第45話:『追いすがる過去』と『震え始めた世界』
負なる者自体の被害は、舞人と怜志くんの力で最小限に抑えられていました。
でもそれと反比例してきたのが、青い炎です。
それらが異端者たちの中で、前にも増して猛威を振るっていたのでした。
相も変わらずに青き炎はそれ自体の温度を上昇させ続けているし、道路の上から物理的にぽんぽんと跳ね上がる量も増えています。このランダム攻撃は負なる者に直接攻撃されてしまうよりも、より悪い影響を持っていたかもしれません。
なんでも「みる」ことができるレミナちゃんや、空間を掌握できる静空ちゃんのおかげで事前に探知して避難の指令を出すこともできていましたが、付け焼刃の方法ではそう長くもたないでしょう。誰かが逃げ遅れないように最後まで確認をしてくれているロザリアが、いつかは被害を被ってしまうかもしれません。
一刻でも早く負なる者を排除して、彼らの包囲を解く必要がありました。
『5人だよ舞人くん。あの負なる者のボスさんの護衛は――全員で5人だと思う』
「多いのか少ないのかはわからないけど、今回に限っては面倒かもしれないねぇ」
白き霧の中では逃亡をしても無駄だと悟ったのか、敵の首領もこれ以上は背中を向けません。漆黒の刀剣を両手に携えながら、身体の正面を向けてきました。
一般的な負なる者が羽織っているものよりも、明らかに作りが精巧であるローブを、彼女は身に纏っています。ローブの色は赤や青や白ではなく、当然黒です。
彼女は自分の顔を、黒きベールによって覆ってもいます。
おかげで舞人は、少女のお顔をうかがうことができません。
目の前にあんなものを垂れ下げていて、視界が明瞭なのかは敵ながら疑問を覚えますが、自主的にあんな格好をしているなら、そういう問題はないのでしょう。
少女と体面をした舞人は、予想外の感情を伝達されてしまいました。
恐怖ではなく、喜びです。
舞人の隙をつくためではなく本当に少女は、そんな感情を抱いていたのでした。
偶然か必然か舞人の脳内には、前橋市に入った時に聞こえてきた少年の笑い声も届いてきます。少年はこの世の悪に染まってなお、無邪気に笑い続けました。
少年にも望みがありました。でも難しいことは考えていません。たった1人の自分を愛してくれた少女のために、世界を悲しみで染めようとしているだけです。
それが少年にとっての救いであり、それが人間に対する「愛」なのですから。
『胸の中が暖かい。舞人くんとお揃いのネックレスが暖かくなってるんだ』
という惟花さんの感想は、舞人だって時を同じくして抱いていたものでした。
なぜだかはわかりませんが胸が痛くなって、目頭が熱くなってしまいます。
涙をする要素がどこにあるのかはわかりませんが、涙が出そうになるのです。
心を染めようとする黒い気配を撥ね退けるように、舞人は刀を振るいました。
舞人の狙いは敵の総大将だけですが、彼女の守護者たちは当然阻んできます。
手の平サイズのナイフを右手に持った黒き龍人と、不思議な鏡を右手に持った龍人と、漆黒の刀剣を左手に携えた龍人と、回転式拳銃を両手に抱いた少女と、両肩に天使を象った彫刻を載せる黒き龍人が――交戦体制に入ってきました。
一度に相手にできる人数の許容範囲は超えていますし、能力も不透明です。
でも後手に回れば回るほどどんどん不利になるのは、明確だったでしょう。
護衛者は、「V」の字の陣形を取っていました。
舞人からみて左側から、先ほどの説明順に彼らは並んでいます。
戦法を考慮する余裕はないので、とりあえず舞人は近くの敵から排除します。
一番狙い易い位置にいた黒き龍人は、右手にナイフを持った少女でした。
石畳の上を氷上のように滑り、流れるように白き刀の餌食にしていきます。
しかし舞人がいざ足を踏み出す寸前に、天使のような彫刻が歌い始めました。
黒板を爪で引っ掻く音を音声化したような、深い極まりない歌声が届きます。
全身に鳥肌が立つと、力という力が抜けてしまいました。
舞人が上手く踏み込めないのを理解して、ナイフ少女の右手が疾走します。
首元を狙った一撃でした。
舞人は左腕へと流れる血液の量を増加させて、半ば強引に怪力を発揮させます。
リーチは白き刀のほうが長いので、先に少女の首を二分できるはずでした。
でもいざ舞人の攻撃が届く前に、拳銃少女の発砲によって刀の軌跡が逸れます。
ナイフ使いの少女はそれが予定調和だったように、刃を突き刺してきました。
舞人の喉元へと漆黒の刃が突き刺さります。ぐさりっと。
首が縦にぱっくりと割れてしまうのではと危惧されるほどの、攻撃力でした。
ナイフの柄まで刺さったのです。呼吸なんて当然できません。
白き血は下呂でも漏らすように、口から噴き出して――、
穴が穿たれてしまった喉元からも、同じく噴き出していきます。
全身で悶え苦しむような痛みだというのに、声さえもあげれません。
何かを紡ごうとしても、風邪の時よりも遥かに凄まじい痛みが喉を蝕みます。
しかも喉下に刺されたナイフには、「毒」が縫ってありました。
視界を意図的に真っ暗にする効果がある「毒」です。
気絶する段階でないのに。目の前が真っ暗になってしまいました。
これはさすがにやばいかと思ったところで――、
