第26話:『神の微笑み』と『鬼吹雪』
舞人が覚悟を決めるその瞬間を、神様はずっと待ち望んでいたかのようでした。
もっとも舞人たちが恐れていた事態が、その瞬間から起きてしまったのです。
瑞葉くんと奈季くんという両者による、挟み撃ちでした。
「ふざけんなよ、舞人。別にお前は英雄になれなかったわけじゃないだろ? 英雄になることを逃げた――ただの臆病者だよ。お前が英雄になれば、この世界は変わっていた。……お前がその道から逃げたから、こんなに世界は狂ったんだよ」
舞人の手によって瑞葉くんと奈季くんは、幾度も重傷を負わされていたはずです。常識的に考えれば立つどころか息をすることさえも、ままならないでしょう。
でも2人は傷口を完治させ、何事もなきかのように、反撃を行ってきました。
幸か不幸か親友2人にも、白き血液が流れてしまっているのです。
とはいえ2人の血液量は、舞人に比べれば少量でした。
魔法の使用に関しては白き血液を使わないという絶対的なアドバンテージがあるといっても、先ほどのように舞人が攻め続ければ、十分に勝機はあったでしょう。
「光栄だよ、奈季。世界を狂わせるほどの英雄様に、認定してもらえるなんてね」
奈季くんは武器の潜在能力の解放だけでなく、強化した武具の能力の融合まできました。例えば「強化型手榴弾の力を、強化型太刀に付属させる」というように。
強化型太刀の威力だけでも、一振りで民家を倒壊させそうなほどに重々しいのに、そこに強化型手榴弾の効果が付属されれば、さすがの舞人も苦労します。
恐竜に踏みしだかれているような衝撃が、一撃ごとに左腕を襲ってきました。
痺れと痛みの二重連鎖により、どんどん左腕の感覚が消え失せてしまいます。
歯軋りをする舞人の背後では、冬音ちゃんが瑞葉くんと戦ってくれていました。
瑞葉くんは神の文字を音読することによって、2人の天使を召還します。2人の天使が抱く能力は、歌声を聞いた異端者に天罰を与えるというものでしょう。
冬音ちゃんは無数の竜巻を発生させて、歌声そのものを寄せ付けません。
でも相手は瑞葉くんです。
毒々しい色の液体を生み出すと、それを竜巻の風に乗せ、散布してきました。
舞人は渾身の力で白刀を放ち、奈季くんの太刀を、上方へと跳ね除けます。
そして続けざまに白き刀を屋根へと突き立てて、血液を送り込みました。
瑞葉くんと奈季くんの2人の足元が、それぞれ屹立します。
2人がバランスを崩したところで、舞人たちは別の屋根の上へと退きました。
ほっと胸を撫で下ろしたいですが、瑞葉くんはそんな暇さえ与えてくれません。
瞬間移動の魔法を使用することによって、再度眼前へと出現してきたのです。
瑞葉くんの右手に握られていた透明な剣が、透明な槍へと変貌しました。
急所喰いの能力を得たんだろうなと、舞人は直感で理解できます。
急所喰いの槍とは、読んで字が如くです。対象の急所を必ず襲ってくるのです。
もっとも恐ろしい点は、急所喰いの槍の前では自分の急所を守る事が不可能ということでしょうか? いかなる抵抗をしても最後は、急所が破壊されるのです。
しかし舞人の手元には、運命さえも掌握できる「白き血液」がありました。
本気を出せば、瑞葉くんの急所食いの槍の効果も捻じ曲げることができます。
しかしそうすると今度は、惟花さんや冬音ちゃんに危険が迫ってしまいます。
絶対にダメでした。
舞人の心臓に血の花が咲きます。真っ白な花でした。まるで白薔薇のようです。
「……変わらないね、舞人くん。本当に舞人くんだけは、何も変わらないよ……」
胸元から噴出した白き血液で舞人は反撃しましたが、瑞葉くんには読まれます。
カウンターアタックが届く前に、後方へと逃げられてしまいました。
でもここで戦女神が、舞人へと微笑んでくれます。
後ろ飛びをして着地をした瑞葉くんの足元が、雨のせいですくわれたのです。
