第112話:『臥竜の沈鐘』と『狭霧の覇道』
「待て待て。何事もなく立ち去ろうとするな。――お前たちは誰の手先なんだ?」
さすがにこれほどの大所帯で仲間のフリをするのは、無理があったようでした。
姿を見咎められば、舞人たちの存在の威容性だって、感付かれてしまいます。
舞人は右隣の惟花さんのことを軽く後ろに下げながらも、友好的に接しました。
「あいにくと恥ずかしがり屋さんだね」
「そんな周りに女ばかり連れているのに?」
「むしろ女の子ばかり連れているからではなくて?」
「そうか。名乗りたくないならそれでいいよ。あんたたちに構っているほど、今は俺たちも暇じゃないんでね。あんたたちは運がいいよ。――でもここからは出て行ってくれ。あいにくこれは部外者が関わっていい問題じゃないんでね」
なるほど。確かに彼らにとっては舞人たちに介入されると、不都合でしょう。
鎹の木を独り占めするために、大地を血で染めているのに――、
明らかに紛争の仲裁者の舞人たちが、そんな事を認めるはずがありませんから。
でもここで舞人だって、はいそうですかと引き下がるわけにはいきません。
「――正直にいってさぼく的には、私利私欲に溺れたお前たちがどうなろうと、知ったことじゃないよ。むしろ殺し合って全滅してくれるなら、こんな腐った世界が多少は平和になってくれて何よりだね。――でもぼくが引き下がれないのは、お前たちのせいで、罪のない人たちが何十万と傷付いているからだよ。あいにくと力なき人が犠牲の中心になった時点で、その戦いは理想のための闘争じゃなくて、虐殺だ。あんたらがどんな信念に従って動いていようと、そんなの正しいはずがない」
「素晴らしいね。――でも立派な御高説なら、俺たちが考えを改めるとでも?」
舞人たちは髪に隠す水色ピアスを使い、思念で通じ合うことができました。
桜雪ちゃんは、『少しだけ時間を稼いでください、お兄様』と願ってきます。
舞人は疑問さえ抱かずに桜雪ちゃんに従い、ゆっくりと言の葉を音にしました。
「思ってないよ。ぼくだってそこまで御花畑じゃない。――でもぼくたちは余計な争いを起こすつもりはないから、お前たちとも争いたくない。今は宿葉教会に捕らわれている人を助けたいんだ。でもお前たちにとってもそれは好都合だろ?」
舞人から持ち掛けたこの交渉も、決して苦し紛れのものではありません。
鎹の木で苦戦する彼らにとって舞人たちは、青天の霹靂の来客なのですから。
本当に舞人たちが宿葉教会と全面対立をしてくれるなら、感謝の豪雨でしょう。
でもこの仮定は全て、青年が《人並みの賢さと柔軟さ》を持つ事が前提でした。
街中で奏楽される恭敬な歌声に混じって、彼は黄金色の槍を一閃します。
夕日よりも赤々しき腕輪が、舞人たちの手首に装飾されました。
さすがに何もなく見逃したりはせずに、反体制派としての証を渡すようです。
そもそも彼らは、宿葉教会に反発している愛知県の各宗派を集約した存在だからこそ、このような《腕輪》のあるなしで、敵と味方の識別をしているのでしょう。
また舞人たちを見逃すのに、なんら細工のない腕輪を渡すとも思えません。
何らかの魔法効果で縛り付けられてしまったとみるのが、適当でしょうか?
