第25話:『憧れ』と『悲しみ』 ①
どこからか、龍の鳴き声のようなものが聞こえる中で――、
「風歌! 君も結局は、この街にいる人よりも、瑞葉の事を選ぶのかよ……!?」
風歌ちゃんが左隣へと転移してきた瑞葉くんへと、舞人は斬りかかりました。
「間違ってるぞ、お前たち! お前たちは絶対に間違っている! ぼくが憎ければ、ぼくの事だけを憎めばいいだろ! なのにどうしてそこにこの街の人まで巻き込む! お前たちだけは力なき人のために戦ってあげるんじゃなかったのかよ!」
瑞葉くんが生み出したんだろう赤色の雲が、上空へと浮かび上がりました。
時間的な余裕なんてない舞人はそれを無視して、雨のせいで足元が取られる屋根の上を落雷をかわしながら駆け抜け、ただ瑞葉くん本人だけを狙っていきます。
左手に握る白き刀が、瑞葉くんのもとへと届きました。
絶対防御と絶対攻撃の剣に弾かれます。
しかし瑞葉くんは、カウンター攻撃は放ってきません。
風歌ちゃんと一緒に後方飛翔をしたのです。
空気が肌寒いと感じた時には、神の文字と神の図形が周囲を支配していました。
鬼の如き気配が警告します。
舞人は冬音ちゃんを左腕に抱きかかえると、後方へと大きく飛び退きました。
無事に三角屋根へと着地した瞬間には、先刻まで2人がいた箇所が氷結します。
1つ1つの雨粒が氷塊と化し、それが連結をして、氷の牢獄を作ったのです。
氷の牢獄は迷い込んだ囚人を殺すようにして、業火の炎へと変化しました。
血液というものを全て燃やし尽くすような、紅蓮の炎です。
白き心臓の鼓動が荒くなってしまいました。
「僕は今も昔も何も変わってないよ、舞人くん。僕はいつだって、自分の理想を追い求めているだけだからね。そこには欺瞞も偽善もなくて、ただ僕の望みが存在しているだけだよ。人間なら誰にだって自分から演じたい役割があるけど――それが僕にとっては『舞人くんを殺すこと』だったんだ。辛くないといえばうそになるけど、自分が望んでいる事さえ行えないなら、僕は僕にうそをついている事になる。――その愚かさを指摘してくれたのは、ほかでもない舞人くんだったでしょ?」
『……ありがとうございます、お父様。助けてくれて……』
『大丈夫だよ冬音。気にしないで。お互い様だからね。まずは瑞葉を黙らせよう』
冬音ちゃんだって瑞葉くんと戦うことには、とても複雑な思いがあるはずです。
冬音ちゃんは瑞葉くんの事を1人の人間として、とても慕っていたのですから。
本来は瑞葉くんの味方をしても、何もおかしくはないのでしょう。
でも現実の冬音ちゃんは一切迷わずに、舞人の味方をしてくれています。
嬉しくないといえば、うそになりました。
こんな冬音ちゃんのことだけは絶対に守ってあげたいと、舞人も思います。
「そうだな瑞葉。お前のいいたい事はぼくもわかるよ。1人の人間としては悔しいほどに正しいんだろうな。――でもお前は人の上に立つ人なんだろ? 善悪の区別さえつかない人間がみんなの憧れになれると、お前は本気で思っているのか?」
瑞葉くんは徹底的なまでに、降雨を自分の魔法に変換する戦法に固執しました。
自身の透明の剣を、赤色の霧によって包み込みます。
刀を一閃することによって、雨粒を真紅の銃弾へと変形させました。
音もなく放たれたそれは、神速の勢いで迫ってきます。
このレベルの攻撃は、防御に専念さえすれば、いくらでも対処できたでしょう。
でも瑞葉くんと奈季くんの2人を相手にして、消極的な行動は許されません。
剣で弾けるものは当然弾きますが、弾けなかった銃弾が肉体を撃ち抜こうとも、舞人は気にしません。たとえ銃弾に蜂の巣にされようと即座に修復できますから。
銃弾の攻勢は5秒間ほど続いて、60近くの弾丸に全身を射抜かれました。
痛くないといえば、うそになります。
でもあと一軒の屋根さえ飛び越えれば、再び瑞葉くんと直接対決できます。
足元には自然と力が入りました。
そんな中で例の赤き雲から、何千の雨粒が降り注ぎます。
でもそれはただの雨粒ではなく、小さな炎と化した雨粒でした。
冬音ちゃんが神の傘を作ってくれたおかげで、直接的な被害からは免れました。
しかし風に乗った炎だけは、舞人の体を燃やし尽してきます。
全体の一割ほどの火の雨なら、まったく問題ないはずですが、実際は――、
……! ……うそでしょ。……ぼくの身体の中で、炎が息を吹き返してる?