舞人はこの隙を見逃しませんでした。
「変わらないんじゃないよ瑞葉。ぼくは変わりたくても――変われないだけだよ」
落雷や降雨、果てには惟花さんを右腕に抱いているという状況さえも、舞人はものともしません。靴底に吸盤でも付いているかのように屋上を駆けると、最後だけ都合よく滑り、瑞葉くんへと刃を届かせました。皮肉なまでに滑らかな動きです。
土壇場で瑞葉くんは肉体の硬化に成功させ、刃で胸元を貫かれるのは防ぎましたが、この場合の唯一の弱点である首元へと、舞人は回し蹴りを叩き込みます。
瑞葉くんの身体は、屋根の上を激しくバウンドしていきます。
『舞人くん。左斜めから毒の手裏剣が飛んできてるよ。弾けるかな?』
冬音ちゃんと剣を打ちつけ合う中で奈季くんは、銀色の手裏剣を放ちました。
舞人と冬音ちゃんを合流させないために、牽制の攻撃を行ってきたのでしょう。
しかしこれしきの攻撃は、舞人にとっては制約になりません。
手裏剣攻撃そのものを弾き返し、報復を行いました。
舞人に弾かれた手裏剣は、初期状態よりも加速して、奈季くんの右腕に直撃します。今にも冬音ちゃんの胸元を射抜こうとしていた拳銃の銃口も、逸れました。
銃弾が屋上へと衝突します。けたたましい音で、建物の屋根が崩れ去りました。
奈季くんが別の屋根へと飛び移る中で、舞人と冬音ちゃんも同じ屋根へと移動します。舞人は冬音ちゃんを休ませるため、今度は自分が奈季くんと相対しました。
白き刀と金色の刀がぶつかり合います。教会の鐘の如き大きな音を奏でながら。
2人の激突の激しさを物語ように、雨の勢いまで強くなります。
両者の視界が最悪になりました。
手がかじかむどころか、まるで滝の下にいるように、何にもみえなくなります。
こうなると五感を強化できる舞人が、圧倒的に優勢になりました。
研ぎ澄まされた五感で奈季くんを凌駕して、彼の身体を斜めに切り裂きます。
そして奈季くんへと、とどめの一撃を施そうとしましたが――、
「変われない人なんていないよ、舞人くん。ただ舞人くんは変わろうとしていないだけだ。変わろうとする意志さえあれば、人は自分の望むままに変われるからね」
「……本当に青臭いな、瑞葉は。思春期の中学生みたいなやつだよ――お前はね」
悪魔のような紋章を剣に刻印させた瑞葉くんに、行動を阻害されました。
瑞葉くんの右手にある漆黒の剣は――、
「自身が触れた相手に、刀の持ち主がこの戦いで受けたダメージをお返しする」
という効果を持っています。
瑞葉くんは視界の鮮明化の魔法も使用しているのか、大雨の中でも的確に攻撃してきました。白き刀で攻撃を弾き返すごとに、舞人の心臓は破裂してしまいます。
視界が不鮮明のせいで防戦一方になっている舞人に、これは拷問でした。
「――思春期の中学生みたいな淡い希望や夢さえ持てなくなったら、人間は終わりだよ舞人くん。正直にいってそんな世界は、存在する価値さえないかもしれない」
しかし前方の視界がよくみえる瑞葉くんでも、後方までは見通せません。
瑞葉くんのすぐ後ろへと、冬音ちゃんが避雷針を生み出します。
タイミングよく雷が落下して、瑞葉くん本人のことを感電させました。
「正論だね瑞葉。お前は何も間違ってないよ。だからその青臭さは一生捨てるなよ」
電流で痺れた瑞葉くんの心臓へ刃を突き刺すと、左下方へと叩きつけます。
いけます。いけます。いけます。このままいけば十分になんとかなりそうです。
一対一の状況にさえ持ち込めれば、やはり舞人たちに利があるようでした。
両者の立ち位置的に、再び舞人が瑞葉くんの相手をして、舞人の右隣に陣取っているいる冬音ちゃんが、奈季くんの相手をすることになりそうでした。
先手を取るために、さっそく舞人が瑞葉くんへと切りかかろうとすると――、
「……!」
既視感がある出来事に、襲われてしまいました。
