第67話:『相承の艶種』と『門外の雪隠』
……やっぱり思い出せません……。
……それにわたくしが、10歳頃から付けている日記にもかいていない……。
……どうして風歌とわたくしとの思い出が、全て消されているんでしょう……。
時刻は午後9時ほどでしょうか?
さすがにいつまでも子供たちと交流をしているわけにもいかないので、桜雪ちゃんたちは彼ら彼女とバイバイをして、本拠地である大聖堂まで戻ってきました。
望むと望まざるに関わらず、氷点下になりかけの冷気が包む外界へと身を差し出すことになりましたが、さほど不快感はありません。ほっかいろ代わりの美夢ちゃんが右隣を歩いてくれているのはもちろん、建物と建物の間から夜空を仰いだだけで、いっさいの陰りない絵画のような星空が視界の全てを覆ったからです。
いかにも田舎の冬らしい、神懸り的に美しい星空でした。
ただ天を仰ぐだけで、ロマンチックな気分になってしまいます。
でもそんな中で、どこぞやのお兄様は――、
「惟花さん。惟花さんはあの満天の星空よりも美しいよ」
なんてことをキメ顔でいい、それでなくても氷点下に近い気温を急降下させるようなことをしていたので、桜雪ちゃんの気分はどん底にまで落ち込みましたが。
そんな桜雪ちゃんたちの大聖堂の中での待機所は、《瑞葉くんの執務室》です。
でも別にそれは、自分たちの部屋がすぐ上にあるから都合がいいからではなく、有事の際の瑞葉くんもそこで連絡を受け持っていたことでの、設備の利便さでした。
本来はそこに立ち入れる人は限られているので、お化け青年なんて論外です。
閉口をしたくなるほどの彼の図々しさが、規則を破らせたということでした。
そんなお化け青年も、先ほど舞人たちが一端そこを離れる旨を、伝えると――、
「そうですか。では私も少しだけ所要を済ませてきますね。――何事もなければ、皆さんが帰ってきてくれている頃にはまた戻ってきますので、ご心配はなく」
なんて辟易することを笑顔で伝えてくれたあと、彼も執務室を離れました。
しかし桜雪ちゃんは思ってしまいます。
あの青年のことだから「扉の鍵」なんてものはものともせずに、実は自分たちよりも先に部屋に帰っていて、ソファーの後ろ辺りに隠れているんではないかと。
考えてみればみるほど、その空想は現実味を帯びました。
でも実際のところお化け青年の姿は、どこにも見当たりません。
真紅の扉を開けて、《不吉なものをお祓いする》という意味から暖房と照明を点灯させ続けていた執務室の中に入っても人影は見当たりませんし、ソファーの後ろやグランドピアノの陰にも――彼はいなかったのです。お化け青年がいないからといってがっかりはしませんが、だからといってせいせいもしませんでした。
扉の開け閉めを請け負った桜雪ちゃんは、最後尾にいた舞人と冬音ちゃんが執務室の中へと入ることを確認したあとに、ゆっくりと扉を閉めていきます。
「お父様とお母様! わたしと一緒にお風呂に入りましょう!」
執務室に入った冬音ちゃんは開口一番に、舞人と惟花さんにこうねだりました。
「うんっ。いいよ冬音ちゃん。じゃあ一緒に入ろうか?」
舞人自身も冬音ちゃんの頭を、いい子いい子と撫でてあげています。
でも別に舞人は車椅子姿の冬音ちゃんに負い目があるわけではなく、冬音ちゃんと一緒にお風呂に入ることは珍しくもありません。舞人のことが大好きな冬音ちゃんは、「一緒にお風呂に入りましょう!」と、いつも舞人を引っ張っていましたし。
冬音ちゃんにお願いされた双子の智夏ちゃんも一緒に入ってあげるようですが、さすがに惟花さんまでは一緒に入れません。普段なら何も問題ありませんが、さすがに今はこの面子の半分以上がお風呂に入っていたら、指揮系統に乱れが生じますし。桜雪ちゃんと美夢ちゃんと惟花さんは、執務室で待機することになりました。
舞人は無駄に爽やかな感じで――、
「じゃあおやすみなさい、みなさん!」
