第114話:『雌伏の険峻』と『鄙見の吹鳴』
《何かを与えられる側の民衆が喜び、何かを与える側の存在も笑顔になれる》
この世界にこれ以上の素晴らしき関係が、あるというのでしょうか?
鎹の少女が人々に神の愛を授けていた理由は、たった一つのようでした。
自身の愛に触れた弱き人々が喜びに満ち、温かい笑顔になってくれること。
優しき性格をする彼女にとっては、それが代わりなき幸せだったのでしょう。
でも人間というものは、愚かで劣悪な生き物です。
鎹の木の恩恵だけで幸せを謳歌できる人々がいる一方で、それだけでは飽きたらずにより多くの鎹の力を引き出して、自らの野望を叶えようとする人もいました。
そして彼らはある時に、このような予想に至ります。
もしかしたら鎹の木は人命を捧げられれば、より多くの神の愛を生むのではと。
でもこの予想が生まれた瞬間に、彼らの中で仲違いが生まれました。
その鎹の木への予想が真実か虚実かはさておいても、人を殺めてまで自分たちの理想を追い求めるのは間違っていると主張する集団と、たとえ人の命を生贄にしても、より多くの神の愛のためなら迷うべきはない、と主張する集団です。
結果的に勝利したのは、人命さえも塵のようにしか思っていない集団でした。
人の命を捧げられた鎹の少女は一種の生理反応で、神の愛を産み落とします。
自分たちの予想の的中に、高笑いをした“宿葉教会”は――、
まず手始めに《鎹の木を独自に支配できる体制》を確立しようとしました。
彼らは現段階で手に入れた神の愛を後ろ盾に、愛知県の制圧に乗り出します。
先手先手を打って、『二匹目のどじょう』を他宗派にみつけることさえ許さなかった“宿葉教会”は安定的な強さをみせ、鎹の木の統制権も無事に入手しました。
でもこうして愛知県内を統一してしまうと、《愛知県内で生贄を探す》ことはどうしても不都合なものになってしまうので、彼らが目をつけたのが隣県の岐阜です。
せめて当時の岐阜県が暗雲なき県なら、傀儡とすることも難しかったのでしょうが、当時から内戦状態にあったからこそ、そこに油を注いで群雄割拠状態を続けさせれば、鎹の木への生贄を捧げさせることも、さほどの労力でもありません。
反抗の力を奪われ、思考力だけが残った鎹の少女は、いつからかこう思います。
自分さえいなければ、弱き人々がこんなにも傷付くこともなかったのではと。
もともとは《慈愛の塊だったからこそ、人々に神の愛を授けられた》鎹の少女にとって、その現実は心臓を抉り続けられるような痛みを、生んだことでしょう。
永劫の心痛に良心が黒ずみ、破壊の衝動に魅せられてしまうのも当然でした。
だから彼女は弱き人々のために自身が修羅になり、世界を壊そうというのです。
どんなに頑張っても、この世界は――、
《誰かが泣いて誰かが笑うか、みんな泣いてしまうか》
という優しくない二択の中でしか、未来を選ぶことができないようですから。
こんなにも不条理な世界を存続させることが、本当に正義でしょうか?
鎹の少女が泣いているかのように、天からは雨がしとしとと零れ落ちました。
でも舞人も希望はあると、淡い少年のような正義は貫き通せません。
どれほど人間が醜く汚い存在なのかを、嫌というほどに知っているからです。
舞人も中心的な思想では、鎹の少女と共鳴しているのかもしれません。
でもあくまでも舞人は《優しき人たちの居場所》を作るために戦うのであり、優しき人たちを傷つけてしまってまで、世界を更正させようとは思っていません。
舞人は鎹の木へと、純化された覚悟の篭った瞳を、創唱させました。
舞人と鎹の少女の両者を象徴する《色》が、荒野に飛沫をあげます。
「瑞葉。やっぱり奈季たちのほうは厳しいのか? やけに激しそうな感じだけど」
「問題ないよ、舞人くん。奈季くんたちのほうはぜんぜん大丈夫。今も連絡は来てるからさ。――でもさ舞人くん? 奈季くんたちは、『もう舞人くんたちが鎹の木の下に捕まっちゃっている人たちを助けにいけるなら――こっちのことは待ってないで、先にその人たちを助けにいってあげてくれ』ってお願いしてるんだ」
「……」
「でもそれは僕からもお願いだし――僕からもお願いしていいかな、舞人くん?」
舞人にとって奈季くんと瑞葉くんによるこれらの頼みは、驚きではありません。
2人とも舞人に“優しい心”を教えてくれた、張本人たちなのですから。
でもいくら親友2人からのお願いとはいえ、舞人も渋りは出てしまいます。
もしこんな状況で簡単に見捨てられるなら、もうそれは親友でありませんから。
しかし奈季くんが“親友”という事実は、逆にここで後押しも生み出しました。
「問題ないよ、瑞葉。もともと奈季のことなんて――待つつもりがないからさ」
相変わらずの減らず口でしたが、奈季くんへの不変の信頼には満ちていました。