第101話:『終極の流涕』と『若葉の超克』
「……きゃぁ! 助けて、ミズハーン!」
みんなが「!」となるほどに、とても演技達者な女性の悲鳴が響き渡りました。
声の主へと視線を動かした舞人たちは、我が目を疑ってしまいます。
闇色の翼を持つ悪魔たちが、いつのまにか集団を形成していたからです。
彼らに囚われてしまっている少女が、先ほどの悲鳴をあげたようでした。
とっさに開演した謎の演劇には、誰もが観客にしかなれない中で――、
「ふははっ、そこまでだ、ナギーズ!」
中央ホールの2階部分にみえていた回廊から、《何者か》が飛び降ります。
首と顔の下半分を覆う白マフラーと、体を包む白きローブが、風に踊りました。
観客たちは一拍を置いたあとに、あやつは瑞葉くんだと気付きます。
変装をしていても、瑞葉くん特有の《へんてこオーラ》がむんむんなのでした。
迷惑としかいえない、存在感でしょう。
しかし奏大くんは正体がわからないので、瞳を輝かせます。
馬鹿瑞葉くんが奏大くんを幻滅させるような失態を犯さないか、みなは不安になりましたが、仮にも瑞葉くんは自分たちのリーダーです。たまには信じましょう。
悪魔たちは謎の言語で意思疎通すると、瑞葉くんの排除を決定したようです。
卑怯というよりも、むしろ高貴さを感じてしまうような行動の迅速さで、未だに戦闘態勢さえも取っていない瑞葉くんのことを、消し去ってしまおうとしました。
しかしミズハーンは、余裕な態度を崩しません。
マフラーで覆う口許の下で一度笑うと、悪魔と相対していきました。
打ち合わせ通りに悪魔たちは、見事な名演技でどんどん倒れていってくれます。
当のミズハーンはというと、いちいち彼らのことを倒したあとに、舞人たちから奏大くんのほうへと眼差しを送ってきているのは、幻覚ではなく現実でしょう。
だから舞人が――、
《いちいちこっちみるなよ、馬鹿瑞葉》
という視線を向けると、ミズハーンは親指を立ててきました。
これには舞人たちも一斉に、胸の中で大きなため息をついてしまう中で――、
「……!」
ついにミズハーンが、悪魔たちのリーダーにも、正義の拳を与えてくれます。
ヒーローらしからぬしてやったりの顔を、ミズハーンは浮かべました。
「……ありがとう、ミズハーン……」
よく考えなくてもミズハーンという名は滑稽なので、吹き出しそうになります。
それでも奏大くんのために唇を閉じる中で、瑞葉くんは爽やかに微笑みました。
あとは少女の手を取ったあとに、決め台詞を決めて、この場を去るだけです。
演説の上手さには定評のある瑞葉くんなら、言葉を噛んだりもしないでしょう。
だからもう心配はないかと、みんなが深邃な安堵を覚える中で――、
「!」
ぷっぷぷっという空砲が、静寂なるホールに反響しました。
「……。……。……」
という沈黙が、満遍なくみんなの心の中に屹立したあとに、誰もが察します。
戦闘の緊張がほどけたミズハーンは、お尻の緊張までほどけてしまったのだと。
それでもさすがに今回は黙殺する中で、なぜか瑞葉くんは自分で拾います。
『やばい、舞人くん! 緊急事態だ! ――あとは任せてもいい?』
『なんだよ、ミズハーン。今さらおなら3連発なんて、恥ずかしくもないだろ』
『違うよ、舞人くん! ウォーターうんちのほうが――』
『お前、今すぐトイレいけよ!』
『ミズハーンは変身して1分立っちゃうと、うんちが漏れちゃうんだ!』
『しるかよ! てか汚ねえな、瑞葉! もう瑞葉とは戦隊ごっこしないからな!』
『えぇ! いじわるいわないでよ舞人くん! これからも戦隊ごっこしようよ!』
ヒーローが戦闘終わりにうんちを漏らすなんて、幻滅でした。
これではどちらが本当の悪役かわかりません。
さすがの奏大くんも、がっかりしてしまっているかと思ったら――、
「ミズハーンはお腹が痛くても戦える格好いいヒーローだね、舞人お兄ちゃん? たぶんミズハーンはお腹の痛さよりも、あの女の子を優先したんだよ!」
と解釈してくれていました。
舞人たちは奏大くんの純粋さに、うんちではなく涙を漏らします。
「さようなら、奏大くん! ミズハーンはすぐにお腹が痛くなっちゃうけど、困っている人とトイレのあるところには、必ず現われるヒーローだよ! だから奏大くんのお家のトイレにも、ウォシュレットがある限りは必ず現われるからね!」
《なんだよ、その決め台詞。人の家のトイレを勝手に使う気まんまんじゃねえか》
