第96話:『七彩の翕然』と『善美の雨飛』
無言のまま2人は風の音を覚えてしまうほどに、その場に膝付き続けましたが、舞人だって幼い面ばかりではないので、自分に与えられた使命を思い出します。
時刻は、深夜2時ほどですが――、
こんな時間帯でも連絡を待ち、気を揉んでくれている人たちがいるはずです。
わずかでも早くに連絡をしてあげるのが、誠意というものでしょう。
御前崎市内を包んでいた衰運な空気も、すでに霧散していました。
最後に舞人は、悲しみと破壊に満ちた戦闘の跡地を歩き回り、この街の司教の愛息と愛娘の形見である、《幻石のネックレスと2本の刀》を鞘ごと拾うと、瓦礫の上に寝かせていた司教の身体を丁寧に背負ってあげて、海辺の近くにあったからこそ何の被害もなかった《別棟の小さな礼拝堂》まで、連れていってあげました。
惟花さんが弔いのために奏でるオカリナの優しい音色を聞く中で、普段はあまり人前で歌声を披露することのない舞人が、珍しく神に祈るように詠います。
神が都合よく”人”を傷つけるなら、都合よく”人”を救世することも願って。
こうしてお互いに鎮魂を済ませると、ひとまずは聖堂内から離れ、建物の裏手側に立っている桜の木の下へと向かい、未だに煌く夜空と、月明かりに照らされる黒き海を一望しながら、舞人は瑞葉くんのところへと、電話をかけていきました。
今の舞人は悪い意味ではなく、いい意味の緊張をしていたのでしょうか?
舞人が発信を終えると――、
瑞葉くんはモグラ叩きでもしているかのような速さで、応答してくれます。
今か今かと連絡を待ち、ずっと手の平に電話を納めていたような速さでした。
『! もしもし、舞人くんと惟花ちゃん!!』
仮にも電話越しだというのに、やまびこでも期待するように馬鹿でかい声が、やっぱり届いてきました。耳元に携帯電話を当てておかないで、正解でしょう。
惟花さんと目を合わせる舞人は、無意識のうちに微笑みを零しながらも――、
「だから毎回いうけど瑞葉は、電話なのに無駄に声がでかいんだよ。なんでいつもと同じ調子で話すんだよ。もう少しボリューム押さえろ、電話なんだからさ」
「押さえてるよ舞人くん! 僕はこれでもボリューム2だよ! 普段はボリューム5だけどね、電話の時はボリュームを3下げてるの! いつも舞人くんに――」
「もう本当にやだ。瑞葉はそれでも声が大きいから桜雪か風歌に代わって。2人にも聞こえているんでしょ? なら瑞葉から電話を取って、ぼくと話してよ。あと野蛮人はそこでバナナばかり食ってないで、瑞葉の事をちゃんと黙らせろよな」
「……なんでバナナのことがわかるんだよ、あのマザコン。マジで気持ち悪いな」
奈季くんは心奥から気持ち悪そうでした。今にも下呂を吐いてしまいそうです。
でもそんな奈季くんも、瑞葉くんの襟首を掴み電話口から離してくれると――、
「舞人くんと惟花ちゃ~ん! ちゃんとボリューム抑えるから、僕と電話を――」
というまったくボリュームを抑えられていない、叫び声が響いてくる中で――、
「――お兄様と惟花様?」
桜雪ちゃんの優しい美声が、鼓膜へと恵まれてくれます。天使のようでした。
桜雪ちゃんの声音はとても弾んでいるので、自然と心中だって推量できます。
舞人がそんなそんな桜雪ちゃんに、《今日はぼくたちがいない間に、どんなことがあったの?》という世間話に近いことを、まず初めに聞いてあげると――、
「……でもお兄様と惟花様のほうは、もう心配ないのですか?」
電話越しの桜雪ちゃんから発露された不安げな言葉に、舞人は惟花さんから教えられていた通りに現状を説明してあげてから、《七翼教会の信徒さんたちを預かれるような手はずを整えてもらえるかな?》という瑞葉くんへの伝言も頼みました。
了承をしてくれた桜雪ちゃんが、その思いを瑞葉くんへと伝える前に――、
「舞人くんと惟花ちゃ~ん! 舞人くんと惟花ちゃんはさ、夕御飯には何を食べたの!? ちなみにだけど僕はね、オムライスだよ! 舞人くんたちがいなくて寂しいからね、せめて舞人くんが大好きなオムライスを食べようと思って――」
という遥か遠くにいても、まるで電話越しにでもいるように声を届けてくる親友に、「……お前、拡声器でも使ってるのかよ」と、冷静に突っ込む中で――、
「――舞人くんと惟花お姉ちゃん?」
そんな愚兄を持つ、哀れな風歌ちゃんが、今度は電話に出てくれました。
瑞葉くんの妹とは思えないほどに艶やかな声音が、左耳をくすぐってくれます。
無邪気で純真な笑顔が、舞人の表情にも生まれてしまいました。
そして舞人は風歌ちゃんにも、今日は何があったのということや、旅先で舞人たちが感じた面白いことなどを語ってあげたあとに、心優しい風歌ちゃんは舞人と奈季くんの両方に気を使ってくれたのか、彼のことまで呼んでしまいましたが――、
「うわっ、奈季かよ。お前は口臭いから切るぞ。寝る前にちゃんと歯を磨けよな」
奈季くんが無愛想な感じで電話に出るや否や、廃滅の一撃をぶち込みました。
爆笑をする舞人の奇襲口撃に、奈季くんは当然怒鳴り返しますが、舞人はちゃっかりと電話を切ってしまいます。徹底的に奈季くんのことを煽るようにして。
奈季くんがどれだけ怒鳴り散らそうと、舞人の返事は《ツーツーツー》です。
地団駄を踏む奈季くんの事を考えただけで、舞人は丸まって笑ってしまいます。
みんなと会話をしたおかげで舞人の表情も、だいぶ慶福的になっていました。
惟花さんにとっては、そんな舞人の表情が何よりなのでしょう。
滄海な笑みをみせてくれます。
そして舞人は、ほぼ同じ目線のそんな惟花さんの手を引きながら――、
この街の司教たちから託されたもう1つの頼み事に、灯りを付けにいきました。
御前崎市の星夜はまだ閉幕していませんが、空気は完全に別人です。
暗がりの街中に人がいないことは変わりませんが、歩き易さが段違いでした。
今までは惟花さんが引いてくれていた手も、今度は舞人から引いていけます。
そしてその途中で惟花さんは、もう戦うことはないだろうからと、マフラーを巻いてくれました(厚着を嫌がる舞人を、猫のように抱き捕まえながらです)。
司教たちが託してくれた”少年”の捜索も、舞人なら難儀ではありません。
”少年”が司教たちの血縁者なら、彼らから感じた気配から探知できますから。
自分の相棒である、白き血に感謝でしょう。
そして舞人に、《願いの成就の鐘》が鳴ったのは、とある一軒の民家の前でした。