第113話:『紛擾の範疇』と『魍魎の劫火』
残り30分で、1キロほどの移動でした。
でもここからは、“鎹の木の絶対的な支配領域”に突入するので、今までに進行してきた1キロメートルという距離とは、大きく話しが異なることになります。
さすがの舞人も桜雪ちゃんや愛娘たちに力を借りながら、現地の密偵役だった少女たちの案内に従って、奈季くんたちの集合地点まで疾走していきました。
でもしかし先ほどの青年との出会いから、”反体制派”に襲撃されることはなくなったでしょうが、対する岐阜の“連合軍”はどのような態度を取るのでしょう。
やはり彼らも”反体制派”と同じく宿葉教会の敵対者なら、舞人たちとの全面的な対立はないでしょうが、彼らにとっては”反体制派”も敵であるので――、
『あっ。舞人くん。少し止まってみて』
「?」
『舞人くんならさ――あの人たちが着ているお洋服もみえたりするのかな?』
惟花さんと舞人は阿吽の呼吸です。
惟花さんの視界に映る場所は、いちいち明示されなくても理解できました。
現在地から700メートルぐらい離れているところでしょうか?
鎹の木の4属性の攻撃に抵抗する魔法は、そこでも吹き荒れていました。
でも常人ではこれほどの距離があっては、ただの戦闘光景にしかみえません。
それでなくて彼我の間でも4属性の鎹の木が大暴れし、視界が不安定ですし。
しかし舞人は把握したいものをわずかでも捉えれば、そこを拡大できました。
「あそこにみえるのは、さっきの青年と同じ赤い法衣と――紫色の法衣かな?」
「……えっ。……でも赤い法衣は、愛知県の反対派で――」
「……紫色の法衣は、岐阜県の連合軍の人々が着衣しているはずですけど……」
「なのに今はお2人さんで仲良く共闘して、鎹の木と戦っているよ」
「……龍人だけではなく歌い子の方もそのような感じなのですか、お兄様……?」
「だね。またこれも急に手を繋ぎましたよっていう、連携感でもないんだけどさ」
今回は智夏ちゃんが冬音ちゃんに対し、舞人たちの会話をわかりやすくした説明をしてあげる中で、桜雪ちゃんと惟花さんは清楚な色の瞳で見つめ合います。
桜雪ちゃんと惟花さんは、透き通った頭脳の持ち主だからこそ――、
今回の事件の真相さえも、2人の中では発光し始めているのかもしれません。
舞人の中では白き血が何かに興奮して、沸騰でもするように暴れ始めました。
『――だいじょうぶ、舞人くん? 珍しく手に汗かいているけど?』
惟花さんは愁眉そうに舞人の右手を、ぎゅっと握り締めてくれますが――、
『大丈夫だよ、惟花さん。惟花さんと手を繋ぐのが、少し緊張してるだけだから』
鎹の木に近づけば近づくほど“死の跫音”は、舞人の心を叩いてきました。
心を侵食してくる《黒くて暗い感情》を打ち払うように、舞人が刀の残像を宙に刻み続ける中で、ついに奈季くんたちとの予定の場所まで、漂着できました。
最初期の舞人たちの想定としては、宿葉教会が鎹の木の防衛線と定めている《城壁》の前で集合をして、その壁に身を隠しながら、鎹の木の中心部への潜入です。
でもすでに舞人たちの前では、10メートルもの高さの壁が死していました。
舞人たちをパノラマに包む込むように隣する視界内の至る範囲で、鎹の炎は大地を廃絶せんとする爪跡を残し、そんな鎹の甘い炎に肢体を抱擁された龍人や歌い子は鎹の木の支配下に置かれて仲間たちを殺してしまう中で、なんとか業火を免れた龍人や歌い子には状態異常の水が潸然とし、最後まで無事に生き残った龍人たちが矢継ぎ早に放つ魔法攻撃さえ、鎹の風の前では無力です。
神に愛された存在と人が戦えば、こんなにも人は無力なのでしょうか?
それでもそもそもの始まりとして、“自分たちが守ってあげるべき信徒たちのことさえもないがしろにして、鎹の木の掌握だけを求めて戦った人々が原因”なので、舞人としても同情はできませんが、さすがに側側たる心中にはなる中で、舞人が無意識に視線を集中させていたのは、奈季くんたちの方角でした。
視線の先から、鎹の木に対抗する徴表がみられるのは、生存の証拠でしょう。
あと3分でした。
あと3分でちょうど予定の5時になってしまいますが、智夏ちゃんが生み出してくれている白き防御結界で守護し続けてもらえるのも、その3分が境目です。
……でもいま奈季や奏大たちがいる場所から考えると、ぎりぎりかなぁ……。
当時の舞人は現在の舞人と違って、”白き血の使用量”に対して制限のようなものもなかったので、脳内が緩慢になったりもせずに、冷静に分析していると――、
「「「「「「「……!」」」」」」」
舞人でさえも嘔吐しかけてしまうような眩暈が、前触れなく襲撃してきました。
両足で立つことはすでに拷問に近いので、舞人は両膝を付いてしまいます。
それでも舞人は右隣の惟花さんのことだけはなんとか庇い、ほかの少女たちに目を配らせて無事であることを確認してから、さらにその奥へと視線を注ぎました。
そして舞人は声帯を失ったような、掠れ声を上げます。
「……。……。……。……なんだあれ……」
瞳では理解をできているはずですが、脳内が理解することを拒みました。
植物の根です。
終わりなきほどに長く太き鎹の根が大地に根付き、地上を爛れさせていました。
それらは一貫をして、先ほどまでは舞人たちだけにみえていた《毒々しく黒の濃霧》を装飾する一方で、太さとしては丸太が幾十本と絡まっているほどです。
現在進行形で県内全土の神の愛を吸収しているためか、血管が動くようにして全ての根が脈動していて、自分たちの母である鎹の木に、栄養を謙譲しています。
「……いったいなんなんですか、あれは。まさか鎹の木の反乱か何かですか……?」
全ての人の心が硬直する中で、もっとも先に反応したのは桜雪ちゃんでした。
桜雪ちゃんによって舞人たちも、現実的な感覚に戻されます。
「……反乱っていうよりは、粛清っていう表現が適当な感じだけどねぇ……」
鎹の木がどのような信念によって神の愛を作っていたのは不明ですが、それを人間のためだけに作っていたと考えるのは、いささか傲慢でしょう。そもそも人がこの世界の支配者だと嘯いているのは、当の人間たちだけなのですから。
でも人間が世界の支配者ではないからといい、じゃあ目の前の鎹の木が、“至上者”という域に分類される存在なのかは断言できませんが、ただ1つだけいえることは、鎹の木の怒りです。彼女は何らかの理由から、人間に激怒していました。
そしてそんな中で偶然か必然か舞人の脳内に、“鎹の少女の声”が汲み入ります。
鎹の少女は妬み、哀れみ、羨んでいたのでしょう。
“白き血”という自分と同じような超常的な力をもってしまった、舞人の事を。