という舞人の心の台詞は、惟花さんでさえも思ってしまったことでしょう。
何はともあれ舞人は無事に当時の執務室へと戻ると、自分に近しい人たちに、より詳しく奏大くんを紹介して、お互いに交流を深めてもらっていると――、
「あっ。ごめんごめん、みんな。待たせちゃったかな?」
着替えた《うんち漏らし》が登場したので、舞人は一歩引いてしまいました。
でもメンタルの強さに定評がある瑞葉くんは、こんなこと屁にも思いません。
「始めましてかな、奏大くん? 僕がこの街の司教をやらせてもらっている、城崎瑞葉だよ? 舞人くんやお父さんたちから、僕のことは聞いているかな?」
奏大くんは頭を下げました。瑞葉くんのことを、ミズハーンだとは気付かずに。
そして瑞葉くんは、そんな奏大くんの頭に手のひらを置いてあげながら――、
《何も不自由なことがないように、奏大くんや七翼教会の人を全力で支援をする》
という思いを、奏大くん本人に伝えてあげていました。
奏大くんにとってはいまの瑞葉くんも、ヒーローのようにみえたのでしょうか? 1人の司教の息子としても奏大くんは、素直にお礼を紡いでいました。
また奏大くんの周りには、ほかにも優しくしてくれる人が大勢いたので、舞人たちの思いは奏大くん本人の大切な部分にも、届いてくれていたのです。
でもやはり奏大くんにとっては、舞人が特別な存在なのでしょう。
野良犬のように落ち着きのない舞人が、すぐにどこかにいこうとすると――、
「どこに行くの、舞人お兄ちゃん?」
と毎度のように尋ねてきてくれて、必ず一緒に付いて来てくれたのですから。
年下の男の子にこうも慕われることのなかった舞人としては、《むむぅ》という感じになってしまいましたが、散歩をされる子犬のように奏大くんは斜め後ろを歩き付いてくれるので、舞人も大聖堂内や宇都宮市の案内などをしてあげました。
そして舞人は奏大くんを観察する中で気付いたのですが、どうやら奏大くんは風歌ちゃんと同じく本を読むことが好きなようなので、当時から現在と変わらないほどの蔵書を秘めていた魔法学校内の図書館によく赴き、図書館から本を借りるのではなくパクってしまう方法なども、舞人は特別に伝授してあげたのです。
そんなこんなで奏大くんは、“犯罪”と“怠惰”しかない舞人なんかを師匠としても、天真爛漫に笑ってくれていたのですが、それでも時おり、大好きな家族たちと離れてしまったことを思い出して、悲しげにしたりしていましたが、舞人たちの慰めもあって、徐々に奏大くんも現実を受け止めてくれるようになります。
心にぽっかりと穴が空いているうちはどこか消極的だった奏大くんも、その穴が徐々に埋まり始めると、大好きな家族のみんなの望みだった、《みんなが笑える世界》を作るために、舞人みたいに強くなりたいと考えてくれるようになりました。
またこの頃はすでに舞人だって、奏大くんのことを実の弟のように鍾愛していたので、自分が教えられる事は、全て奏大くんに伝授してあげることにしたのです。
功を奏したのは、奏大くんが師匠の3馬鹿より賢い少年だった点でしょうか?
舞人や奈季くんから教授してもらった、体術や剣術を妙技で習得できたのはもちろん、瑞葉くんから教えてもらった魔術まで、それらに応用できたのですから。
奏大くんは舞人たちでさえも感動するような勢いで成長してくれたので、翌年に設立された魔法アカデミーに瑞葉くんの計らいで入学をして、学内でも奏大くんは最優秀な成績を残し、そのまま奏大くんは瑞葉くんにお願いをして、魔法アカデミーで後進者を育てることになる、《教師》という立場になったのでした。
奏大くんは舞人たちとは別の立場から、世界の平和を望んでいるのでしょう。
でもオチをいえば、舞人はこれら全ての記憶を思い出すことができていません。
奏大くんと出会ったあとの記憶なら鮮明に蘇っていたのですが、それ以前に御前崎市内で刻印された記憶は、完全にすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。
《辛い記憶》を取り戻すことを、本能が拒否しているのかもしれません。
精神的な幼稚さが、可愛い自分のことを守ろうとしているというわけです。
そしてこんな奏大くんと、奏大くんを思慕しているそよかちゃんの出会いまで詳細に語ると、いくらなんでも舌が渇いてしまうので、簡潔に述べましょう。
だってあの時に舞人は、”世界の悲しみ”を、改めて心に刻んだのですから。