第97話:『牢乎の魔除』と『苦衷の明暢』
とても小規模な平屋の民家です。
外観から明察した限り、10畳ほどの建物でしょうか?
刀を触れ合わせるべきと思われるような、不自然な箇所さえもみられません。
1人暮らし用の建物が密集している地区では、一般的な1つの建物でしょう。
「……でも鍵っていうか、結界が張ってあるのかな? まぁ当然ではあるけどさ」
『でもこれはすごく珍しい奴だよね? たぶん瑞葉くんだって知らないやつだよ』
「なんかそんな感じだよねぇ。でも瑞葉へのお土産が増えてよかったじゃん」
舞人の白き血は誇張なく神秘的です。力押しでも結界の解除はできるでしょう。
でもせっかく舞人たちの手元には、瑞葉くんの魔法書があるのです。
魔法書の力を借りた方が時間も労力も、七不思議のように削減できるでしょう。
まずは舞人の白き血によって、結界の分析を行ってから――、
結界の開錠に必要なものを魔法書の中から取り出して、順番通りに発動します。
《舞人が分析係りで、惟花さんが魔法書担当》という明確な役割分担をしたこともあり、結界の前にしゃがみ込み5分ほど立った頃には、変化が現われました。
建物の木壁を沿うようにして、儚い雪色の光りが、優雅に弾け飛んだのです。
少年を守り続けた結界が、役割を終えてくれたのでしょうか?
すぐ隣にいて身体を温め合う舞人と惟花さんは、敬礼すべき結界に感謝の念を捧げたあと、開錠された玄関扉を押して、建物の聖域内へとお邪魔します。
入っていきなりリビングで、左斜め奥には水周り関係が見受けられました。
淡々とした樹木の匂いが、心を落ち着かせ、緊張の念なども抱きません。
「『おじゃましま~す』」
という合唱をしたあとに、舞人と惟花さんは靴を脱いで――、
リビング奥の壁沿いにある寝台まで、足裏で床板を磨いていくことにました。
寝ている時に変に起こしたら、間違いなく不審者と認定されてしまうので、足音に注意する舞人と惟花さんは、亀裂が入った薄氷を踏むように慎重になります。
こうして寝台の隣へと無事に膝付いた舞人は、心が劈開しました。
予想をしていたよりも遥かに幼い少年が、寝台の上には眠っていたのです。
司教の年齢は40歳前後で、彼の息子と娘は、18歳前後の容貌でした。
だから弟くんは、16歳前後の青年かと思ったら――、
なんと実際は、舞人よりも年下の少年が、瞳を閉じていたのです!
9歳前後でしょうか? 当時の舞人よりも、2歳前後も年下の男の子でした。
でも人違いではありません。
この美童なる少年が、彼らの宝物なんでしょう。
感じる気配はもちろんですが、《寝台の上部に備えられた小物置き》です。
ここに眠る少年と先ほどの司教家族が印された写真が、そこにはありました。
大聖堂を後ろに従えての、ある夏の日の1枚でしょうか?
そしてそんな写真立ての左横には、もう1つだけ古い写真立てがみえました。
やはりこちらにも、4名の人物が映っています。
少年の両親と、少年のお兄さんとお姉さんでしょう。
写真内にいるお兄さんの顔立ちや背格好は、現在の少年とそっくりでした。
この写真は少年が生まれるわずか前に、撮ったものなのかもしれません。
そういわれればこの美しき母親の面影も、寝台の少年には色濃く残っています。
でも時が新しき写真には姿がなく、時が古き写真だけに描かれる少年の母親には何があったのかなと思いましたが、それを詮索するのは、さすがに野暮でしょう。
人には人それぞれの人生がありますから。
掛け布団の中に潜らずに、その上にあった少年の左手に、まず舞人は触れます。
んっ。これは結構冷たいなぁというのが、率直な感想でした。
体温はおよそ30度前後なので、一種の冬眠状態にあるのでしょうか?
飲食活動もせずに数ヶ月ほど匿うには、そうするしかなかったはずですから。
最後の眠りに入る前の少年が、家族のみんなとどのようなお別れをしたのかは不明ですが、決して典雅なものではないのでしょう。御前崎市内が爛れたのは急激だったはずですし、少年を守ること以外には、気を配れなかったはずですから。
少年は何も知らないからこそ、こんな健やかな寝顔のままでいられるのです。
この少年にとっては、目が覚めたら大好きなみんなが自分の傍にいて――、
「おはよう」
と微笑みが解けた温かい表情をみせてくれるのが、当たり前なのでしょう。
なのにこれから、《家族が消えた現実》を教えるのは、正義でしょうか?
このまま彼に、目覚めの時をささやかずに――、
ずっとずっと夢の中の世界で過ごしてもらう未来だって、当然選択できます。
でもそれは、《この世界にある楽しい事》を愛息に見聞してもらいたかったからこそ、舞人に望みを託してくれた彼の家族の願望とは、相反してしまいますが。
舞人は少年に同情をする一方で、彼の両親にも同情をしていました。
だからどちらの答えも正解なので、懊悩の魔窟に閉じこもってしまうと――、
『やっぱり舞人くんは優しいね? 少しでもこの子のためにって、こんなに悩んであげれるんだもん。――でも確かに舞人くんの考えにも、一理はあるのかもしれないなぁ。悲しいことを知っちゃうのは、誰だってすごく嫌なことだもんね?』
「……」
『でもさ舞人くん? 悲しいことを知っちゃうのと同じくらいに、もう楽しいことを知れないのも――悲しいんじゃないのかな? 確かにこの子に今日の事を教えちゃったら、最初はたくさん辛いのかもしれないよ? でもそのあとに舞人くんならたくさん楽しい事を経験させてくれるかもって思ったから、この子のお父さんやお兄ちゃんやお姉ちゃんは――舞人くんに託してくれたんじゃないのかな?』
という惟花さんの言葉が、舞人の小さな心へと波紋を呼び起こして――、
過去ではなく未来へと、少年の事を生きさせる決意を、後押ししてくれました。
そのためにもまずは厚着です。
4月上旬の真夜中に、パジャマ一枚で連れ出したら、風邪の源ですから。
まずは羽毛布団をどかしてあげると、寝返りを打ち始めた少年に苦戦をしながらも、いつも自分に厚着させてくれる惟花さんの苦労を感じ、任務を遂行しました。
こうして外出の準備を終えると、《宝箱》でも扱うように大切そうに少年を背中で抱えてから、惟花さんの右手を握って、少年の居城ともお別れをします。少年のことを守護し続けてくれた平屋の建物に、やはり愛敬の念を注ぎながらです。