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“Kiss to Freedom”  ~世界で最後の聖夜に、自由への口付けを~  作者: 夏空海美
Chapter3:Kiss to you , because Kiss to me.
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第89話:『断想の鬱々』と『天津の志操』

 民宿へと戻る前に惟花さんは人気のない路地で立ち止まると、小さな木箱の上に舞人のことを座らせてくれて、嫌な顔1つせずに洋服を着替えさせてくれます。


 ごめんなさい、という言葉しか届けられない舞人に対しても、惟花さんは――、


『謝らないでよ舞人くん。何も舞人くんは謝る事なんてしてないからだからさ』


 と偽りなき笑顔で接してくれていましたが、舞人の顔は暗がりの結晶でした。


 民宿の受付のカウンターにいたお姉さんは、「お帰りなさい」の言葉をくれたあとに、7時頃に夕食が出るということを、丁寧な微笑みで伝えてくれました。


 惟花さんは愛想のある微笑みを、彼女への返事とします。


 自室へと至る廊下は、壁にかけられた蝋燭のような電灯で、彩られていました。


 足を乗せると心地よく軋む廊下のもっとも奥にあるのが、舞人たちの部屋です。


 惟花さんは手持ちの鍵を挿入してから、右に捻って、扉を開けてくれました。


 民宿のお姉さんが優しさを奏でてくれたからか、扉の中もすでに白い灯りによって見守られていて、寒さを塗り替えたエアコンの暖風が、頬を撫でてくれました。


 でも前回と違って舞人は部屋の中に入っても、畳の上に転がったりしません。


 部屋の中に入っても、無機質に立ち竦むだけなのです。


 黒いストッキングで畳を踏む惟花さんは、舞人のことを座布団の上へと座らせてくれると、すぐ隣に並べてある右側の座布団へと、自分も座ってくれます。


 お膝を折りながら舞人と惟花さんは、向かい合うような形になりました。


 口を堅く閉じて、瞳が重くなったように下を向く舞人へと、惟花さんは――、


『……なんていうかごめんね、舞人くん? ……わたしが最初から気をつけていれば、舞人くんにあんな嫌な思いをさせることもなかったはずなのにさ。わたしが注意不足だったせいで、舞人くんに嫌な思いをさせちゃったよね……?』


 と両手を握りながら謝罪をしてくれますが、舞人は曖昧にしか頷けません。


 別に舞人としても、惟花さんへの怒りはたぎらせていませんし――、


 こんな風に謝ってもらいたくないというのが、本音だったのかもしれません。


『でもね舞人くん? もしもあれなら無理だけはしなくていいんだよ? 嫌なら嫌だよって、わがままになってくれていい。瑞葉くんや桜雪ちゃんだって舞人くんが無理することは望んでないし、何よりもわたしが嫌だもん。舞人くんに辛い思いや嫌な思いをさせちゃうなんてさ? ――だからもしもあれなら一緒に帰ろう?』


 両手を親鳥のように温めてくれながら、間近にいなくても花束の匂いを薫らせる惟花さんは、舞人本人よりも親身になって、舞人のことを気遣ってくれました。


 凍りよりも冷たくて堅かった舞人の心にも、解氷の兆しがみられ始めます。


 惟花さんの両手に、右手を握られている舞人は、その温もりを感じながら――、


「……。……。……。……惟花はどこにもいかない……?」


 この拍子に2人の間に永久の沈黙が流れてしまってもおかしくない、一塊の話しの脈絡さえ溺死したかのような突飛なことを、まず何よりも先に言葉にしました。


 心は大きく震え身体はわずかに震える舞人本人でさえも、どうしていきなりこのような言葉が口から零れ落ちてしまったのかは、まったく整理がついていません。


 受け手である惟花さんに驚くなといほうが、無理だったでしょう。


 でも惟花さんは呆れもしなければ、笑いもせずに、舞人の両手を握り続け――、


『もちろんどこにもいかないよ、舞人くん。ずっとずっと傍にいてあげる。もう舞人くんの手を離したりはしないから、大丈夫だよ? ――約束をしてあげる』


 実は当時から舞人と惟花さんは、一度だけ記憶を迷子にしていました。

 

 舞人と惟花さんは「運命」という二文字の上で、弄ばれていましたから。

 

