第12話:『飢餓』と『階段』
左腕で抱いていた少女が悲鳴をあげます。自身の恐怖の最奥を刺激されたように。少女は舞人の左腕さえ解くと一心不乱に左方へと逃げて行ってしまいました。
舞人もとっさに現実に返りますが左手には白き刀がありません。
精一杯として桜雪ちゃんのことは右手側へと跳ね除けました。
瞬き一つのあとに化け物の巨大な掌が舞人の顔面へとのめり込みます。
まるで殴り殺すような勢いで背後の黒き壁へと叩きつけられてしまいました。
脳味噌や眼球や頭蓋骨などが真っ白な血とともに派手に飛散します。
頭部を失った舞人の身体は力を失ったようにそのまま廊下へと座り落ちました。
「ほいほい人助けばかりしてるからご自慢の頭もろくに守れないんですよ本当に」
桜雪ちゃんの右手から振り抜かれた“真紅の魔剣”。それは大木のような化け物の手首を打ち付けました。続けざまに舞人へと黒き巨拳を殴り下ろそうとしていた化け物の力も一瞬だけ弱まります。それはまるで飢餓状態にでもなったように。
化け物の左手は狙い通りに落下しません。
頭部なき首元ではなくぽっかりとしていた舞人の両太ももの間へと落ちました。
「でも惟花様の落とし物は無事に拾えましたかお兄様?」
桜雪ちゃんへの答えに舞人は左手に握ったネックレスを差し出します。
桜雪ちゃんは小さく微笑むと舞人の右手を握って立ち上がらせてくれました。
「それなら何よりです。今は信じてそのネックレスを守り続けていて下さいね?」
何はともあれあの黒き化け物と遭遇してしまった今は逃げるしかありません。
破壊的な音を立てながら追って来る黒き化け物に追跡されるのは単純に不愉快ですが、今の舞人と桜雪ちゃんの力だけでは彼のことをどうにもできませんから。
舞人の全ての力を導き出してくれる“歌い子”はこの世界で1人だけでした。
その少女と出会えさえすれば背後から来る化け物もなんとかできるでしょう。
でも祈るように舞人と桜雪ちゃんが向かった最上階への階段の中腹には――、
「「……!」」
まるで行き止まりであるように黒き結界が張られていました。
絶望しかありません。
叩いたり殴ったりしたところであの黒き結界だけはどうにもなりませんから。