第29話:『幸福を運んでくれる少女』と『永遠の愛を教えてくれる少女』
惟花さんでしょう。惟花さんが白きオカリナを吹いてくれているのです。
惟花さんのオカリナの音色にも舞人は慣れ親しんでいるので、こうしてオカリナの音色を聞くだけでも、惟花さんが何を考えているのかわかってしまいました。
鎮魂です。
この戦いで傷付いた龍人や歌い子を慰め鎮めようとしてくれているのでしょう。
そんな惟花さんの心中を慮ると、舞人はなんとも言え無くなってしまいます。
惟花さんの背姿を発見できて微笑みに満ちた表情も、徐々に沈んでいきました。
それでも舞人は惟花さんに声をかけます。寝台から起き上がりながらです。
『……風邪引いちゃうよ、惟花さん。寒くないの?』
惟花さんは寝ている舞人の身体に触れてもらうだけでも五感を補ってもらえるようですし、ろくに体調管理さえできていないとは、舞人だって思っていません。
でもだからといって惟花さんを気にかけないことは、舞人もできませんでした。
『! あっ。だいじょうぶ、舞人くん? ……もしかして起こしちゃったかな?』
「えっ? ううんっ。そういうわけではないよ。ぼくは大丈夫。惟花さんが気を使ってくれたからね。オカリナは問題ないし、身体の調子も問題ないよ。もう特に不快感があったりはしない。――でも、惟花さんこそ何か問題あったりしてない?」
『うん。わたしこそ大丈夫だよ、舞人くん。舞人くんが守ってくれたからね?』
惟花さんは左手のみでオカリナを握ると、空いた右手を使って舞人の右手を握ってきてくれました。暖炉の灯り以外の理由で、頬を赤く染めながらです。
これには舞人も照れてしまいましたが、すぐにその想いも自責へと変わります。
「……でもごめんね、惟花さん?」
『?』
「……なんていうかぼくがもっと頑張れば、この街の人や冬音のことだってなんとでもなったはずなのに――結果的にこんな風にしちゃってさ? 本当にごめん」
惟花さんと繋いでいる舞人の右手は、わずかにですが震えてしまっていました。
大好きな人と話しているのに、当の少女と決して目を合わせることなく俯いて、白き髪で容貌を覆います。今の舞人は、暗澹という二文字を引っさげていました。
そしてそんな舞人に惟花さんがしてくれることは、いつだって同じです。
左手だけで握っていたホワイトオカリナを寝台の上へと置くと、右手で触れていた舞人の右手を両手で握り締め、誰よりも優しい笑顔を向けてくれるのでした。
『そんな顔はやめてよ、舞人くん。舞人くんは何もいけないことはしてないんだもん。舞人くんはみんなを守るために一生懸命になってくれたんでしょ? じゃあそんな舞人くんのことを責めていい権利なんて、誰にもあるはずがないよ。少なくとも舞人くんに感謝をしてくれる人が大勢いる限り、もっと胸を張っても大丈夫だよ? ――それにもしも舞人くんに何か至らないところがあるなら、それはわたしの責任でもあるし、舞人くんが一人で抱え込んじゃう必要はないからね?』
こんな惟花さんにはどんな表情を返せばいいのか、舞人はわかりません。
言葉では形容できないような沈黙が、2人の間に舞い降りてしまいました。
心拍数と気まずさは、時を追うごとに増殖していってしまいます。
そしてそんな中で惟花さんは、両手で握ってくれていた舞人の右手をいったん離すと、とてもゆっくりとそしてとても丁寧に、舞人本人を抱き寄せてくれました。
『それにね、舞人くん? 最後に負なる者たちの相手をしてくれた桜雪ちゃんや美夢ちゃんはもちろんなんともないみたいだし、最後にみんなを指揮してくれた智夏ちゃんや、みんなを守ってくれた怜志くんや静空ちゃんだってやっぱりなんともなくて――実は冬音ちゃんもね、なんとかなるかもしれないんだよ?』
「……!」
『なんていうかロザリアちゃんがね、舞人くんからお金をいっぱいもらったんだけど、やっぱりよく考えたらもらいすぎだから返そうかなぁって思って帰ってきたら、ちょうど舞人くんと瑞葉くんと奈季くんが戦っている時でね、みんなと顔見知りだってこともロザリアちゃんは思い出して、『……! あらぁ。これは超大変だわ。いっぱい仲がよかったみんなで、どうしてか喧嘩をしちゃってるわ。余はみんなとお友達なのに、誰の仲間先生をすればいいんだかわからない』って思っていたら、急に冬音ちゃんが倒れちゃって、『えぇ! これは超大変よ、シェルファちゃん! 早く冬音ちゃんを助けてあげなくちゃ!』って思って、ロザリアちゃんはシェルファちゃんに舞人くんのことを助けてあげるように伝えてくれたあと、ロザリアちゃん自身は冬音ちゃんに自分の白い血を与えてくれてから――そのまま冬音ちゃんを背負って本陣さんのほうまで向かってくれたみたいなの。それで幸いにも静空ちゃんたちに出会えたからなんとかなったのかな? だからまだ冬音ちゃんも目は覚ましてくれてないけど、死んじゃうってことは――なくなったと思うよ?」
惟花さんはなぜか雪色の頭髪になってしまった舞人にも驚くことはなく、優しい手付きで抱き締めてくれながら、予想外すぎる事実を教えてくれるのでした。
表情らしい表情を浮かべていなかった舞人にも、驚きという色が浮かびます。
思わず舞人は、惟花さんの瞳を見返してしまいました。
惟花さんは慈しみに溢れている笑顔のまま、小さく頷いてくれます。
惟花さんの笑顔は、舞人にも伝染しました。
暗かった表情が、徐々に明るくなっていきます。
でもそれと同時に舞人は、なんともいえない気持ちも抱いてしまいました。