『舞人くん。舞人くんが受けた痛みを――全てわたしのほうに受け渡していいよ』
『……でも……』
『大丈夫だよ、舞人くん。舞人くんの痛みなら全部わたしが、受け止めるから』
舞人だって快諾はできませんが、今は甘えさせてもらうしかないのも事実です。
天使の歌声と視界のブラック化の効果を、惟花さんへと受け渡しました。
天使の歌声が途切れて白き血が活性化すれば、喉元の傷は瞬く間に完治します。
瞳を追撃しようとしていたナイフ少女の攻撃を頭を下げてかわすと、華麗に左足を踏み込んで放った刀で少女の胴体を切断して、そのまま左足を軸に右足で回し蹴りを放ち、天使の歌声の少女も生命活動を断たせました。頭部を破損させて。
『ごめん、惟花さん。あれならもうぼくが――さっきの痛みを受けてもいいけど?』
『本当に気にしないでよ、舞人くん。舞人くんの痛みだからって、舞人くん1人で受ける必要はないんだから。――でも気をつけたほうがいいよ、舞人くん?』
「うん。あの拳銃はもちろん、特にあの鏡だよね? あれは反転の効果かな?」
惟花さんと話したからといって舞人は、集中力が途切れることはありません。
それどころか逆に感覚が研ぎ澄まされていくのが、舞人という青年です。
『すごーい。わかるの、舞人くん?』
「うん。ぼくの血がそういってる。だったらさっきの天使の歌声も注意しろよって話しだけど――痛いなお前! 半分は冗談だから、勝手に暴れまわるなよ!」
鏡を持つ龍人と拳銃を持つ龍人を、舞人は続けて相手にしました。
左側にみえた鏡を持つ龍人は、《鏡から発する光りを瞳に入れて、人の視界を上下左右反転させ、まるで目が回っているように錯覚させる》ことを行います。
だから舞人は目を瞑って、攻撃を実行しました。
聴覚と嗅覚で鏡使いのことを追えば、後ろに逃亡されたとしても逃がしません。
『うーん。でもこの鬼さんってやっぱり、舞人くんの匂いがするかもしれない』
「! 何よ、惟花さん。惟花さんは、そんな不透明なものの匂いまでわかるの?」
『うんっ。舞人くんのことならわたしは、なんでも知ってるからね?』
「おえーっ! さすがに気持ち悪いな、それは! ――さすがに冗談だよね、惟花さん! 冗談だからそんな気持ち悪いことも、嬉しそうにいえるんだよね?」
『ひどーい、舞人くん! そんな意地悪をいわなくてもいいじゃん! ……わたしは舞人くんの事だからなんでも知ってあげようと、努力しているだけなのにさ』
白き刀を振るった舞人は鏡の龍人も、無事に排除します。
しかしそんな舞人に現われた隙をつくように、今度は拳銃少女が、《衝突と同時に花のように弾丸を開かせ、攻撃力を増強させる銃弾》を放ってきました。
舞人は、それを白き盾で防御します。
そして続けざまに、幻覚としか考えられない速度で、白き刀を放ちました。
銃弾使いの青年の胴を、真っ二つにしてしまいます。
「まぁさっきのも半分は冗談だよ、惟花さん。だからそんなに気にしないで」
『さっきから半分は冗談ばかりいっているけど、残りの半分は何なの、舞人くん?』
「それは惟花さんへの『愛』だよ。惟花さんが気になるからからかっちゃうんだ」
『嬉しい』
こうなるとあと2人でした。ボスの少女と、彼女を守る漆黒刀の龍人です。
拳銃少女を攻撃した舞人の隙を縫うようにして、漆黒の刀が振るわれてきましたが、舞人は間一髪でそれを白刀で受け止めて、返す刀で彼の胸を刺突します。
しかし――、
「……うわぉ。なんだ、これ。この子も硬いなぁ。バカみたいな硬さだ……」
太刀と防具が打ち合うような甲高い音がして、攻撃を弾かれてしまいました。
「でも舞人くんが攻撃すれば、多少は攻撃できたっていう感触がないかな?」
「いやっ。それがまったくないんだよ。手元にまったく捉えた感じがしなかった」
おかしいと思います。これは何かトリックがあるはずです。
舞人は頭では考えずに、刀を打ち付けて、体でそれを感じようとしました。
互いの刀を打ち合わせる中で、青年の体へと5回ほど刀を叩き込むと―ー、
「――足元かな?」
『その通りだね舞人くん? あの人は足元に衝撃を逃がしているのかもしれない』
攻撃を受ける時の青年は必ず、揺れる大地にも両足を付けていました。
この事からまったく損傷なく攻撃を受け続けられている理由も見抜けます。
「ということだよ、怜志。――だからあとは任せたよ」
「もちろんいいよ。舞人の頼みなら、いくらでも任されてやるからな」
回し蹴りを放った舞人は、目の前の青年の身体を、上空へと打ち上げました。
怜志くんの両手から放たれた赤と青の炎が、青年の身体を包み込みます。
そして赤と青の炎が美しく混ざり合わさったあと、それは可憐に咲きました。
「これであとは――あの娘を残すだけか」
偶然か必然かこの時になって、教会と寺院の連合軍も前橋市へと到着します。
セオリー通りでいけば彼らは、舞人たちや異端者たちなんかは見捨てて、自分たちの安全だけを最優先に考え、すぐにこの場を去ってしまうはずでした。
でも今回の彼らは違います。
この場にいる誰もが予想できなかったことを、行ってきたのでした。
教会と寺院の連合軍との出会いは、舞人の運命を大きく揺らがせます。
彼らとの出会いが世界の核心をつくとは、舞人は知りもしませんでしたが。




