第119話:『白金の爾汝』と『冥助の息吹』
大海を引き裂く勢いで奈季くんが黄金の槍を投擲すると、舞人は飛翔しました。
未来視から逆算したような完璧さで舞人は、黄金の槍に両足を騎乗させます。
不可侵だったはずの鎹の鉄壁にも、不協和音が入京し始めました。
奈季くんの槍は舞人たちを、鎹の少女の射程県内まで運んでくれます。
文句なんて一言さえも詮索できない、嶄然たる働きだったでしょう。
もちろん舞人は無造作に黄金の槍も使い捨てずに、白刀に融合してもらいます。
でもここからが舞人にとっては、本当の意味で未来を左右する試練でした。
舞人が鎹の少女へと終焉の鐘を鳴らすためには全力の一撃が必要だからこそ、ここからは最後の最後の瞬間まで、白き刀の力を温存しないといけないのです。
それはつまりこの生死の境界線で、攻守の両方を放棄するも同然でした。
でも幸いなのはさすがの鎹の少女も、焦りに心を束縛されていたことです。
攻守の両方を手放した舞人にとって、何よりも鎹の少女が守りに徹してしまえばそれだけで敗北はほぼ決定的でしたが、鎹の少女は冷静さを失っていたのです。
白き血の秘めたる力を全解放すると、鎹の少女の攻撃は止まってみえました。
静止画の世界に、たった1人の動く青年です。
青年は絵画の世界で、自由の鳥になりました。
「ごめんねお嬢さん。まだぼくは信じていたいんだ。この手で守りたいと思える人がいる限り、それだけでこんな世界でも生きていく価値はあるはずだってさ」
舞人が鎹の少女に捧げたのは、生命や怒りではありません。
舞人のような人間でも持つ、真っ白な優しさでした。
鎹の少女の漆黒の心臓に、金と白が混じり合う舞人の刀が接吻します。
黒と白の波動が衝突することで、物質界に破壊の旋律が響き渡りました。
鎹の少女の生命はある一瞬を境目にして、地上から零れ落ちていきます。
全てが終わったということでしょう。
鎹の少女は自らの魂が天へと浮遊する中でも、穏やかに笑ってくれていました。
それを受けて舞人は思います。
自分がこの世界に生きれる限りは、鎹の少女の理想も背負ってあげようと。
たぶんそれが舞人が鎹の少女にしてあげれる、たった1つの優しさでしたから。
舞人たちを取り囲む樹木からは、先ほどまでの駿雨が未だに滴り落ちる中で、鎹の少女が笑ったように、天からは太陽の吐息が降り注ぎ、森林に命を与えます。
でも結局最後まで舞人の表情は、達成感に満ちることはありませんでした。
一定の光りがみえる中でも、同量の影もみえるような色合いだったのです。
『……やっぱりあまり嬉しくない、舞人くん……?』
「……うんっ。今回も色々とありすぎたからさ……。……もう人間の嫌な部分にはそれなりに慣れたからそこまでは響かないけど、やっぱり鎹の子のことはね」
舞人だって頭ではわかっています。
いつ何時でも自分の理想の答えを得られるのが、この世界の真理ではないと。
生きている限りはどこかで妥協しないと、そこで歩みが止まってしまうのです。
でも舞人は思います。
自分たちは誰かの死というものに対しても、割り切らないといけないのかと。
どうしても舞人はそのような現実を潺潺と受け入れられません。
たぶん舞人は子供なのでしょう。
いつかは舞人も「仕方がない」と、現実を受け入れる時が来るのでしょうか?