金髪碧眼という容姿であるロザリアが未だに差別を受けているのは、舞人にも一因があるのに、ロザリアはいっさい舞人を責めたりせずに、何度も何度も助けてくれているからです。ロザリアがこの街に戻ってきてくれた理由も、舞人にもらったお金を返そうというものだったのだから、頭は真っ白になってしまいます。
一度は晴れかけた舞人の表情でしたが、決して快晴にはなりません。
「……そうなんだ。じゃあロザリアには感謝しないとね。――でもあの子は本当に馬鹿だ。……自分が痛い思いをしてまで、ぼくを助ける必要なんてないのに」
『う~ん。だからそんなことはないんだろうけど、たぶんロザリアちゃんも舞人くんと同じで――困っている人がいたら放っておけないんだろうね? 理屈や信念の問題じゃなくて、ただ困っている人を黙ってみてられないんだよ。そういう点ではロザリアちゃんと舞人くんは、大切なところで似ているのかもしれないよね?』
そんなことだけは絶対にないと舞人は思いました。ロザリアと自分は大切なところで似ているどころか、一番大切なところで違っていると思ったからです。
でもそれを惟花さんに説き伏せても、仕方がないでしょう。
そのまま左肩へとお顔を乗せてきてくれている惟花さんに頭髪を撫でてもらう中で、この世界に来てから経験したことが、まるで映画のように脳裏へと流れます。
まずは何よりも記憶の喪失かもしれません。鬼のような不思議な気配が体内に流れている舞人は、今まで自分が育ててきた記憶を全て失ってしまったのです。忘却をした記憶も人掴みずつは回復出来ていますが、全ての記憶は戻っていません。
そしてやっとの思いで取り戻すことができた記憶だって、様々な齟齬が生じてしまています。どこからどうみてもこの世界に存在をする日本の形は異常なものですし、アメリカなどの外国もないようなのですから。奈季くんやロザリアがいる事実だけで、それは矛盾しているのに、なぜかこの世界の人はそう信じているのです。
それに何よりもこの日本には「負なる者」というものが存在していて、日本を侵略しようとしています。負なる者とはいったい何者なんでしょうか? またいったいなんのために負なる者とは存在しているのでしょう。負なる者の全貌にも、瑞葉くんや奈季くんは関係してしまっているのでしょうか? やはり教会や寺院の大宗派は、負なる者の件にも大きく関わっているんでしょうか……? そうなると惟花さんや美夢のことを殺そうとしたのにも、彼らが大きく噛んでいる可能性が……。
またどうして瑞葉くんは舞人の事を癌だといい、一方で奈季くんは「幸せなる色」について知ってしまっているんでしょう。前者はどうあれ、後者の「幸せなる色」に関しては、その名を知る人はこの世界にはもういないはずなのに。
それに奈季くんの傍には謎の「白き髪の少女」もいましたし、舞人と惟花さんの認識だけはなぜか一致していますし、桜雪ちゃんは惟花さんのことを舞人の彼女だとして認定している一方で、この世界の惟花さんは教会の管理下に置かれていた至宝なのです。しかもこの国には、もう1人の舞人さえどこかに生存しています。
意味がわからないことだらけでした。
このような時に決まって助けになってくれたのは、瑞葉くんや奈季くんでしたが、2人を失ってしまった舞人は、これからどうすればいいのかわかりません。
「……惟花さん。もうぼくはどうしたらいいのかもわからないや。何が起こっているかもわからないのに――こんなにたくさん大変な事が起こってるんだもん。……ぼくばかりにいろいろと起きすぎだよ。本当にぼくどうすればいいんだろ」
舞人も自分の立場ぐらいは分かっているので、決して誰しもに弱みをみせるわけではありませんでした。こうして弱みをみせるのは惟花さんぐらいでしょう。
『―ー何も悩む必要なんてないよ、舞人くん。どんなことがあったとしても舞人くんの人生は、舞人くんだけのものなんだもん。ただ舞人くんは自分のことを愛しあげて、舞人くんのためだけに生きていけばいいの。――それにね、舞人くん? ちゃんと舞人くんが自分自身で悩んで、強い意志を持って選んだ道なら、わたしが付いていってあげるから大丈夫だよ? 絶対に舞人くんを1人にはしないからね?』
身体を優しく抱きしめながら後頭部を撫でてくれている惟花さんは、言葉なんかにはできないような存在でした。いつだって舞人の味方をしてくれるだけでなく、舞人自身が一番欲しい言葉を理解して、こうして言葉にしてくれるのですから。
今までは羽毛布団の上だった舞人の両手も、惟花さんの背中へと回ります。
「……ありがとう、惟花さん。じゃあぼくはとりあえず惟花さんのために戦うよ。それがぼくの願いだからね。惟花さんが望むならぼくは負なる者のことを倒し尽すし――もしも惟花さんがほかに何かを望むなら、ぼくはそれを叶えてあげるよ」
『ありがとうね、舞人くん? じゃあまずは負なる者さんかな。色々とわからないことだらけだけど、あの子たちを放っておく限りは――何も始まらないからね?』
やはり舞人はこの期に及んでも、自分自身が正しいという認識を持てません。もしかしたら自分はこの世界にとっての悪なのではという考えが、心を支配します。
でもたった一つだけいえる事は、この惟花さんの温もりだけは手放したくないということでしょう。惟花さんさえ傍にいてくれれば、舞人はそれで十分ですから。
暖炉の明りだけが光源となっている寝台の上で、2人は抱き合います。
飽きるまでずっと。
宵はだいぶふけてきましたが、少年と少女の夜はまだ始まったばかりでした。




