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第8話 揺らぎの底

第8話 揺らぎの底


いつもの日課を終え、テンムと会話を交わす。

穏やかな日常に戻っているように見えるのに、どこか違う。


テンムの歩くリズムは軽く、視線はいつも天へ向いていた。

症状は安定している――そのはずなのに、胸の奥では不安が静かに膨らんでいく。


「地上に居たいな……」


ふと漏れたテンムの声。

立っているのに、足元が地面に触れていないように見えた。


日課を終えて戻る途中、その言葉が耳に入る。


「私は、下が好きだよ……。リアンがいる場所が落ち着くから」


独り言にしては、誰かと会話しているような響きだった。

中に入って問いただしたいのに、足が止まる。


「上に行くか下に残るかの選択肢があるなら、私は残りたい……」


その言葉が胸に刺さる。

テンムが変わってしまったことを認めるのが怖い。

変わったとしても、隣にいたい――そう思う自分がいる。

けれど、本当に隣にいられるのかという疑問が、一歩を踏み出すのを阻んだ。


胸の引っかかりを抱えたまま、仕事に行くと告げてギルドへ向かった。



ギルドは騒がしかった。

森の奥に“境界”ができ、誰も入れなくなったという噂で持ちきりだ。


魔物の動きは活性化しているが、敵意はないらしい。

ただ、何かが変わっている。


「こういう時こそ調査員の出番だよ」とおだてられ、依頼を受ける。


森に入ると、魔物たちは活発に動いていたが、攻撃的ではなかった。

静かな圧が、いつもより近くに感じられる。


(選ぶのは、2人の意思次第……)


また聞こえた。

声ではないのに、確かに意味だけが伝わってくる。


気にしすぎれば仕事にならない。

そう自分に言い聞かせて調査を続けた。


森の外では《空歩》に異常はなかった。

試しに使うと、以前より高く、安定して足場が生まれる。


だが――

それは“上へ行くため”の安定ではないと直感した。


足場が、テンムのいる方向へ伸びようとしているように感じた。


「事情は分からないけど……テンムが上に行く選択をしても、これで追いついてみせる」


自分に言い聞かせるように呟いた。


調査を終え、森の様子をギルドへ報告し、家へ戻る。



家に着くと、テンムの表情がやけに静かだった。

目の奥に不安が揺れているのに、どこか覚悟のようなものも感じられる。


「ただいま。今日は……何もなかった?」


言った瞬間、胸の奥に冷たい緊張が走った。

聞いてはいけないことを聞いた気がした。


テンムは一呼吸置き、ゆっくりと上を見上げる。


「決めなきゃいけない時が来る。いつかは……」


そして、上に手を伸ばした。

何かを掴み、登っていくようにも見えた。


その仕草の意味を想像し、問いただしたことを後悔する。


乱れる心を落ち着かせるように窓を見る。

雲の切れ間から月が顔を覗かせていた。

綺麗なのに、いつ隠れてもおかしくない儚さが、今の日常と重なる。


月は、森の奥と同じ静かな圧を帯びているように見えた。


「……きっと、このままだと追えない。追えないままなら、失う」


リアンの中で、初めて“意思”が言葉になった。

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