第94話:『恭敬の芳恩』と『凄烈の悲嘆』
地に四肢を落とす化け物たちは、動かぬ得物と化した舞人と惟花のことを、吐血でもしているかのように唾液を垂れ流しながら、食してしまおうとします。
我先にと2人に集合しようとするその様は、飢えたハイエナのようでした。
しかしここで舞人たちへと、“救世の光り”が、欣然と微笑みます。
ネックレスとして首元へとかけておいた、風歌ちゃんのお守りでした。
舞人たちの危機に反応したように”紺碧の光り”が、存在を孵化させたのです。
”浄化の青き光り”は、穢土たる赤き粉雪を、誅殺しました。
風歌ちゃんのおかげで、舞人の瞳に光りが再起します。
そして舞人たちに与えられる驚嘆は、これだけでは終わりません。
むしろ今までのは余興で、最後の一手こそが本番でした。
この場の支配者の司教までも愕然としていたのが、全てなのかもしれません。
「よくわからないけど助かっちゃったわね。これも神様からの一種の慈しみ?」
「かもしれないね。――だとしたらお2人さんが、神が使わした使者様かな?」
つい瞬き1つ前までは“作り物の騎士”のように泰然としていた、司教を守護する立場にいる少女と青年が、本当につい先ほど前まで彼らが纏っていた近寄り辛さが全て偽りだったような友好的な表情で、微笑みを奏でてくれたのでした。
これにはさすがの舞人も、自分は『ドッキリ』を仕掛けられたのかと疑います。
全て奈季くん主導のもとに行われているのなら、十分にありえそうでした。
でも彼らが化け物たちをみる瞳は、決して演技なんかではなかったのです。
映画の中ではなく、本物の戦場にいる人物の瞳を、2人はしていましたから。
「でもそんな君たちをせわしなくさせて悪いね。状況が状況だし許してもらえるかな。――今はこの光景をみてくれただけで十分だと思う。だからもうここから脱出してくれ。俺とこの子で、周りのあいつらと親父の事は止めてみせるからさ」
「……あともしもあなたたちが、これ以上わたしたちなんかにも微笑んでくれるなら――この街のみんなとわたしたちの弟のことを、任せてもよかったりする?」
舞人はもちろんですが惟花さんまでも、今はただただ受け手になっていました。
もともと「?」が多かった事柄に、最後の最後でうそのような怒涛の展開です。
いかなる賢人であったとしても、状況の理解は至難の技だったでしょう。
「……なんなんだ、お前たち。さっぱり意味がわからない。状況を説明してくれ」
「意味はわからなくてもいいよ。残念ながら俺たちも意味はわからないからさ」
「でもあなたならその意味がわかる時が、いつか来るのかもしれない。だから今はこの現実をみてくれただけで十分なの。いつか必ず助けになるはずだからさ」
「?」が連続している舞人だって、さすがに戦闘の嗅覚までは衰えていません。
こんな地獄に彼らを捨て置くのは、《見殺し》と同じ意味だと理解できます。
たとえ勝算があったとしても、それは確実に自滅込みのものでしょう。
しかし今は舞人だって白き血が一度死んだせいで、万全の状態ではありません。
たとえここに自分が残ったところで全滅してしまうのが、物語の結末でしょう。
それほどに今回の記憶が大切だというのなら、それは最悪の結果のはずでした。
惟花さんは温かい瞳を送り続けてくれた2人に対して、美貌を下げます。
2人に感謝をするようにして。
こういう時も惟花さんは、相手の立場に立って物事を考えられる人でした。
どんな選択がお互いにとって本当の幸せかも、情を捨てて結論付けられます。
『舞人くん。今は2人に甘えさせてもらおうよ。それしか方法がないからさ』
惟花さんからしつけを受けていたはずの舞人が、珍しく舌打ちをしました。
惟花さんへの怒りではなく、自分の無力さへの苛立ちです。
それでもなんとか舞人は地面に叩き付けかけた拳を、強く握り締めました。
感情による心の脱線を、理性によって阻止したのです。
惟花さんたちとの出会いが、舞人を変え始めた証拠でしょう。
以前の舞人なら、感情と本能が何よりも威張っていたはずですから。
「お前たちの信徒はどうあれ、その弟もすぐわかるところにいるんだろうな?」
「いるよ。でも君ならそれぐらい簡単に探せるだろ?」
「ただじゃないぞ。人の大切なものを預かるのは、すごく苦労するんだからな」
「また会ったら必ず今回の恩は返させてもらうよ。楽しみにして待っててくれ」
「あぁ、待ってるよ。一時も忘れずにな」
白い霧を身体へと遍満させた舞人の力強い言葉に、2人は微笑みます。
そして化け物らが、身体を抑圧する青き光りから、支配権を取り戻すと――、
「「――飛んで、神の子たち!」」
青年と少女の言葉が重なりました。未来への悲観ではなく、光りを乗せて。
ここまで託されれば舞人だって無心になり、上方へと吹き上がります。
景気付けるように足元からは爆発が発生して、完璧な助力をしてもらえました。
崩れ落ちる瓦礫を神の手のような勢いで跳ね返し、建物外へとも脱出します。
そしてそのまま舞人が、地上5メートルほどの高さまで浮上すると――、
「「……!」」
舞人たちに対して不干渉を貫いていた世界が、絶叫しました。
つい先ほどまで舞人と惟花さんが潜んでいた場所から、大爆発が起きたのです。
……来る……!
と思った時には、何千度の熱気と、浮き世を粉砕する衝撃波が、倶発しました。
舞人は白き血をベールにすることによって、苛烈なる炎の嵐を防ぎます。
たった一度の爆発によって、直径100メートルもの空間が、無と化しました。
白き霧を取り払った舞人が、大きく息を飲んでしまう中で――、
「「……!」」
心理が慟哭をするほどの悪寒というものが、胸の中を陵辱してきます。
舞人は右斜め下へと、視線を向けました。
破壊の二文字を蔓延させた爆発からも生き残った悪魔司教と、瞳が通じます。
彼は赤き宝石を爆破の寸前に心臓へと埋め込み、生を繋いだようでした。