第102話:『潸潸の頽唐』と『躍動の美妙』
そうですね。時は現在の舞人からも幾ばくも離れていない、数年前でしょうか?
季節は桜が咲く頃ではなく、雨がよく降る頃でした。梅雨時期です。
その年の梅雨は空梅雨ではなく、本物の梅雨でした。強いていえば本梅雨です。
別に舞人は天然パーマではないので、梅雨時期だからといって、さほど困ることはありませんが、雨ばかり降っているのに、進んで外出しようとも思えません。
だから舞人も大人しく、大聖堂内のどこかにはいたのでした。
お手洗いの時も傍を離れない冬音ちゃんと、馬鹿なことばかりしながら。
この2人が揃うとなると、当然智夏ちゃんだってセットになりました。
ついさっきまで舞人と冬音ちゃんは理由もなく智夏ちゃんの部屋にお邪魔していたのですが、あまりにも退屈なために《漁師とマグロごっこ》なんかをし始めた2人を哀れたんだのか、《図書館から本を借りてきてもらえるかな、舞人くんと冬音ちゃん?》と惟花さんは頼んでくれたので、喜んで了承した2人組みは、何か所要を桜雪ちゃんと済ませている惟花さんの机のもとにそれを置いて、再び智夏ちゃんの部屋へと舞い戻っていきました。ムカデのように2人で連なりながら。
しかし智夏ちゃんだからこそ、ここで馬鹿2人を締め出す可能性がありました。
部屋の扉の裏側に立って、舞人たちが扉を開けないようにして。
鬼畜の鏡でしょう。
でもいざ舞人たちが扉を押してみても、計画に穴を穿たれたりはしません。
それどころか智夏ちゃんは鏡の前に座って、不思議なポーズをしていたのです。
舞人が「?」となる中で冬音ちゃんは、智夏ちゃんに巻き付いていきました。
「智夏。智夏。いつも通り暇を持て余してるところ――すみません」
「何よ、冬音。そんな失礼な前置きで、本当にすみませんと思ってるの?」
なんだかんだいう智夏ちゃんも、冬音ちゃんのことが大好きなようです。
背中からぎゅっと抱き付かれても眉をしかめるどころか、頬を緩めましたから。
双子の娘たちの仲が良好そうで、父親としては何よりです。
でもそんな中で舞人は、「!」となりました。
智夏ちゃんの不思議な恰好に、合点がいったのです。
「まさか、ちなっちゃん。それは大仏のマネマネをしてるの?」
「違うわよ! ヨガよヨガ! なんで鏡の前で大仏のモノマネをしているのよ!」
「いやっ。大好きなぼくのことを笑わせようと思って、一発芸の練習かなって」
「そんなわけあるか!」
「! じゃあ今のちなっちゃんを、ぼくの一発芸にしていい?」
「しちゃダメよ! 娘を笑い物にして、父親が笑いを稼がないで! ――てかいくら舞人だって、わたしが本気で大仏のモノマネをしていたら悲しいでしょ?」
「ふにゅぅ」
「わたしはそんな意味不明な返事をする人が実の父親で、すごく悲しいわ」
背後を振り返り舞人のほうを見上げていた智夏ちゃんは、特別に悲しみます。
冬音ちゃんはそんな智夏ちゃんに、相変わらずマーキング行為をしながら――、
「智夏。智夏。これから智夏は何か用事がありますか?」
「えぇ。特にないわよ。雨ばかり降っているしね」
「じゃあこれからわたしとお父様と一緒に――おしっこしましょう!」
「はぁ?」
「間違えました! これから一緒に――お出かけしましょうでした!」
「どんな言い間違えよ。冬音はお馬鹿なんだから、お口にチャックしなさい」
なんてことでしょう。今日の智夏ちゃんは偉大なほどに、機嫌がいいようです。
自分の左肩へとお顔を乗せてきている、冬音ちゃんの健康的な色合いをする唇を、寝かせた親指と人差し指で挟み、洗濯ばさみのように動きを封じていました。
構ってもらって大喜びの冬音ちゃんは、何かあったように人差し指を上に向け、智夏ちゃんをそちらに振り向かせてから、彼女のほっぺにチューしていきます。
愛娘たちがイチャイチャキャピキャピする中で、当の2人のお父様は――、
「もしもし? ――ううんっ。違うわ。それは間違い電話よ! ふざけないでっ!」
「ちょっとちょっと、舞人! 勝手にわたしの電話を取って、怒鳴らないでよ!」
「ごめん、ちなっちゃん。興奮しちゃって」
「興奮したからって勝手に娘の電話に出るなんて、ただの危ない人じゃない!」
「ちゃんと智夏ちゃんのマネマネをしたんだから許してよ」
「余計に悪質だから怒っているのよ! ――てか誰から電話をかかってきたの?」
「『もしもし、智夏ちゃん? やっと電話に出てくれた! 舞人くんと冬音ちゃんは絶対に携帯を持って歩かないから連絡が付かないんだけど、智夏ちゃんは――』って電話なのに声がでかい人。なんか用がありそうだけど、間違い電話みたい」
