第47話 『凄惨な世』と『魅惑な夢』 ②
「……!」
ドンッと怜志くんが、舞人の左肩を押しました。
少女が《負なる者》として放った刀が、怜志くんの胸元を貫きます。
兄のように慕っていた青年から飛び散る鮮血に、舞人の身体は硬直しました。
しかし時間は止まりません。
黒き刀の少女は怜志くんの息の根を、確実に仕留めようとしました。
刀の亀裂から衝撃波が生み出し―ー、
怜志くんの体を赤黒き粉塵にしようとしたのです。
しかし、いざ少女の刀が黒く輝いて、その攻撃が覚醒する直前に――、
「……!」
雷撃を纏った突風によって、少女が漆黒の刀ごと、視界から消え去りました。
数千の衝撃波は怜志くんの体内ではなく、体外で暴れ狂います。
でも舞人は何もリアクションを起こしません。
自分が何もしなくても、《絶対無敵の守護結界》で守ってもらえたからです。
静空ちゃんでした。
白きロングローブを揺らす静空ちゃんが、背後から現われてくれたのです。
「優しさを履き違えるのはやめなさい、舞人。優しさは自己満足じゃないわよ。―ー神様はそんなことを望んで、私たちに《優しい心》を与えたんじゃないわ」
空想空間を纏う静空ちゃんは、怜志くんのことも軽々しく抱き支えました。
そしてその力で生み出した治癒魔法によって、怜志くんのことを癒します。
当の怜志くんは気にするなよ舞人といわんばかりに、刀を振ってくれました。
それでも舞人の表情は決して浮かばれない中で――、
『静空の言う通りだよ、舞人くん。――神様はわたしたちが《大切な人や物》を愛する(まもる)ためだけに、優しさっていう感情を授けてくれたんだからね? だから優しさの意味は、臨機応変に変わっていくと思う。いろんな場所やいろんな場所で、優しさの定義はあるのかもしれない。――でも、《優しさっていう感情が、いつも誰かに与えるもの》だっていうのは、どんな時も変わらないんじゃないのかな?』
少女がどんな過去を背負っていようと、もうすでにあの娘は助からないのです。
負なる者でいる限り負なる者で苦しむのが、この世界の宿命ですから。
葛藤のうえに舞人は、自身の左腕を縛り続けた良心の鎖を引きちぎりました。
せめてもの慰めに一思いに弔ってあげようと、力強く少女の心臓を刺突します。
舞人に命を奪われた少女の魂は、黒き霞と化し、天国へと登っていきました。
最後の最後で、少女は笑ってくれていたのです。
大切なものを思い出させてくれた舞人に、「ありがとう」と伝えるように。
でも決して舞人の表情からは笑顔が零れません。暗澹たる表情を貫きます。
しかしもう後ろを振り向いてはいけないとは、舞人も実感しました。
ここまできたらみんなの思いを背負い、前に進み続けるしかないのでしょう。
総大将の消失に伴いこのいったいの負なる者も、黒き霧に変化してくれました。
異端者たちから立ち上った歓声が、勝利の光りを掴んだ事を確信させます。
でもなぜか胸の中を巣食っている「嫌な予感」は、消えてくれません。
それどころか先ほどよりも強く速く、舞人の心臓は鼓動をしてしまいました。
まさかと舞人が悪寒を覚えると――、
「……うそだろ……」
案の定としか呼べないような出来事が、舞人の双眸を犯してきました。
負なる者の生誕です。
彼らの復活ではなく彼らの生誕が、目の前で行われてしまったのです。
地面から湧き出る黒い霧は、先ほどよりも倍近い黒き龍人が生み出しました。
この場にいる誰もが「絶望」の二文字によって、押し潰されてしまいます。
舞人たちは自分たちだけが絵画の世界にいるように、動くことができません。
動かぬ得物となった舞人たちを、新たなる負なる者が捉えようとすると――、
「……」
純白の光りが、天から降り注ぎました。
穢れなんていっさいない、うそのように真っ白な光りです。
太陽でも直視したようなまばゆさを、その光りは持っていました。
しかしほかの人はどうあれ少なくとも舞人は、瞳を閉じようと思えません。
この温かくて優しい光りに、自分の全てを預けてみたくなったからです。
《世界の全てを浄化するような光り》が放つ底の知れぬ慈愛は、惟花さんに抱き締められた時の感覚を想起させました。この穏やかな感覚に包まれると――、
「……お母さん……?」
今まで自分がずっと忘れていた面影も、舞人は思い出してしまいます。
舞人がそうつぶやくと、身体を包んでくれていた優しい光りは、微笑んでくれます。それは本当に、たった1人の愛する息子へと母親が愛をみせるように。
『もう大丈夫よ、舞人。ゆっくりとゆっくりとまぶたを開けてごらん』
いわれた通りに舞人がゆっくりとゆっくりと、まぶたを開けてみると――、
「……!」
視界の全てを覆っていた負なる者が、全てが夢だったように消失していました。
本来あるべき黒き霧の姿になって、天国へと魂が上っていっているのです。
青き爆炎までも浄化の光りに鎮火されたのか、どんどん威力を失っていきます。
しかし舞人に訪れる衝撃は、これだけにとどまりません。
人の多さでした。
舞人の瞳に映る人の多さは、負なる者がいた先刻までと変化がなかったのです。
それどころか現在のほうがより多くの「人」が、舞人の瞳には映っていました。