全身に宿っていたはずの力が、一瞬のうちに失われてしまったのです。
今までは当然のように動かせていた四肢が、まったくいうことを聞きません。
自分の身体というものが、まるで他人の身体になってしまったようです。
がくんっと舞人は、その場に膝を付いてしまいます。
手の付け根や両膝が屋上へと当たったはずなのに、痛みを感じません。夢の中にいる自分の身体を動かしているような、とても不思議な感覚に襲われました。
この段階にきてやっと舞人は、自分の身体に起きている異変に気づきます。
貧血でした。
鬼の如き気配は予想以上に、白き血液を消費してしまっていたようです。異変の全貌に気付いた時には、すでに数パーセントの血液しか残っていません。
以前はどれほど厳しい戦いでも、血液量を気にする必要はなかったはずなのに、舞人は生まれて始めて自分の血液量の限界と、直面をすることになりました。
不死の名を得ていた舞人へと、すでに瑞葉くんは斬りかかっています。
急所殺しの槍でした。
今の状態であんなものを喰らったら、舞人だって生還できるかはわかりません。
やばいと思って、ある種の覚悟をした瞬間には――、
「……!」
パンッと赤色と白色が混じる血液が、舞人の目の前で弾け飛びました。
うそでしょと思った時には、信じたくない光景が舞人の瞳に映ってしまいます。
舞人の盾になった冬音ちゃんが、急所殺しの槍に殺されてしまったのです。
この場にいる誰もの時が止まりました。
舞人や惟花さんはもちろん、瑞葉くんも奈季くんさえも表情を氷結させます。
生命源である心臓を失った冬音ちゃんの亡骸が、舞人の方へと崩れ落ちました。
うそみたいに大きな穴が、冬音ちゃんの胸元にはぽっかりと空いています。
透明の槍に突かれて白き粉塵と化した心臓は、再生する兆しさえもみせません。
冬音ちゃんは死んでしまったのです。
瑞葉くんの急所殺しの槍に、自分のたった一つの急所を殺されてしまって。
とても痛くて、とても恐くて、とても苦しかったことでしょう。
再生能力がある彼女が一撃で屠られるほどの攻撃を、急所に受けたのですから。
それなのになぜ冬音ちゃんは、こんな達成感のあるお顔をしているのでしょう。
何気ない時に冬音ちゃんがみせてくれた笑顔や、おふざけをしている時の笑顔や、落ち込んでいたこちらを励まそうとしてくれた時の笑顔が、脳裏に蘇ります。
いつだって冬音ちゃんは、舞人のことを愛してくれていました。
お父様お父様と呼び、いつも舞人の近くでにこにこしてくれていたのですから。
何が楽しいのかはわかりませんが、ただ舞人と一緒にいれば笑顔を絶やさない子で、何か舞人が困った時はまるで自分のことのように、一緒に悩んでくれました。
冬音ちゃんは最後の最後までお馬鹿でした。舞人が冬音ちゃんのために命を張る義理はあっても、冬音ちゃんがそうする義理なんてまったくなかったのですから。
ただ冬音ちゃんが笑っていてくれさえすれば、舞人は十分だったのです。
敗走をするか愛娘の仇を取るか、今の舞人は選択できました。
紅唇を噛み締めます。下唇の全てから、「赤き血」が出血しました。
舞人の瞳が、紅蓮へと変わります。
赤き双眸が捉えていたのは、瑞葉くんでした。
「……瑞葉……! ……お前、冬音のことを手にかけたな……! ……どんな事があってもそれだけは禁忌だったはずだろ……! ……冬音がお前の事をどれだけ慕っていたと思っている……! ……ふざけるな、瑞葉……! ……いい加減にお前は、やりすぎだ……! ……ぼくのことが憎ければぼくだけを憎めばいいのに――どうしてお前はぼく以外の人まで巻き込む……! ……もうぼくもお前のことは許しはしない……! ……お前のことだけは、ぼくのこの手で殺してやる……!」
舞人の漆黒の頭髪が、純白の髪へと変貌します。
“鬼吹雪”の降臨でした。




