Winter to Summer
かなり前に書いた短編です。
友達に聞いたらギリ短編小説でいいと言われたので、短編カテゴリで出しました。
ねえ。
私は今幸せだよ?
私の初恋の人、大切な人。
あなたはまだ心配してるかな?
ねえ。
私は幸せだよ。でもね。
会いたいよ、―――。
「あ、ああん、遅刻遅刻~!」
あたしはパンを咥えて交差点に差し掛かる。今日こそは…――!
開けた視界、何の衝撃もなし。……まぁ、漫画やドラマのようにはぶつからない。あたしは心底ホッとして肩の力を抜いた。それにデフォだからって、朝礼までまだ1時間もあるのに遅刻遅刻はないだろう。
「諦めるなよぅ。てかぶつかりそうな瞬間にもっかい飛び出せよぅ!」
るせーブス。なんて口が裂けてもいえないけど。振り返ると幼稚園からの腐れ縁がいた。
「もうやめよ、こんなの」
「何言ってんの。あたしがせっかくいい作戦思いついたんだから」
るせーブス。容姿はともかく、夏姫の性格はアレだ。
自分が楽しければいい、周囲は自分の暇つぶし要因。つまり、漫画やドラマとあたしはイコールなんだ。
たぶん、昔から仲は悪くない。毎日二人でお人形さんごっこしてたし、将来は夏姫のお嫁さんになるなんていった記憶もある。誰にでもある黒歴史、ここまでの暗黒な発言を、薄情な夏姫は忘れているだろうけど、あたしは忘れられなかった。当時のあたしの気持ちはずっと大事にしたい。
その気持ちと今の気持ちがイコールではないことは言うまでもないけど。今は、その、なんか嫌いだ。
「芙由子、ちょっと」
「ふゆこ」と云うのはあたしの名前。「冬子」…だとひねりがないから「芙由子」だ。
ナツキとフユコ。夏の姫様と冬の子供。名前からして釣り合わない。なぜこんな違う人種が隣にいるのか。それはひとえにあたしのせいであるのだけど。
「わたしはあなたと運命共同体!」
……たまにあたしの心を読めるのが特殊能力だろうか。
「……何よ急に」
「芙由子、あんた彼氏ほしいでしょ?」
「え、いや、いらないよ」
「わたしは、ほしいよ」
「あたしはあんたのモルモットかなんかです?」
「出会いはすこしくらい運命的なほうがいいんだって。『同じクラスで、部活が一緒でした』なんて結婚式で発表されてみ? 『うわ、こいつら地味かよ』とか思われて地味婚だって囁かれるんだから、あたしは嫌!」
「地味婚でいいよ、あたしは」
「ちょっと芙由子、あんた性格はアレだけど」
それは夏姫にだけは言われたくない。
「アレだけど、顔はめちゃめっちゃ可愛いんだから!あたしが保障する!」
それは嫌味か、ひいては自分のほうが可愛いんですと自画自賛しているのか。皮肉か、皮肉なのか。
「とにかく、彼氏つくるよ!ね?」
面倒ごとは勝手にやってくれ。夏姫がまだあーだこーだ言ってきたけど、右から左に聞き流して学校へ続く坂道を登った。
芙由子は学校に着いたらほとんどしゃべらない。わたしが授業中居眠りしてたり、授業中に当てられたりしたらたま~に小声で注意してくれるけど、それぐらい。そのくせ自分は授業を聞かずに眠ったりする。わたしが急に明日いなくなったらどうすんのかな、きっと芙由子はしゃべる相手もなく、惰性で学校に通う子になっちゃうんじゃないかな?
