第6話 まだ、選べない
第6話 まだ、選べない
テンムがいなくなる夢を見た。
触れられそうで触れられない場所。
怖くはないのに、帰れない感覚だけが残る。
胸がざわつき、思わず隣を確認する。
「……居るのが当たり前だよな」
自分に言い聞かせるように呟き、頭を掻いて家事に向かった。
寝ているテンムの呼吸と頬の赤みを確かめ、ようやく鼓動が落ち着く。
朝の日課を終えて戻ると、テンムが微笑んだ。
「リアン、おはよう。今日もいい天気だね。体調もそんなに悪くないよ」
言葉はいつも通り。
ただ、差し込む陽光のせいか、輪郭が淡い光のように揺れて見えた。
自分の方がおかしくなってきいる気さえしている。
目もそうだが、《空歩》を使っていないのに、使って歩いているような感覚すらある。
「夢を見たの。空や月や階段みたいなもの……怖かったけど、嬉しい気持ちだけが残ってる、不思議な夢」
テンムの手を握り、目を覗き込む。
そこにあるのは――不安か、希望か。
「不安かもしれないけど、ずっと君の側にいる。ただ、それだけは変わらない」
テンムは静かに頷いた。
こういう時、「大丈夫」や「心配しないで」は軽すぎる。
愛を伝えたい時ほど、希望も絶望も言葉にしない。
平坦に、ただ寄り添う――そう決めたのだ。
◆
仕事の準備をしてギルドへ向かう。
依頼ボードを見ると、森関連の依頼が微妙に減っている気がした。
「あの奥」が立ち入り制限になったという噂も耳にする。
理由は不明。公式発表もない。
適当な依頼を受付に出すと、受付嬢はいつも通り、調査依頼が減ることを喜んでいた。
森に入ると、すぐに“視線”を感じた。
静かな圧をまとい、こちらを観察している――そんな気配。
指定のエリアを見て回るが、異常はない。
「次行くか……高いな」
反り立つ崖は、今まで越えたことのない高さだった。
地図を広げて迂回路を探す。
「うげ……回り道は……ほぼ1日かよ」
今日中にここまで進みたい。
考えた末、登るしかないと判断した。
どうやって?
何度も自問し、重ねてズラしていけば行けると結論を出す。
理解した瞬間、身体は動いていた。
だが、思ったより難しい。
魔力操作には自信があったが、上へ向かうのは勝手が違う。
途中で体勢を崩すが、反射的に新しい足場が生まれる。
焦り、恐怖、不安――すべてが重なり、魔力操作をしようとした瞬間。
足場が“ある前提”になってしまった。
足元が空に溶けるような感覚が走る。
……ぶつか……る?
気づけば地面に立っていた。
登っていた記憶はあるのに、何かがおかしい。
「今のは……何が起きた?」
静かな圧が、さっきより近い。
耳の奥で、言葉にならない思念が揺れた。
(空歩を変えたのではない
環境を整えただけ
歩いたのは彼自身
まだ「選べない」状態であることを確認)
はっきりとは聞こえない。
だが、確かに“何か”がいた。
釈然としないまま、家路についた。
◆
家に戻ると、テンムが食事を用意して待っていた。
その姿はいつも通りのはずなのに、どこか淡い。
「……おかえ……り。」
テンムの視線がふっと上へ向かい、何かを追うように揺れる。
「森が呼んでる気がする……」
「時々、意識がフワフワして飛んでるような感覚がある。自分が二人いるみたい。不思議だね」
言い終えると落ち着いたのか、座って食事を促してきた。
頷くことも、肯定することもできない。
胸の奥が、誰かに掴まれたように痛む。
促されるままに、日常へ戻った。
◆
月が陰り、誰もが寝静まった夜。
森の奥から、静かな圧が広がる。
まだだ……。
次に進もう。
声なき声が、世界のどこかで確かに響いた。




