第129話:『奔騰の不安』と『至純の安心』
桜雪にとって風歌ちゃんとは、“自分がこの世界に生きていいのかもしれない”という淡いながらも何よりも深い安心感を心に導いてくれるような少女でした。
麗しいほどに整頓された風歌ちゃんの白き机を見下ろしている桜雪の瞳には、風歌ちゃんのお気に入りだった絵本の隠れ蓑にされている“大辞典の白きカバー”や、読みかけだったからかそのまま開かれたままの恋愛小説や、舞人から渡されたプレゼントや桜雪からの手紙を保管している白色の小物入れなどが映り込みました。
でも桜雪にとってはどうして自分と風歌が文通を始めたのかという“とても大切な記憶”が抜け落ちているので、その事で偽りなき不安を覚えてしまうと――、
「思い出って美しすぎるんだよね。女の子の瞳と同じくらいにさ。でも思い出は美しいものだから少しずつぼくたちは美しくない思い出を忘れちゃうのかもしれない。でも大丈夫だよ桜雪。君と風歌の想い出は天使のように甘いだろうからね」
桜雪にとっては3歩ほど背後――つまりは風歌ちゃんの寝台辺りから“有名な詩人の両親がいながらもパッとしない三流詩人の放蕩息子”のような声が届きました。
「……どうやってこの部屋の中に入ったんですか、お兄様?」
「桜雪がいる所ならぼくはどこにでも現れるよ。ぼくは君のヒーローだからね」
「……世が世なら通報されてしまってもおかしくない発言じゃないですか……」
おそらく舞人は惟花さんから手渡された、“六面全てを揃えるとあらかじめ入力されていた絵柄が浮かび上がるルービックキューブ”を弄くり回す中で、そんな兄上の神出鬼没さに呆れないといえばうそになりましたが、その一方で桜雪が舞人の存在を間近で感じると不思議と落ち着きを感じたのもまた確かな事実でしょう。
「でもやっぱり不安? 風歌の事とか、風歌の事とか、風歌の事とか?」
信用に足るのかどうかという一番重要かもしれない点はひとまず差し置いてもお化け青年からは“風歌ちゃんの事は問題ない”といわれていましたし、そもそも桜雪にとっては舞人に余計な迷惑をかけてしまうことが禁忌にも近いことなので心の奥に封じていた不安にも、舞人はよい意味での無遠慮さで触れてくれました。
まさか舞人は桜雪の心も自分の物のように把握してくれているのでしょうか?
「でも大丈夫だよ。心配はいらない。君はぼくの妹なんだからね」
「……そこまでお兄様は人格者でしたか?」
「おそらく桜雪以上には」