第13話:『必然の奇跡』と『狂い始めた歯車』
もう全てが終わりだったのかもしれません。
舞人は桜雪ちゃんを反射的に押し倒すと彼女の上へと乗りかかります。
舞人が桜雪ちゃんを庇ったのと同時に黒き化け物は舞人の両腿を勢いよく踏み潰すと、嬉々として頭部を食い殺そうとしました。下呂と下痢を混ぜたような臭気の生暖かい口臭が舞人へとかかります。舞人は左手の首飾りを強く握りました。
願いは“女神”へと届いたのかもしれません。
舞人が首元へと飾っていたネックレスと、先ほど拾ったばかりで左手に握りっぱなしだった惟花さんのネックレス。そんな2つが触れ合っていた胸元辺りから、“まるで誰かに手でも握ってもらえたような優しさ”が届いて来てくれたのです。
それは“天使のように清純で恋のように甘く女神のように美麗な歌声”でした。
麻薬でも吸ったような陶酔感が胸を占め“純白の力の波動”が全身に迸ります。
ドンッと舞人が突き出した右肘が化け物の鳩尾を捉え、巨体を浮かせました。
同刻に放たれていた左手の刀は純白の一線を生み出し、黒き障壁を破壊します。
「だからわたくしはいったでしょうお兄様? 惟花様は生きていらっしゃると?」
「……そうみたいだね。惟花さんはやっぱり無事みたい。まさに救世の女神様だ」
急いで体勢を立て直した舞人と桜雪ちゃんが再び最上階へと駆け上がる中で、舞人の肘打ちを喰らったからとあの化け物が再起不能なんて夢のまた夢です。
階段から這い上がった彼は騒々しい破壊音とともに追跡を続行してきました。
「……。……。……。……あの子は……。……。……」
先ほど舞人の左腕から逃げてしまった少女かもしれません。
彼女は何十という透明の刃に胸部を刺され最上階の廊下で絶命していました。
同化の能力によって黒き結界は突破できてもここで命を落としたのでしょうか。
「お兄様に罪はありませんよ。お兄様ができる限りのことはしましたから」
仮に桜雪ちゃんはこう慰めてくれても、だからといって舞人の心は晴れません。
それでもやはり今の舞人には彼女に冥福を捧げる余裕も与えられない中で――、
「……凛華……?」
この大聖堂内に入って始めて舞人が“旭法神域の信徒”と再会できました。
弱々しい息遣いではありますが、まだ辛うじて彼女には生命の鼓動があります。
「……舞人くん……?」
「うんっ。ぼくだけど……もしかしてお腹を怪我しちゃってるのかな?」
「……私は大丈夫です。だから早く瑞葉さんの部屋へ行ってあげてください……」
「……うんっ。わかった。ほかに誰かは?」
「……もういないと思います。みんな殺されちゃいました。……あと舞人くん?」
凛華ちゃんの命の灯火はあと本当にわずかなのかもしれません。舞人は壁沿いへと腰掛ける彼女の小さな口元へと顔を寄せると最後の言葉を聞いてあげました。
そうして凛華ちゃんが伝えてくれた想い。それは舞人の心を揺らしました。
彼女を軽く抱き寄せていた舞人が一時的な放心状態になってしまう中で――、
「「……?」」
すでに全員息絶えていたはずの人影がなぜか舞人の横目へと映りました。
友好的な表情です。舞人の視線の全てが彼の笑顔に吸い込まれてしまうほどに。
そんな中で青年は指を鳴らそうとしました。
音が鳴り終わる直前に桜雪ちゃんが血飛沫の中に落ちていた刃を投擲します。
青年の喉仏から赤き血潮が迸りました。
青年はゆっくりと後ろへと倒れていきます。
「とんだ食わせ物ですねぇ。何事もなくここまで彼らに侵略をされるとも思いませんでしたが、惟花様を護衛してきた方々がそういう用件なら納得もできます」
桜雪ちゃんの攻撃があと一瞬遅ければ舞人と桜雪ちゃんも負傷していました。
化け物に追われている現状では、それは“死”を意味していたのでしょう。
それでも“凛華ちゃんの最後のささやき”と、“聖国教会側から訪ねて来ていた一部の人々が敵だったという現実”は信じたくないほどに重なっていたのでした。