そう思っての「彼氏作り」提案だった。もともと芙由子は根暗なところはあるけど、ちょいツンデレ気味で、天然で、その自覚もなくて、それに押しに弱くて、それに「この」顔だ。私が男として生まれてたら絶対に襲ってキスのひとつやふたつ奪ってる。……脱線したけど、とにかく、わたしとしてはもう少し社交的になってほしかった。
「おっはろーナツキ」
「おはろー千秋」
クラスメイトの千秋が考え事をしていたわたしたちの元へ駆け寄ってくる。わたしと芙由子と千秋で春夏秋冬オールシーズンほぼコンプリート。ハルコとかハルカとかって子がいたら問答無用で友達になっただろうけど、あいにく「ハル」がつく子なんて学校中探してもいなかった。
「何ナニ?ナツキまた考え事?」
「う~ん、まあねえ」
「ナニ何?相談に乗るよ」
「わたしの片思いの君のことを考えてた」
途端、クラスの空気が……なんていうのかな、ぴん、と張り詰めたというか、うん、そんな感じだ。たぶん不用意な発言だったのだなと実感する。
「えぇえ!? ナツキあんた好きな人いるのぉ!?」
その発言に拍車をかける千秋のビッグボイス。大きな声を出すな。まだ担任が来てないからって心臓に良くないんだから。
「……わかったから静かにしてよ」
「だ、だってだって!あんたみたいなクールビューチー娘が好きな男って……いったい誰なのさ!?」
ええい、聞き耳を立てるな男子。そもそも。
「あたしが好きなのは絶賛片思い記録更新中の女の子。クラスの男子には興味なし」
言ってから、これも不用意発言だなと気づく。嘆息を漏らす男子や一部不埒な妄想へと旅立つ男子と、顔を赤らめる女子と、例に漏れず顔を赤らめる千秋を確認して、
「相手はあんたかもね、千秋」
といいながら千秋のほほに唇をつけた。
キスくらいいいじゃないか、とわたしのちょっとした悪戯心からした突飛な行動による嬌声がクラス中に響いたのとほぼ同時、戸がガラガラと音を立てて開き……見知らぬ男子がそこにいた。
身長は少し高め、中肉、短髪、なにかスポーツをやっていそうな雰囲気がある。その表情は無気力というか……あきれてるような?
クラス中が静まり返りきょとんとしたまま、その男子の第一声を待っていたが、その男子はわたしたちのほうを見て
「レズかよ、気持ち悪ィ」
とだけつぶやいた。んだとてめえ。わたしたちを気持ち悪い呼ばわりして。芙由子も含まれてるんだとしたら屠って土に埋めてやるぞクソ野郎。
そのクソ野郎の後ろには担任の吉永が立っていた。皆席に座れ、ナツキはキスやめれ、と端的に指示をやり、クソ野郎を壇上に上がらせた。
ああ、転校生か、と思っていたら案の定転校生だった。周りの女子が色めくのを尻目に、わたしは転校生の自己紹介を右から左に聞き流して芙由子に小声で語りかける。
「芙由子、聞いた?わたし、クラスではクールビューティーで通っているらしいよ。すっごく笑えるね」
「ぜんぜん笑えない」
下校の途中、子供のころからよく来る公園に立ち寄った。あたしは夏姫に向き、言ってやった。 「千秋とのレズ疑惑が全校中に広まったでしょ。信じられない」
「いいじゃない、千秋なら」
「いいわけない、転校生クンにも誤解されたし」
「お、芙由子はああいうのがタイプ!?」
「あたしはああいう爽やかチョイ悪よりおとなしめな文学少年がタイプ」
「うっわ~地味~」
だから地味でいいんだって。
「そんなこと言う夏姫はどんな人と付き合いたいの?」
「ん~?そうだなぁ……あ、あれ?」
急に夏姫の体がふらつく。あたしはとっさに意識を総動員して体を支えてやる。
「ど、どうしたの?」
「いやぁ、風邪かなぁ……最近ちょっと、ね」
「やめてよ、あんたと一緒にいるあたしに遷るじゃない。今日は早く帰って早く寝て、早く治しなよ」
「てへへ、心配してくれたんだ」
夏姫が、少しつらそうだけど、照れくさそうに笑う。
「……どうしたの? 突然不細工な顔になって。……別に普段は可愛いって意味じゃないけど」
「ツンデレ、いただきました」
「ツ、ツンデレじゃにゃい!」
「……猫語、いただきました」
「べっべつに図星を突かれて焦って噛んだわけじゃないんだからね!」
「てへへへ」
「……はあ」
とても幸せそうな表情を浮かべる夏姫は放っておいて、あたしは空を見上げる。空は濃紺、雲ひとつなく晴れていて、もう月が顔を出している。星は北極星とベガとアルタイルくらいしか見えない。少し目を空を凝らして見ているとデネブも見つかった。七夕の織姫と彦星を有する夏の大三角だ。
「てへへへへ~」
「夏姫。そのアホな笑い方直しなよ」
「物憂げな表情で星を観る芙由子、好き」
「す、好きって……!!」
顔に血が上ってくるのを感じる。クラスの男子に告白されるのなんかより、ぜんぜん刺激的だった。
「……素敵って言ったんだけど」
「~~~~!!」
もぉもぉもぉ!あたしはバカだバカバカ!!嫌い嫌い夏姫なんて!
