第126話:『嗟嘆の水都』と『誣言の本心』
無秩序で満ち溢れた都市の中。秩序だった大聖堂は芽吹いていました。
神水教会を象徴する地区である神奈川の“横浜市”は街中全体が芸術品のような雰囲気に包まれていて、あらゆる所に水路がみられるような街並みのために、300を超すような橋が街中に乱立していましたが、そんな水路の所々には舟が浮いていることもあって、良くいえば幻想的で悪くいえば不思議な街並みでした。
またそんな横浜市の中心部には“白き水晶”を削って作り出した大聖堂が地上の満月のように君臨していて、そこから横浜市を一望すれば、街並みは宝石箱です。
3階建ての”水晶大聖堂”の中には中央庭園も存在していましたが、噴水が吹き上がって小川が横切る庭園内をもっとも俗世間から離れた雰囲気にさせていたのは1本の白き樹木でしょうか? 幹はもちろん葉っぱまで白いそれは、1人残されたというよりは1人残ったような凛とした立ち姿で、大聖堂の守り神でした。
でも正直にいってこんなにも穏やかな色彩の横浜市をみていると、負なる者なんていう異形な存在が国内に跋扈している事実に現実味が湧かなくなってしまいますが、いくら現実味がなかろうと現実は現実に変わらないので、奈季はすでに負なる者になってしまった人や、今なおも彼らに抵抗する人のことを想い、“人の本当の居場所はどこにあるのか”という、哲学的な疑問を心の中に宿しました。
そんな中で奈季が背中に温風を受けながら右手に飲み物を持ち、映画の一幕のように高貴に風に金髪を揺らす中で、基本的にお風呂に入る時以外は白いマフラーを首元に巻いている月葉ちゃんは、20畳ほどの広さはあるだろう部屋の中央に置かれた椅子に黙々と座り込みながら、机の上に小さな宝箱を広げていました
。
芸術的な椅子に座り込んで、思慮深げな横顔の奈季にもまったく興味を示さない彼女が意識を傾倒させ続ける宝箱は、奈季が瑞葉くんから拝借したものです。
宝箱の中には数ミリサイズの魔宝石が数百個ほど嬋娟と輝いていました。
月葉ちゃんはそんな天然の魔宝石を磨いたり削ったりして形を整えてからそれらを連結させ何かアクセサリーを作り出しているようでしたが、とある理由から月葉ちゃんとの心の距離を取ってあげている奈季は透明な窓硝子の反射越しに彼女の様子を伺ってあげているだけでしたが、本当にふとした瞬間でしょうか?
月葉ちゃんの手が止まったのです。何か思うところがあるように俯いて。
事情が事情なのでお互いにもっとも近くにはいても、月葉ちゃんの気持ちを考えて奈季は必要以上には親しくならなかったので、今の月葉ちゃんの悲しげな表情の意味も理解できましたが――でもだからこそ奈季は自身の心に鞭打ちます。
見てみぬ振りでした。
何か冷徹な思いがあるわけでもなく、それが奈季なりの優しさなのです。
しかしこんなにも間近にいる月葉ちゃんに悲しげで寂しげで不安げな表情をされれば、奈季の心の中でも心苦しさが形を持ってしまい、結局は踵を返しました。
白きマフラーです。
月葉ちゃんの白きマフラーが決意を固めたり、揺らがせたりしているのでした。
本当に厄介です。あの白いマフラーは。
「どうした月葉。あまりにも不器用すぎて細かい作業をするのが嫌になったのか」
「……不器用な人がこんな完成度の高いものを作れると思う?」
今までは外に瞳を注いでいた奈季が、いきなり自分の方を振り返るので月葉ちゃんは「!」となりながらも、自身の動揺を隠すような勝ち気な言い返しでした。
奈季は苦笑しながらも、彼女の手元の作り掛けのアクセサリーをみて――、
「赤と白ってクリスマスカラーか?」
「……何よ。馬鹿にしてるの?」
「馬鹿にはしてないよ。ただ面白いなぁって思っただけ。それは気に入るよ」
「……どうせお世辞でしょ?」
奈季の碧眼から守るようにして、アクセサリーを胸元付近に置いていた両手へとそっと隠してしまった月葉ちゃんも内心では嬉しくて仕方がないようでした。
だから今だけは奈季も、月葉ちゃんと同じ色の微笑みを零しながらも――、
「でもな月葉。あまり桜雪の事とかも難しいことは考えるなよ。月葉は桜雪の事を信じれないみたいだけど、そもそも桜雪が悪い子なら――とっくの昔に舞人は餌食にされてるだろ。だから桜雪は悪い子じゃないよ。いい加減にそうやって自分だけの世界に逃げるのはやめておけよ。桜雪や智夏との溝は深まる一方だからな」
「……」
「あとそもそも何か悩み事があるなら遠慮なく舞人と惟花に話せばいい。あの2人はお節介なぐらいに手を貸してくれるから。舞人が役に立つかは甚だ疑問だけど」
月明かりを反射する金髪を左手で遊びながらの奈季くんによる”舞人への信頼に溢れた言葉”に、きつく口許を閉じながら自らの膝もと辺りへと視線を送っていた月葉ちゃんも微笑んでくれました。天使の羽が舞い落ちたように柔らかく。
奈季にとっても月葉ちゃんが笑ってくれるなら、それが何よりでしょう。
今までだって月葉ちゃんの笑顔を奪わないための一定の距離感なのですから。
「……でも奈季だけはさずっと舞人の友達でいてくれるでしょ?」
そんな中で月葉ちゃんは自分にとっては”純粋な舞人への想い”からでも、奈季は心に暗さが宿るような問いかけを、両膝に手を置きながら送ってくれました。
友達という定義は明日の天気のように曖昧なものですが、自分なんかが胸を張って“舞人の友達”といっていいのかという疑問が奈季の中にはあったのです。
こんな時にも自分はまったく舞人の役に立てていませんし、何よりも奈季はいつからか自分こそが舞人の災いだった可能性も自覚でき始めていましたから。
それでもいまそんな事情を語っても、ただ月葉ちゃんを悲しめるだけでしょう。
「……友達だよ。舞人が友達をやめたがらないからな。これ以上ない災難だけど」
瞳を逸らしながらの奈季の言葉に月葉ちゃんは安堵したように微笑みます。
やはり月葉ちゃんはいい子でした。
どれだけ自分が悲しい運命でも舞人のことを思ってあげれるのですから。
舞人はとても幸せ者なんでしょう。
たぶん彼はあまりにも多くの人に笑顔を届けて、これからもこの世界に――。