ちゃっかりと眠っていいはずがないのに、勝手におやすみなさいの合図をすると、冬音ちゃんをお姫様抱っこしたまま、意気揚々と螺旋階段を駆け上がりました。
この上にある桜雪ちゃんたちの部屋が、《H》状のような形に並んでいることは前述をしましたが、その《H》状になっている上部のくぼみに、大浴場はあったので、冬音ちゃんを抱きかかえる舞人は、そこへと向かったのでしょう。
もちろんそこには男女別の浴場があり、更衣室も男女別ですが、冬音ちゃんのこともあって基本的に舞人は、女性の脱衣所と女性の浴場を使っていました。
自分の陰部を女性器に変え、おっぱいも大きくし、黒髪も長くしたあと――、
「もうわたしも心も体も女の子だから、セーフですよっ!」
なんてことを本気でいうのですから、桜雪ちゃんたちも呆れるばかりでした。
しかしアホのお兄様が近くにいないとなると、惟花さんだって入浴時に安心できませんし、舞人の少女風呂侵入は、どうしても認めざるおえなかったのでしょう。
すでに諦めたのか智夏ちゃんも特別に嫌がったりはしませんが、舞人や冬音ちゃんが脱衣してくる時に抱きついたりしてくるのは、さすがに嫌がっていました。
今回も先に脱衣所で着替え、より早くお風呂に入ってしまおうとします。
でもそんな智夏ちゃんを逃がさないように――、
「急ぎましょう、お父様! 智夏の生おっぱいに、触れなくなってしまいます!」
「了解したでござるよ、冬音様! お風呂に入る前の女の子のおっぱいの肌触りは、拙者も何よりも大好物でござる! ――智夏様! 待つでござるよ、智夏様!」
と馬鹿親子が、追跡していったので――、
脱衣所で智夏ちゃんに顎を蹴り飛ばされる父親の姿が、容易に想像できました。
舞人が女の子のお風呂に入る中で、瑞葉くんは1つだけ備えてある露天風呂に真冬でも入り続ける変人さんでしたし、奈季くんに至っては広い男子浴場を独り占めできて快適状態だったので、ある意味ではみんな幸せだったのかもしれません。
しかしあの瑞葉くんが舞人を放っておくはずがなく、時にはお願いされて露天風呂へと一緒にいく中で、奈季くんが占有する男風呂にも舞人は領域侵犯して――、
「おう。遅いな、奈季。先に温めておいたぞ」
「なんなんだよ舞人、温めるって。そこはかとなく気持ち悪いな。――風呂の温度は、いくらお前だって上げられねえだろ。冗談は顔だけにしておけよな」
「いやっ。温かめのおしっこをしたからそれなりには――」
「ふざけんな、舞人! 風呂の中でおしっこをする奴が、俺は大嫌いなんだよ!」
「お前なぁ、お風呂の中でおしっこも出来ないようなやつが平和を語るのなんて、百年速いんだよ! お風呂でおしっこをすることの節水で、どれだけの命が救えると思ってる! お風呂でおしっこも出来ないくせに平和をうたうのなんて、ただの偽善者だ! 瑞葉をみてみろ! あいつは風呂の中でうんこまでしてるぞ!」
「他の人が風呂に入るってわかってるのに、自分のエゴでおしっこやらうんこやらを平然とするお前たちのその自分本位の考えこそが、争いを呼ぶんだろうが!」
「やめてくれよ、舞人くんと奈季くん! 僕のうんちのことで争うなんて!」
「! なに瑞葉、その恰好! どうして上は服を着ていて、下は全裸なんだよ!」
「舞人くんと奈季くんが喧嘩をしていたから、僕は急いで止めにきたんだよ!」
「普通脱ぐ方が逆だろ! その脱ぎ方はどう考えても、犯罪者予備軍なんだよ!」
「生贄にするな、屑奈季! ぼくをうんち瑞葉の盾にしな――いやぁぁぁぁぁ!」
舞人は幸せ者なのかもしれません。冬音ちゃんや智夏ちゃんはもちろんですが、こうして奈季くんや瑞葉くんにまで、深く慕われていたのですから。舞人のことを敬慕してくれているのは、決して惟花さんだけではないということです。
また舞人のこのような、世の君臨者としてあるべき求心力の高さは――、
《瑞葉くんの信徒たち》や、《異端者たち》にだって当てはまっていました。