これじゃほんとにレズじゃないか! 夏姫の次はあたしがふらふらする番だった。
……よく見ると夏姫の顔も真っ赤だ。あたしの顔とどっちが赤いかな。
「……」
「……はあ」
その後はとくにしゃべることもなく帰途についた。明日は部活にでも出て、このバカな脳みそを直してこよう。
「あ」
「あ」
放課後、部室の戸を開くとそこにいるはずもない人がいた。
「ああ!部長! 新入部員ですよ、新入部員!」
今年の春に部員になった一年生の美玖ちゃんがはしゃいでいる。
「新入部員?あんたが?」
そこにいたのは運動部が似合いそうな転校生君だった。
「レズ子が部長かよ」
レズ子はあたしじゃない、夏姫のほうだ。あたしは女の子が好きじゃないんだから。
あたしは、夏姫なんか。
「あたしは、四季。レズ子なんて名前じゃない」
「ああそ~かい」
「部長部長! この先輩入部希望ですよ!」
「聞こえてる。どうして運動部じゃなくて天文学部に?転校生君」
「転校生なんて名前じゃねーよ」
「……」
そういえば夏姫と喋ってて自己紹介をろくに聞いていなかったから名前を知らない。
「……鈴木君」
「鈴木じゃねーよ、工藤だ工藤」
「じゃあ武藤君、入部理由は?」
「工藤だ工藤。くるまのク」
ああ、クソ野郎のクねって夏姫なら言い返すだろうけど、そこは自重した。
「わかったから、理由」
「……ぁんだよ」
「え?聞こえない」
「だから、好きなんだよ、星とか宇宙とか、そういうの」
急にそわそわして、さっきまでのふてぶてしさはどこへやら、急に消極的な文学少年みたいになった。
それから少し話をしてみると、両親が宇宙工学関係の仕事をしていて、自分も将来はそういった職種に就きたいらしい。第一印象さえ最悪だったけど、最悪だった分これ以上悪くなる心配もしなくていいから気楽で、なにより知識が豊富で話していて楽しかった。
「――じゃあこれで入部申請しとくから、明後日くらいには正式な部員として歓迎する」
「……なぁ、四季……部長」
「四季でいい。なに?」
「お前クラスでと大分印象違うな」
「……なに、こっちだと喋りすぎだって?」
「逆だ、おとなしい文学少女みたいだ」
「……ここは天文学部、文学少女で問題ないでしょ?」
「……そうだな。じゃあまた」
工藤君が手を上げたからあたしも手をあげた。「じゃあ、また」
工藤君が帰ってから、さっきまで借りてきた猫みたいだった美玖ちゃんがあたしに抱きついてくる。
「部長部長! 工藤先輩ってちょっと素敵ですよね!格好良いですよね」
暑苦しい。美玖ちゃんを力任せに引き剥がす。
「そう?別に普通じゃない?」
「もう!先輩はモテるから感覚が麻痺してるんです!ああいう格好いい人と恋愛してみたいなぁ」
恋愛ねぇ……。ふと朝夏姫が言った言葉を思い返す。
『同じクラスで、部活が一緒でしたなんて結婚式で発表されてみ? 「うわ、こいつら地味かよ」とか思われて地味婚だって囁かれるんだから、あたしは嫌』
同じクラスで、同じ部活で、実は文学少年の工藤君……。
ぶるっと体中に悪寒が走り、あたしはバカな考えを振り払った。拍車がかかったこのバカな脳みそはもうだめだ。頭が痛くなる。体もだるい。あたしはそうそうに部活を切り上げ、公園にも寄らずに家に帰ることにした。
最近体調がすこぶる悪い。
前々から何度かあったけど、今回のはちょっと耐えられそうにないかもしれない。
わたしの病気は不治の病。これが治るときはわたしが死ぬときだ。
わたしは別に死ぬことじたいはそんなに怖くない。何の因果かここに生み出されて、そして死ぬだけ。それに何の疑問も感じないし、それは誰もが遅かれ早かれ体験するものだから。
でも、唯一の心配は芙由子のことだ。わたしの誰よりも大切な人。わたしがいなくなっても大丈夫だろうか、消極的で天然なあの子は、これから辛いことにあったとき逃げ出したりしないだろうか、立ち止まってしまわないだろうか。
わたしの代わりに、わたしのようにあの子を支えてくれる人がいれば……。
