第150話:『星夜の現実』と『囹圄の運命』
ほかの誰でもない自分が生きているだけで世界の流れが大きく変化し、もしも自分が消えたら世界が悲しんでくれるような“英雄”には誰もが憧れるのでしょう。
でもこの世界中の大半の人は“とてもちっぽけな存在”なのです。
自分が生きているからといって世界の流れなんて何も変わらずに、自分が死んでしまったからといって人々は大きく悲しむようなこともなく続いていくような。
確かにこの世界からは白さが消えてしまいました。もしかしたら多くの人がこの世界には“白”なんてなく“黒や灰”しかないんだと気付いてしまったから。
世界に最後まで生き残ることになった“無色なる人々”は幸せなのでしょうか?
何か悪い事をした記憶なんてないのに幸せなる白を掴めるような未来なんて約束されていずに、何か悪い事をした記憶なんてないのに自らの現実には灰色の人間だけしかいなくて、何か悪い事をした記憶なんてないのに未来は真っ黒なのに。
『でも本当にこれからのことは奏大やレイシアたちだけに全部委ねるのか兄貴?』
もしかしたら怜志にとっても他人事なんかではなかったのかもしれません。自らの運命に微笑んでもらえるようなことはなく、自らの運命に嫌がらせばかりされている教会や寺院の信徒たちはもちろん、旭法神域の信徒たちや異端者たちの事は。
『奏大たちは最高の友人たちだろ。あの2人から妙な影響さえ受けなければね』
それでも怜志くんとしては彼らに自らの運命を疎むようなことだけはやめてもらいたかったのです。“運命から弄ばれてしまうのではなく、運命を弄ぶためにも”。
『それにそもそもを言えば“可愛い舞人”だって無駄死になんかではないんだろ?』
『……残念だったな怜志。やっぱりお前はぼくにとってのたった1人の弟だよ』
人の運命なんてそう大きくは変えられないのでしょう。それが人の全てだからこそ。ならば人はそんな中でどう生きればいいのでしょうか。その答えは12月23日の寒風の夜空の屋上の兄弟が握っていました。この世界中の誰よりも。