「ありがとう、お父さん。それは間違い電話だから放っておいていいわよ」
あぁ。なんて瑞葉くんは哀れでしょう。
今ごろ間抜けらしく首を傾げながら、再び智夏ちゃんにかけ直している頃です。
このあとも舞人たちは、電話越しの瑞葉くんのことをさんざんからかって笑い転げてから、そんな瑞葉くんから頼まれた《お使い》を外出ついでに達成してあげたあと、再び自分たちの部屋に戻って、昼食の準備を始めることにしました。
3人の中で料理が出来るのは、智夏ちゃんと冬音ちゃんです。
横暴な冬音ちゃんと変態の冬音ちゃんは、他者がひれ伏すほどに家庭的でした。
2人も惟花さんの子供なので、彼女の得意な面は受け継いでいるのでしょう。
退屈を厭う舞人が、理由もなく台所に入り、2人のお邪魔虫をしていると――、
「ねぇ冬音? あなたのフランスパンは、いつも通りの大きさに切ればいいの?」
なんて質問を右隣で鼻歌を歌う冬音ちゃんに渡す智夏ちゃんが、舞人の大事なおててをまな板の上に乗車させ、パンナイフを振りかざすので、悲鳴を上げました。
そんなこんなをしながらも智夏ちゃんは、『ストロベリーチョコクリームケーキ(超巨大)』に命を吹き込んでくれて、一方で冬音ちゃんは智夏ちゃんが小分けにしてくれたフランスパンに紅茶を付属した『パンティー(毎食のように食べさせてくれる)』と『オッパイ(オレンジとアップルのパイ)』を、献上してくれました。
童話の中に出てくる悪い王様のように横暴な智夏ちゃんも、《女の子らしさ》は失っていないどころか冬音ちゃんよりも強いので、お皿への盛り付けも大胆にならずにお手本のような丁寧さで、命名だってネタに走るようなことはありません。
でもそんな智夏ちゃんとは対照的に冬音ちゃんは、隙あらばエッチな話題です。
パンティーとオッパイが、舞人に作ってくれた料理の題名だというのですから。
パンティーのポイントは、《リンゴジャム》と《ピーナッツジャム》と《イチゴジャム》の3つから選べる点で、オッパイはオッパイのように円形をしているしているところがポイントのようです(冬音ちゃん的には、Dカップをイメージ)。
でもさすがの舞人も「よく頑張ったね、冬音ちゃん?」とは頭を撫でれません。
気難しい料理家のように無言で立ち尽くし、2つの卑猥な料理を見下ろします。
でもそんな中でも、無垢で能天気な冬音ちゃんは、天使のような笑顔で――、
「どうですか、お父様?」
と確かめてくれるので――、
「――うんっ。素晴らしいよ、冬音ちゃん。こんなに美味しそうなお料理をお父さんは始めてみたかもしれない。本当に冬音ちゃんはお料理が上手なんだね?」
と結局は冬音ちゃんのことを、にこにこ笑顔で甘やかしてしまいました。
ダメな父親の典型例でしょう。
しかしこのパイだって、馬鹿にしたものではありません。むしろ極上でした。
食べ方の王道は、まず初めにパイの頂上部をスプーンで全て崩し、そのパイの欠片をオレンジとアップルが眠る空洞内に押し込んでから、全てをすくうのです。
味は端的にいえば、爽やか系でした。
一口食べただけでも胃がむっとするような暴力的な甘さではなく、麻薬でも入っているように毎日食べたくなるあとを引く爽やかさが、これにはあったのです。
何千年と眠り続けた銅像さんさえも、踊り出してしまうような美味さでした。
舞人はもちろんですが、惟花さんだってこれは、べた褒めしてしまいます。
でも惟花さんは、パイの味を賞賛する一方で、《『おっぱい』が人気なことを喜び、今度は『お〇んこ』という料理を作らないか》という心配をしていました。
今回は珍しく舞人のほうから突っ込みます。
「いったいどんな材料を使ってどんな料理を作ったら、そんな題名になるのよ」
ある意味で舞人の指摘は、正しきものだったでしょう。
でもそんな舞人の脳内へと、悪戯な神様が痛打を与えるように――、
『お野菜とマツタケを作った、ロマン風コロッケ?』
なんていうアイディアが、浮かんでしまいました。
いまこの時ほど「……」となった時は、人生で3本の指に入ったでしょう。
しかし何はともあれ舞人は昼食を終えると、午後も智夏ちゃんや冬音ちゃんと時間を潰し、寝台で転がり続けるような怠惰な生活をしていると、しきりに本日は何かの用事を済ませていた惟花さんと桜雪ちゃんが、再び登場してくれました。
どうやら惟花さんたちは、先ほど舞人たちが《お使い》を達成してあげた瑞葉くんから、また別の頼まれことを受け取って、それを届けに来てくれたようです。
でも今回は暇な舞人たちを思っての、《優しいお使い》ではありません。
愛知県と岐阜県の両県を屠場にして、大規模な紛争が発生したようでした。