「……あの人なら」
大好きなあの子から離れるつもりは少しもないけど、保険は作っておくべきかもしれない。
わたしは芙由子を呼ぶ。
「……相談したいことがあるんだけど」
「どうしたんだよ、四季」
「オォオッス、元転校生。この前は買い物付き合ってくれてサンキューね!」
「……今日はテンション高ェな、お前は躁鬱激しすぎだ」
あたしは、いつもの公園に工藤君を呼び出した。空は今にも泣き出しそうで、空気も少しジメってる。あたしは少し冷静でいられなかった。これじゃ四季芙由子じゃなくて、四季夏姫だ。
「で、なんだよ。相談事って」
「え~、と……てへ」
「可愛い子ぶってんじゃねえよ、似合わないっての」
「そ、そう!学祭の出し物なんだけどさぁ」
言い出せない。脊髄の命じるまま口だけがべらべら回る。言ってしまえばもう戻れない。工藤君をあたしたちの共犯者にする。そもそも共犯者になってくれるだろうか。
怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
受け入れてくれないことイコール明日からの学校生活の激変を意味する。クラスの人に言いふらされでもしたら転校するか、最悪家に引きこもるか。
工藤君に限ってそんなことはしないという気持ちの反面、どこかで共犯にすることへの不安が払拭できずにいる。
「――って感じの出し物でどうかな?」
どうやら、わたしがしゃべり終わったみたいだ。工藤君を見る。……その目はあたしを貫いてもう少し遠く、なにかを考えているような目だった。
「相談事」
「え?」
「相談事って、それじゃないだろ」
「あ……」
「べつに、四季がどんなこと言っても、俺は否定しないから。言ってくれ」
言葉に詰まった。別に怖さからじゃなく、心底安心できたから。
工藤君になら、相談しても大丈夫。きっと受け入れてくれて、これからあたしたちを支えてくれる。
ほほを涙が伝う。
「な、なんだよ。泣くなよ」
工藤君が少し焦って手をわたわたとせわしなく動かしたり、頭を掻いたりを繰り返す。なんか小動物みたいで可愛い。
「あはは」
「だ、だからって笑うなっつーの」
「ごめんね、うん。……うん、もう大丈夫」
言うね。あたしの、ううん、「わたし」の大切な人、芙由子。
「工藤君、驚かないで聞いてね。『わたし』は――」
――――二重人格なの。
あたしのふりをした夏姫が工藤君に伝えた。工藤君は無反応だった。
夏姫は一方的にあたしたちのことをたくさん話した。
5歳のころ、両親が事故で死んで、そのころからあたしたちの人格が二つに分かれたこと。意識や知識はある程度共有していて、どっちかの人格が表に出て生活をして、引っ込んでる人格は起きてることも寝ることもできること、学校は、クラスでは夏姫が、部室ではあたし=芙由子が表に出ていること、ほかにもあたしと夏姫で好物が違うことや、あたしがおとなしめな文学少年がタイプなことなど別に今言わなくていいことまで話した。
工藤君は普段と変わらない無愛想な表情で「そうか」とだけつぶやいた。
「……もっと驚かないの?」
「いや、驚いてる。驚いてるけど、これで色々と合点がいった」
「合点?」
「クラスのお前と、部室のお前。印象が少し違うし、言葉遣いも少し違う。クラスの四季……ナツキは右利き、フユコは左利きだ。この前の買い物のときはクラスの四季だったんだろ?それにたまにこの公園でぶつぶつ独り言言ってるのは二人で話してたってことなんだろ?」
「……見てたの?」
「帰りにな、たまたまだ」
「……家別方向なのに?」
「……この先のダチの家に用事があったんだよ、うるせーな」
そんなに気にされてたんだ。そう思うと少しそわそわする。さっきまでの怖さからとは違う意味で胸が高鳴ってくるのを感じる。
「っつーことは、俺が多く接した四季は、お前じゃなくてフユコの方なのか?」
「そうなるかな? わたしもたまに芙由子の代わりに部活出てたから、何回かは話してるけどね」