惟花さんの優美な薫りの右手が、舞人の右頬を包み込みます。
心の雨が降り続けるせいか青ざめる舞人の頬を、自分の体温で温めるように。
『でもさ舞人くん? あの子が最後に笑ってくれていたのは、確かな事実なんじゃないのかな? なら今は一緒に舞人くんも笑ってあげるべきだと、わたしは思うなぁ。舞人くんは気負い過ぎなんだよ。――誰かを笑顔に出来るって本当にすごいことなのに、舞人くんはそのすごさを少し忘れちゃったりはしてない?』
やっぱり舞人にとって惟花さんは、自分の理想に命を与えたような女性です。
いつだって舞人の心を深く理解し、聖なる優しさで抱いてくれるのですから。
舞人にとって当たり前の惟花さんのような存在は本当はとても尊いのでしょう。
惟花さんが隣にいてくれたからこそ舞人は、鎹の少女や今回の件の首謀者たちのように、心が成長していく過程で、毒が混ざることもなかったのですから。
たとえ過去がどのような悪夢をみせようと、やっぱり舞人は幸せ者なのです。
そして舞人には――、
「相変わらず悪い癖だな舞人。お前俺のものをすぐに借りパクするのやめろ」
鎹の少女に永遠の静けさが訪れてくれると、何よりも先に舞人たちの安否を確認するために鎹の海を渡ってきてくれたはずなのに、こうして実際に顔を見合わせると、舞人の左手の白と金の刀をみて茶化してくる奈季くんなどもいました。
「悪いね奈季。借りパクがダメだよって、ぼくは惟花さんから教えてもらわなかったんだ。――だって惟花さんはぼくの心を奪ったまま返してくれないから」
『……舞人くん……』
相変わらず舞人と惟花さんが2人だけの世界に沈み込んでしまう中で、奈季くんは嫉妬なんて心の片隅にも抱かずに、酔っ払いでも扱うように面倒そうでした。
そんな中でもロザリアは何をやらせてもおっちょこちょいなので、舞人たちの居場所も剛速球で通り過ぎていってしまいますが、奈季くんが彼女のことを大声で呼び寄せてすぐにUターンをしてもらい、微笑みのハイタッチをかわします。
桜雪ちゃんたちのもとへとは、シェルファちゃんに乗せてもらい目指しました。
でも上空からでも桜雪ちゃんたちの喜びに満ちた声は、舞人たちに届きます。
桜雪ちゃんたちはもちろん無事で、結界内の人々も守りきれたのでしょう。
また鎹の少女にも《根幹部分に眠る優しさ》だけは最後まで流れていたようなので、愛知県全体に散らばっていた良心派の人々も、救い出すことはできました。
それならば結果的に舞人は人々から賞賛される行いを今回も行えたのでしょうが、それでも心のどこかに棘が刺さっていた舞人は、安心と安全を贈ってあげた人たちに救世主のように思ってもらえても、その喜びだけで胸を満たせません。
舞人は鎹の少女の種子を拾ってきていたので、大聖堂内の4階にある動植物を育てている部屋の土にかえしました。いつか彼女の微笑みが再び芽吹くように。
その一方で奏大くんは、白き結界を作り出していた張本人であるそよかちゃんに白馬の王子様扱いされて、慄くほどにポジティブな彼女に言い寄られてたじたじだったのですが、舞人が2人の恋物語に関わっていくのは、また別の話しです。
最初に約束した通りに舞人は惟花さんからお菓子を買ってもらえることになったので、暇そうな智夏ちゃんと冬音ちゃんの手も繋ぎ、市内に繰り出しました。
「今日もお父様とお母様とお出かけです!」
と顔を合わせた人みんなに自慢をして、「じゃあお土産を買ってきて!」と頼まれても元気よく了承し、惟花さんの出費ばかり増やしている冬音ちゃんと――、
「ねぇねぇ舞人。あれ取って」「ねぇねぇお母さん。これ買って」「ねぇねぇ。舞人。これ持って」「ねぇねぇ舞人。これ探して」「ねぇねぇ舞人。(以下略)」
と可愛いお口を開けば、舞人を奴隷のようにこき使う智夏ちゃんに、舞人は父の涙を流しながらも、この4人で時間を過ごす時間は不思議と心が安寧しました。
でもやっぱり舞人たちの外出だからこそ、夕御飯を食べてから大聖堂に戻る時には通り雨に遭遇してしまいましたが、惟花さんと智夏ちゃんと冬音ちゃんは誰一人として傘を差そうとしないので、4人で相合傘をするという世界でたった1つの光景になりながらも、まぁ梅雨時も悪くはないかなぁと思う舞人を――道端に植えられたアジサイの下で雨宿りするアマガエルさんが仰ぎみていたのでした。
しかしここで冷静に考えてみましょう。
いつまでもこうして舞人は思い出の扉を叩いて過ごしていいのでしょうか?
いいはずがありません。
過去の思い出に浸るということは、確かに人間的であっても――、
今の舞人には“時間”という、何よりも絶対的な重石があるからです。
記憶が饒舌に語ってくれた、ここまでの回想を総括すれば――、
舞人は《旭法神域にいる信徒たちの救世主だった》ということでしょうか?