すぐに消化できるはずだった炎が急に活性化したので、舞人は狼狽しました。
ここにきて初めて、先ほどの銃弾にはオイルが付着していたんだと気付きます。
60発の弾丸に付いたオイルは、すでに全身の血液に回っていました。
「そうだね舞人くん。確かに舞人くんの考えには、僕だって賛成かもしれない。だから全てが終わったら、もう僕はみんなの上に立つつもりはないよ。あくまでも僕の夢は名誉や地位じゃなくて、ただこの世界を平和なものにすることだからね?」
火炎攻撃による瑞葉くんの狙いは、決して舞人を殺すことではないでしょう。
オイルに侵食された血液を捨てさせる事が、最大の目的なのかもしれません。
戦闘続きの舞人にとって、余分な血液なんて一滴もありません。
でも今回のようなケースは、仕方がないでしょう。
オイルが乗った血液を、左の手首付近へと集中させました。
意図的に体内から傷つけて、それを外部へと露出させます。
溢れ出した血液は、白き刀へと巻きつけました。
血染めされた刀は滝のように降る炎の粒へと触れると、白き業火を纏います。
それを迎え撃つように瑞葉くんは、自らの刀へと赤き業火を生み出しました。
白き炎と赤き炎が激突します。
「竜虎の争い」のような激しさを、その二種類の爆炎はをみせました。
勝ったのは舞人です。
「本当に青臭いよな、瑞葉は。世界の平和どうこうを恥ずかしがったりせずにいえるんだからさ。――でもぼくはそういうお前の青臭さは嫌いじゃなかったよ。……むしろ羨ましかったかもしれないな。そういうお前の変に真っ直ぐなところがさ」
赤き炎を喰らった白き炎は、瑞葉くん本人のことまで飲み込みました。
刀を斜めに振ることによって、左下にみえた大きな建物へと叩きつけます。
これでも風歌ちゃんは無傷ですが、強いて彼女を苦しめる必要もありません。
背後からは奈季くんの攻撃が、迫っていたからです。
「奈季。お前も1つ大きな矛盾を犯してるよ。お前は僕のことを軽蔑している癖に、同じようなことをしている瑞葉のことは軽蔑しないのかよ? ……ぼくがやっていたことも瑞葉がいまやっていることも、本質的にはほとんど同じことだろ?」
鬼の如き金棒を両手に持った奈季くんは、舞人の背後へと現われてきました。
舞人は振り向き様に白き刀を振るって、奈季くんの攻撃を弾きます。
甲高い音が、二連続で鳴りました。
それぞれの金棒は大山の如き重量があったので、舞人の左腕は強く痺れます。
奈季くんのことは素直に尊敬しているからこそ、舞人も手は抜きません。
先手を取られたあとは、先手を取り返しました。
新たな攻撃が放たれる前に、バク転を行ったのです。
「化け物」と相対した時と同じ技でした。
再び二連続で放たれてきた金棒を、両足の力によって弾き飛ばします。
両の足首が折れるのを覚悟しての攻撃は、超重量の金棒にも負けません。
舞人が両膝から着地する中で、冬音ちゃんが新たな攻撃役を担ってくれます。
すぐ左隣にある大通りの路地へと、巨大な樹木が出現しました。
青々とした葉っぱを実らせるそれからは、多種多様な色の花粉が散布します。
赤色の花粉は痛覚を刺激して、青色の花粉は幻覚をみせて、緑色の花粉は聴覚や嗅覚を不快にする効果があるのでしょう。樹木の支配者である冬音ちゃんと、彼女が認めた人物以外には、その花粉は満遍なく襲い掛かります。
奈季くんも撤退せざるおえません。
冬音ちゃんは白き槍で追撃していきます。
奈季くんも苦しそうでした。