 でも今も昔も舞人にとっては自分の記憶なんて、塵や灰も同然なのです。


 ただ惟花さんが右手を握ってくれさえすれば、それ以上は望みませんから。


 惟花さんは柔らかい体で抱擁しながら、後頭部を撫でてくれるので――、


 舞人はまぶたを閉じ、この世で一番信頼する少女に、自分の全てを預けました。


 不思議なことにこうして惟花さんの息遣いを感じているだけで、舞人の凍てついていた心も平常時の温かさを取り戻し、安らかな鼓動を歌うようになります。


 心が穏やかな波面になれば、先ほどの出来事だって冷静に振り返れました。


 食人という被害によって、罪なき一般市民が惨殺されてしまっていたのです。


 血が痛くなり、血が速くなり、血が熱くなってしまいました。


 恐れしかなかったはずの舞人の心中に、始めて敵意が芽生えたのです。


 惟花さんはそんな舞人の心も、現在進行形で理解してくれていて――、


『でもどうせ攻めるならさ、人が少ない深夜の方が、色々と都合はよくないかな?』


 といかにも舞人の保護者らしく、薫染くんせんなる助言を与えてくれました。


 これはぐうの音もでない正論でしょう。目立つことは絶対厳禁なのですし。


 舞人も惟花さんの言葉だけは殊勝に聞くので、子供のようにうぶに頷きました。


『でもさ、舞人くん?』


『?』


『まだ時間はあるし、せっかくだから、この建物の屋上に少し出てみようか?』


 惟花さん的には舞人の気持ちを紛らわすように、耳元にささやいてくれましたので、断る要素なんて一滴も発見できなかった舞人は、惟花さんに従います。


 いま2人がいる部屋の東端には、ヒノキの階段が顔をみせていました。


 階段を上りきった先にある木の扉を開けば、屋上にも踏み入れられそうです。


 優しい風に満たされていた部屋の中とは違い、さすがに外気は身が凍りました。


 やはり桜が咲き誇る頃です。


 舞人は惟花さんにとっての風の壁となりながら、屋上まで引き上げてあげます。

 

 手を伸ばせば今にも届くのではと錯覚をするほどに、強い光りの星空に照らされた屋上の外郭には、ブロック1つほどの高さの昇り台が、併設されていました。


 足元を一段と高くして、遮蔽物のない平坦な街並みを、見回すことができます。


 御前崎市内には、光輝こうきなる覇王が、降臨していました。


 街中全体が宝石箱のように、眩しく輝いていたのです。

 

 1つ1つの桜が漏れなくライトアップされているため、街中全体が等しい輝きを持ち、どこも秀でてない均一性があるからこそ、全体的には秀でた美しさでした。


 案の定としかいえないような《嫌な出来事》が御前崎市内にはありましたが、それが全てではないのかもしれません。《闇》があれば、《光》もあるのでしょうか?


 でもいくら単純な舞人だって、これだけで食欲が戻ってしまうようなことはありませんが、わがままばかり申してくる白き血は、栄養補給を訴えてきます。


 相棒の機嫌を損ねたまま戦うのは、目を瞑りながら剣を振るうようなものです。


 拳をグーの形にする舞人は、仕方がなく飲食活動を決意しました。


 そんな舞人に、惟花さんは――、

 

『じゃあ、ゼリーとか何か食べ易いものを買ってきてあげようか、舞人くん?』


 とマフラーのように、自分の両腕を巻きつけながら、優しくしてくれます。


 でも舞人は首を振りました。


白き血こいつがね、その土地のものを食べろってうるさいから、とりあえず頑張る」


 以前は頑張りの「が」の字も知らなかった舞人ですが、こんな事をいうようになったのですから、少しずつ大人の階段を上るようになったのかもしれません。


 惟花さんが、確かな成長を喜ぶような微笑みを浮かべる中で、白き血は――、


《よっしゃ、舞人! じゃあ俺に任せろ!》


 といわんばかりに気分の悪さを消滅させ、食欲を増進させてくるので――、


「もう! お前は本当にウザい! 奈季よりも大嫌いだよ、そういうところは!」


 すぐに調子に乗る自分のお茶目な相棒に、心からの嫌気を催していました。


 でも舞人は負けず嫌いです。白き血に一泡吹かせてやろうと思って、民宿から夕餉ゆうげとして出された海鮮メインのお料理を、好き嫌いをせずに食べたのでした。


 これには惟花さんも、お手が始めてできた子犬にするように、褒めてくれます。


 そして2人は食後の休憩をしたあとに、部屋に備え付けられていたヒノキの温泉風呂で混浴をして、それからすぐに布団の中へともぐっていったのでした。

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