でも正直にいってそのようなものは、あとからどうにでもできてしまいます。
今はこの青年に睨まれさえしなければ、それで十分でしょう。
「はいっ。つけたよ、このお洒落な腕輪。これで問題ないでしょ?」
「問題ないな。でもあんたたちも気をつけろよ。今日の鎹の木は荒々しいから」
ここで舞人は思いました。やっぱりあの青年の声は、なぜか弾んでいるなぁと。
単純にいえば彼の機嫌は、標準値を越えていたのでした。
でもどうして青年はこんな“鎹の木の暴走下”で、機嫌がよいのでしょう。
謎は深まるばかりでした。
舞人たちから離れた青年は快足を飛ばし、鎹の木へと屋根上を駆けていきます。
当然舞人としては追跡もできますが、惟花さんは軽く右手を握ってきました。
どうやら少し話し合いの間が欲しいようなので、舞人は結界を張ってあげます。
桜雪ちゃんはそれを確認したあとに、早速惟花さんへとささやいていきました。
「やはり惟花様なら、あの青年の不自然さにも、お気付きになられましたか?」
『……うんっ。なんだかあの子は、本当に急に神の愛が増えた感じがしたよね?』
「でもこの付近にあるのは、彼と仲間と思われる神の愛だけですよね、お兄様?」
「……んっ? うんっ。そうだねぇ。ほかのグループって感じのは特にないかな」
「でもあの鎹の木に喧嘩を売っているのは、色々な人たちの集まりなんでしょ?」
鎹の木を見上げながらの智夏ちゃんの一言に、みんなは沈黙をしました。
今まで漠然と感じていた疑問が、ここにきて再び勢威を強めたからです。
確かに鎹の木周辺には“反体制派”と“連合軍”の気配があるはずなのに、このいったいに存在するのはあの青年が母体とする、神の愛の雰囲気だけですから。
百歩譲って鎹の木の攻撃によって、彼が所属する宗派以外の人々が傷付き果ててしまったのだとしても、先ほどの青年のあの余裕そうな表情はなんなのでしょう。
そんなにも絶望的な状況で、いったいどこに希望をみているのでしょうか??
現在の状況から考えられる、もっとも妥当な案としては――、
「――まさか彼は自らの手で、自分の“仲間たち”を殺したということですか?」
となるのですが――、
『……でもここまで来て、そんなことをするのかなぁ。確かに神の愛は一箇所に集められるけど、鎹の木さんが相手なら――逆にそれは負けの一手でしょ?』
という惟花さんの意見には随従しかできないため、疑問が渦巻くばかりです。
「……てか実際のところは鎹の木の周辺でも、複雑な戦闘は起きてないねぇ。攻撃を振るう鎹の木と、さっきの青年みたいに、鎹の木に接近する人だけっぽい」
「……まさかこの期に及んで宿葉教会の人々は、尻尾を巻いて逃げたのですか?」
お馬鹿な冬音ちゃんは話しについていけなくても、一生懸命に相槌だけは打っているので、惟花さんはお母さんらしく、冬音ちゃんにフォローをしてあげます。
しかし智夏ちゃんはそんな冬音ちゃんと対照的に、話しを理解できていました。
世間知らずのお姫様のような傲岸不遜な感じで、鎹の木を見上げながらも――、
「ふぅん。でもあんな《怪物の木》でも、今までは信徒たちの力を必要としたの?」
「今まではですけどね。だってあんな風に鎹の木が暴れるのは始めてですから」
「……じゃあ無茶苦茶だね。状況が予想以上にこんがらがってる……」
『……ならもう隠密的に動くよりも、積極的に動いたほうがいいのかもしれないね? ……あの中に本当に無実な人たちがいるなら、さすがに心配だしさ?』
「――どうする、瑞葉? 惟花さんはもう暴れるべきだっていっているけど」
「う~ん。そうだねぇ。とりあえず鎹の木の下に捕らわれている人たちがいるかもしれないなら、惟花ちゃんのいう通りかなぁ。でも無理はしないでね、みんな?」
「了解した」
混沌を極限化したような状況は舞人たちにとって、利益と不利益の両方でした。
利益としては、無理に舞人たちが存在を隠蔽する必要がなくなった点で――、
不利益は、宿葉教会に捕らわれる人々の安全が、保障されなくなった点です。
最終的にこの展開が舞人たちにとって、“+”か“-”かは不明ですが――、
何はともあれまずは、奈季くんたちとの集合場所へと向かうしかありません。