第107話:『叢雲の訌争』と『雑糅の截然』
英雄の生誕でした。
でも特筆すべきことに彼らは、誰か一人の指導者のもとに集約をされた存在ではなく、群雄割拠の時代に終止符を打てない《無能なリーダーたち》を厭った豪傑たちが岐阜県のあらゆる地域で蜂起して誕生した、風雲児の集合体なのです。
革命の先導者となった人々は、以前から横の繋がりがあったようなので、彼らが岐阜県を統一してからは争いが消え、ついに岐阜県から《戦の音》が消えました。
自立の曙光がみえ始めた岐阜県に、これからも愛知県が安定的な援助を続けてくれれば、衰弱した岐阜県も《平和》の二文字を、大きく引き寄せられたでしょう。
でも人間は、そんなに賢い存在ではありません。
今度は愛知県内で、悪夢が跳梁したような災厄が跋扈してしまったのです。
虐殺でした。
愛知県が難民者として岐阜から受け入れていた数十万の人々が、被害者です。
でもこの件の首謀者は、すぐに判明します。
愛知の中心派閥である“宿葉寺院”への、反発者たちでした。
彼らの正体は同じく愛知県内にいながらも、過去の大戦で破れたために宿葉寺院の下部組織として扱われていた――ほかの宗派たちです。今回はそんな彼らを、“反体制派”と命名しましょう。そしてそんな反体制派の主張は、こうでした。
『今回のように岐阜県内が1つの国としてまとまってしまうと、自分たちの脅威になる可能性があるからこそ、《芽が出る前に刈り取るべき》という自分たちの主張を聞かずに、岐阜県内の人々の尊厳を重視し続けた宿葉教会の態度に、自分たちは沈黙できない。先見の明なき宿葉教会に全権を預けていたら、愛知県の象徴である鎹の木の将来が心配なので、自分たちこそが鎹の木の《真の支配者》に相応しい』
このような宣戦布告は決して迷妄だったものではなく、また《鎹の木の独占》を快く思わない人々が愛知県内には腐ってしまうほどにいたので、反体制派は世を震駭させるほどの兵数を味方にしたまま、大剛なる蛮力を振るいました。
また反体制派が手始めに岐阜県の難民者たちを伐採した理由は、2つです。
まず第一に、“反体制派”という1つの理念に収束された集団で軍靴を鳴らす門出を大勝で祝うことによって、反体制派の団結力と戦意を上昇させたい。
そして2つ目は、同じく宿葉寺院に不満を持ちながらも、反体制派に付くことが本当に勝ち馬なのか逡巡をしていた人々に、決定的な後押しをすることです。
最終的に反体制派の総戦力は、愛知県内の龍人と歌い子の約8割となりました。
残りのたった2割が、宿葉教会が行う寡頭政治に賛成している人々です。
しかしそれでも戦局的に有利なのは、宿葉寺院側でしょう。
彼らの天上の神である鎹の木は、それほどまでに恐ろしき存在でしたから。
反体制派がこの戦いで勝利するには、《短期決戦》が最低条件です。
だからこそ彼らは、自分たちの短所は捨て置き、長所に全てを注ぎました。
当然反体制派は愛知県内の各エリアに満遍なく分布できていたからこそ、名古屋市周辺に生息する宿葉寺院を全方位から包囲できたのはもちろん、彼らを陸の孤島とするため、宿葉寺院に味方した宗派を討伐する作戦も同時進行します。
また確かに反体制派は宿葉寺院の味方をした派閥に一定の兵力を割かれため、《総攻撃》を仕掛けることはできませんが、それでも総兵数では圧倒でした。
反体制派が1つの軍団を6つから8つの師団で、編成できたのに対し――、
宿葉寺院は彼らの1つの軍団を2つから3つの師団で、迎撃が精一杯です。
さらに反体制派は、力任せになるような戦法は自分たちの禁忌として、《前線で戦う3つから4つの師団に一定の負傷者が出た場合は、後方に控える人々と交代して回復を施し、その間に新たな前線者たちにも一定の負傷者が出たら再び彼らを――という作戦》を取って、宿葉教会を肉体的と精神的に挟撃しました。
攻城をする反体制派に天来の勢いがあれば、防衛側の宿葉寺院は自然と彼らの勢いに制圧され、客観的にみても有利な宿葉寺院がまったく主導権を握れずに、絶え間なく迫り来る《強襲や急襲や奇襲》を食い止めるだけで、手一杯になります。
しかしこんな両者の争いで真の意味で台風の目になったのは、岐阜県でした。
極論をいえば、《頼んでもいないのに自らの県民たちを難民者として勝手に奪われたあげく、虐殺をされた》ともなれば、黙っていることもできないのでしょう。
岐阜県が抱いた憎悪と激憤は、宿葉寺院と反体制派の両方に成熟しました。
当初から先行きが濛々としていた宿葉教会と反体制派の争いに、岐阜県の連合軍まで激情をぶつけることによって、戦場はより混沌の色を極めます。
宿葉教会としては《いくら“鎹の木”を味方にしていても、兵数の部分では死相が疾走するほどに劣っています》し、反体制派は《龍人や歌い子の数に威厳はあっても、長期戦になればなるほど神の愛の供給は滞り始めます》し、岐阜の連合軍は《戦慣れはしているといっても、兵数と神の愛が絶望的に心もとない》のです。
紛争が長期化するに比例して、徐々にそれぞれの宗派の欲望も丸出しになり、自らの一般信徒たちのことをないがしろにしても、《鎹の木》を掌握するために手段を問わなくなってきたので、舞人たちの介入が求められたということです。
今まで通り鎹の木の権力に執着したい宿葉教会と、それが許せない反体制派と、鎹の木を入手して新たな岐阜県を作りたい岐阜の連合軍の間に挟まれて――、
……いったいどうしろっていうのよ……。
というのが舞人たちの本音ではありましたが、この戦いを裏で操る好戦派たちを一掃して、少数ながらもいるだろう非戦派の裨益となり、彼らにそれぞれの県の統治をお願いしようというのが、今回の舞人たちの使命のようでした。