「芙由子に代わることってできるか、少し話がしたい」
「……うん、了解。聞いてたでしょ、芙由子。代わるよ?」
「――わかった」
あたしは意識を集中する。五感がよりクリアになり、頭の奥がスゥーっとしてくる。
「あ、工藤君」
代わる間際、夏姫が工藤君に一歩近づいた。
「ん?」
ふいに交わされる口と口とが触れるかどうかのキス。
「芙由子を、どうかお願いね」
意識が鮮明になる。夏姫は奥に下がり、あたしが表に出る。
あたしの視界は、工藤君以外なにも見えなかった。とても距離が近い。
「し、四季……」
工藤君が顔を近づけてくる。考えるより先にあたしは腰を捻って右手を彼のほほに狙いを定めて――打った。
「いってえ!!」
「いきなり何する気よこの発情男!」
「いきなりキスしたのはお前のほうだろうが!」
「あたしじゃない、それ夏姫だもの!」
二人して距離をとってからのお互いのなじり合い、息を切らせて少し休んでいると耳の奥で夏姫の笑い声が聞こえていて、あたしもつられて笑ってしまった。工藤君も笑ってる。
ああ、いいなこういうの。こんな時間がずっと続いていって、いつもあたしと夏姫がいて、あたしが夏姫に食いかかって、夏姫がいつもみたいにあたしをからかって、そこに工藤君もいて。これからはクラスとか部室とかそういうの気にしないでお互いが好きなときに表に出て、今まで以上に毎日楽しくて……。
ねぇ、夏姫? あたし、引っ込み思案で素直じゃなくて、パパとママが死んじゃってからずっと夏姫に頼りっきりだよね。でも今はもうがんばれる。友達もできたし、部室では知ってのとおり部長さんだし。もうそんなに心配しないでもあたしは一人で大丈夫。でもね……。
「夏姫! あたしはまだあんたが必要なの! だから消えていかないで!!」
視界の端、工藤君が眉間に皺を寄せている。
耳の奥、夏姫の苦しそうな息遣いが加速する。
「返事してよ、ねぇ!夏姫!!」
嫌な予感がした。
ナツキ?
違う、私はそんな名前じゃ……ううん、そうだ。ナツキはわたしだ。二つに分かれたときに二人で分けた名前。わたしはそのまま「夏」を、芙由子は少しもじって「冬」をもらって……。でももうすぐわたしは、わたしたちは夏姫でも芙由子でもなくなる。
予感はあった。元の人格に後から生まれた人格が統合されることは予想できたし、元は両親の死の辛さから逃れるためにもう一つ人格を生み出した、それが四季夏姫という存在だったから。芙由子が辛さを乗り越えられる強さや友達を得た今、四季夏姫の存在理由はない。
わたしにとって芙由子は、もう一人のお母さんであり、手のかかるお姉ちゃんであり、親友であり、誰より大切な大好きな人だから、芙由子のためなら人格障害が治ってわたしが死ぬことになってもかまわない。
本当に生まれてきて良かった。楽しかった。毎日大好きな人と一緒にいて、学校で友達もできて、格好いい男の子とキスもできて、欲を言えばもっと色々なことを経験したかったけど、それは生まれ変わってからのお楽しみに取っておこう。
「夏姫ー!夏姫――!!やだ、嫌だよ!まだあたし何も夏姫に恩返ししてない!あたしの作った料理もっと食べてよ!またあたしの宇宙の話聞いて『つまんない』とかって言ってよ!やっと好きな人できたんだよ!初めてなんだよ!相談に乗ってよ!」
……恩返しならわたしが足りないくらい。芙由子のおかげでわたし――。
『大好きだよ』
「夏姫!?」
『いままでも、きっとこれからも』
「やだ!行かないで!置いていっちゃう夏姫なんか嫌い!大ッ嫌い!!だから、だからまだ――」
……今度生まれ変わることができたら――。
『いままでありがとう。じゃあ、またね。ナユキ』
「やだ!私まだ四季夏雪じゃない!!好き!ホントは私も夏姫を大好きだよ!だから、ねぇ!夏姫ー!!」
……。
「う、嘘……やだ、悪ふざけやめて返事してよ」
……なんで、まだ何も伝えてないのに。夏姫……ねぇ、夏姫。……夏姫!夏……!!
