちろん惟花がどれだけの力を持っていると思っている? あの2人が力を合わせれば、世界は灰色にもなりかねない」
苛立っているとは、自分の頭でも理解できました。
しかし自分は何に対して、こんなにも苛立っているのでしょう?
親友を殺した世界でしょうか?
親友の大切なものを何1つ守れなかった、自分自身に対してでしょうか?
それとも親友への誤解を抱き、彼を嫌悪する青年に対してでしょうか?
わかりません。わかりません。わかりません。
空虚が胸を貫くのみです。
「俺たちだってお前の気持ちはわかるよ。確かに舞人のことは憎いだろ。でも舞人の気持ちだってわかってやれ。舞人は何も間違ってないよ。間違っているとしたら――この世界だけだ。なのにお前まで舞人のことを憎んで――何になる?」
「別に俺は舞人のことを憎んでなんていないよ」
「本当に憎んでいたら、ずっと前に殺しちゃえばいいだけだもんね?」
さすがに静空ちゃんの言葉も外面自体は、戯れがありました。
でもその戯れの奥にある明確な覚悟を、鼓膜ではなく肌で感じます。
舞人に危害を及ぼす存在がいるのなら、理性なんて切り捨てる覚悟でした。
あの時の張り手はまだ舞人にも悪気があったので咎めませんが、何か友秋くんにも悪い面があったりしたら、静空ちゃんは遠慮なく報復してきたのでしょう。
静空ちゃんも怜志くんと同じく、舞人のことが可愛くて仕方がないようです。
2人とも舞人のことを、自分の”子供”のように思っているのかもしれません。
「どのみちこの世界を救うためには、お前の力が必要なんだ。お前が最後まで舞人の味方をしてくれない限り――本当の意味で俺たちはあいつを救えないと思う」
「もちろん俺は舞人の味方だよ」
「――最後の最後まで、舞人の味方をできるのか?」
一世一代の決断を強いるような声色を、怜志くんは押し当ててきました。
友秋くんも2人と友達だからこそ、無責任な発言はできません。
「大きくなったよな、舞人。すごく久しぶりに会ったけどさ。しかもいつのまにか、あいつとそっくりになってるんだ。何かの手違えで蘇ったのかと思ったよ」
「いつも一緒にいるとそう感じないけど、遠くからみると――そう感じるのよね」
「でも俺たちはいつも舞人と一緒にいたからこそ、内面の成長だけは誰よりもみてきたよ。――惟花はもちろんだけど、瑞葉や奈季も付きっ切りで舞人を育ててくれていたからな。お前だってそれが誰のためなのかは、わかっているんだろ?」
「……あいつらは馬鹿なんだろ。でもそういう馬鹿は俺は嫌いじゃないけどな」
図らずもここでお昼頃の舞人と今の友秋くんの台詞が、重なりました。
怜志くんは宙へと、微笑みを刻みます。
そんな中で怜志くんの記憶の水面から、ぱちんっと水泡が弾けました。
「そういえば夢に出たか――友秋は?」
長嘆したくなるほどに抽象的な表現ですが、この面子には十分すぎます。
「――出たのか、怜志と静空の中には?」
怜志くんの問いかけに友秋くんは、即答するほどの「嬉しさ」をみせました。