「ぜんぜん違うよ、舞人。お前みたいなやつと瑞葉を同一視するな。あいつも決して正しい道は進んではないだろうけど、その先にあるのは決定的に違うんだよ。――最終的に誰かのためになる事を瑞葉はしているんだけど、どうしてお前は罪なき子供たちを殺したんだよ。そこにあったのはお前の私利私欲だけなんだろ? お前がそうすることによってほかの第三者が、幸せになったことはあったのかよ?」
冬音ちゃんが奈季くんを止めてくれている間に、左腕と両足は完治できました。
でもその頃には冬音ちゃんと奈季くんの形勢も、逆転し始めています。
1つに統合した金棒で冬音ちゃんの攻撃を受け続けていた奈季くんが、徐々に押し始めたのです。冬音ちゃんから白き槍を打ち込まれるというよりも、逆に奈季くんが右手に握る金棒を打ち付けていく状況に、変貌し始めてきたということです。
左手に白刀を持った舞人が疾走すると、冬音ちゃんは全てを察してくれます。
ベストなタイミングで、後方へと退いてくれました。
冬音ちゃんと入れ代わり立ち代わり、今度は舞人が攻撃役となります。
左手に握る白き刀を、幾数も残像が残るような勢いで、放ち続けました。
先ほどは攻撃役に徹していた奈季くんも、防御一辺倒にならざるおえません。
後ろに飛んで奈季くんは別の屋根に移りますが、舞人も磁石の如く追跡します。
奈季くんが着地したのと同時に、何事もないように刀をぶつけていました。
「……そういえばそうかもしれないな。同一視したぼくが間違いだったよ。ぼくと瑞葉は決定的なところで、違っているのかもしれないからね。――でも残念だけどぼくは、お前たちみたいに綺麗に生きる権利がないし、そもそも綺麗に生きる方法がわからないんだよ。……平和のためだったり弱き人のために戦うことが、ぼくにははもうする権利がないからね。――英雄になりたくないといえば、もちろんうそになる。でも英雄になる方法がわからないんだから、どうしようもないだろ……」
一度でも奈季くんに攻撃の機会を与えてしまえば、舞人が不利になります。
主導権だけは絶対に握らせないようにと、機械の如く攻撃し続けました。
そして再び奈季くんのことを、屋根の端へと追い込んだところで――、
「……馬鹿だな、舞人。やっぱりお前はどうしようもないほどの馬鹿だよ……」
奈季くんがあいていた左手から、わずかな隙をつき、ナイフが放ちました。
手榴弾にでも吹っ飛ばされたように、舞人の右足が吹き飛んでしまいます。
片足を失った舞人が振りかざした刀に、威力なんてありません。
奈季くんが振り上げた金棒によって、遥か上空へと弾かれてしまいます。
舞人は唯一の得物を失ってしまいました。
舞人の頭頂部へと、奈季くんの金棒が振るわれかけたところで――、
「……そうだね奈季。確かにぼくはどうしようもないほどの馬鹿なのかもしれない。ぼくよりも学のない人をみつけるのなんて、日本中を探しても難しいだろうね。――でも奈季や瑞葉だって、ぼくと同じくくらいに馬鹿だろ……? ……むしろお前たち2人の方がぼくよりも、遥かに馬鹿かもしれない……。――でもみんなのために本気で馬鹿になれるお前たちが、ぼくは素直に羨ましかったけどな……」
新たに舞人の左手に握られていた白き槍が、奈季くんの心臓を貫きました。
奈季くんの行動を先読みしていた冬音ちゃんが、渡してくれたものです。
雨やら涙やらで視界が不鮮明だった舞人の瞳が、再び熱くなってきます。
舞人はその感情に任せるようにして、白き槍を叩き落しました。
瑞葉くんは眼下の建物へと叩きつけられて、轟音を撒き散らします。
状況は優勢でした。
でも心境は最悪でした。