「ああぁ――――――!!!!」
「お、おい、四季、ここは目立ちすぎだ、こっち行くぞ」
腕が引っ張られたけど、足に力が入らない。
「ちっ、パンツ見られても我慢しろよ」
工藤君の腕が私の背中と太ももを抱える。
「夏姫ぃ……」
どんなに喉を嗄らしても夏姫の声はもう返ってこなかった。
「すびばぜん」
私は公園から少し離れた人気のない道路上で、やっと落ち着きを取り戻した。手には私の涙と鼻水でぐちょぐちょになった工藤君のハンカチがある。
「洗って返します」
「いや、別にいいけどよ。……あのさ」
……わかっている。工藤君が聞きたいことくらい。でもそれを口に出すとまた泣いてしまいそうで。
「でも無断でお姫様抱っこしたことは許さない」
「いや、その……すまん」
「……いいよ、気にしてない。ただ、ちょっと時間をください。説明するには少し頭の整理しないとちょっと、ね」
「ああ……わかった」
「――じゃあ、また明日ね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
あまり涙を見られたくないこともあって、早く家に帰りたかったのだけれど、工藤君は私を呼び止める。
「俺たち、付き合……っていく方向でいいのか、な?」
顔を赤くして、もうホントに赤くして、私より大きいくせに今の彼は小さく見える。
そんな彼が可笑しくて、可愛くて、愛おしくて。
「工藤くん」
「な、なんだ!?」
「これから、夏姫の分まで私のこと支えていてくれますか?」
私は私の声で夏姫の喪失を認識した。受け止めることができた。
強く頷いた彼の顔が近づいて、私はさっきとは違って彼の唇を受け入れる。
ふと、さっき夏姫がしたファーストキスは、私とのキスにカウントしてほしくないな、なんて些細なことを気にしている自分に気づいて、キスの途中で笑い出してしまった。
四季夏姫様へ
お久しぶりです。四季芙由子こと四季夏雪です。
私のことを覚えていますか? きっとあなたは薄情だから私のことなど覚えていないでしょうね。
あなたに別れを告げることができぬまま、あれから10年もの歳月が経ちました。
今思い返せば、あなたの突飛な言動はいつも私のためだったように思います。彼氏作りや料理教室体験入学、部活に入ったのも夏姫が無理言ったからだと記憶しています。もし違ったらごめんなさい。
あれから春明くんと結婚しました。(工藤君のことです)
これがビックリで、名前に春と秋どちらも入っているんですよ!? 夫婦でいれば春夏秋冬オールシーズンコンプリートなんだよ。夏姫は笑ってくれるかな?
あとね、子供ももう一人いて、名前は巡流って書いて「めぐる」だよ。四季巡流。季節が巡るように、この子はずっと変わらず健康で成長してほしいって意味こめて付けました。春明くんが(笑)
ねえ、覚えてる?(だんだん口語体になってきたけど気にしないで)
いつか夏姫が地味婚なんて駄目だって言ってたよね?
駄目じゃなかったよ。私は今、幸せです。あなたと、春明くんと、巡流と、ほかにも色んな人に支えられて。
ねぇ、夏姫のおかげだよ。
もうすぐだね。もうすぐ夏姫と会える、そう思えば私がんばれるよ。
あなたに会えるのが待ち遠しいです。春明くんもそわそわして仕事に集中できてない感じだし、巡流もお兄ちゃんになれるって張り切って待ってるから。
早く元気な産声を聞かせてください。そしたら、また一緒に思い出を作っていこうね。
先に伝えておく。
おかえり、夏姫。
あなたのお母さんより
はい、二人いると見せかけて多重人格でした。
タイトルも決めず適当に名前を付けたのですが、そこから男の子の名前とか子供の名前に広がったのでよかったです。
今と文章能力が変わらないのが残念ですが、劣化していないだけよしとしたいと思います。




