第4話 慣れではないもの
朝の日課をこなしながら、頭の中では昨日の出来事を何度も反芻していた。
繋がりそうで繋がらない違和感が胸に残り、言葉にならないまま沈殿していく。
気を紛らわせるように、道具の整理に手を伸ばした。
今日の依頼は「地形確認・移動経路の再調査」。
《空歩》が役立つ仕事だ。
高低差の激しい場所に対応できる靴を選び、
念のため食料も多めに詰める。
討伐ではないが、危険地帯の調査に油断は禁物だ。
「リアン、今日も早く帰ってきてね」
テンムの声は穏やかだが、どこか遠くのものに触れているようだった。
その一言に胸が緩む。
ただ、窓辺に立つテンムの横顔は、以前より透明感が増しているように見えた。
儚さが滲む。
「月影症……家族に伝わる原因不明の病、か」
何度も反芻する考えを振り払う。
「じゃあ行ってくる」
テンムは笑顔で手を振った。
元気な時のその笑顔は、今日一日が穏やかである証のように思えた。
◆
森へ向かう足取りは自然と軽くなる。
準備した装備を確認しながら森に入ると、昨日とは違う静けさが広がっていた。
――視線が、ない。
昨日は森に入った瞬間からまとわりついてきた“あの気配”が、今日はどこにも感じられない。
それはそれで、逆に違和感だった。
《空歩》で谷間や段差を越えながら調査を進める。
足場は安定し、魔法の制御も驚くほど滑らかだった。
「足が軽い……いや、軽すぎるか?」
テンムの状態が落ち着いていた安心感が影響しているのかもしれない。
だが、それだけでは説明できないほど調子が良い。
魔法を使うほどに、身体が自然に動く。
足場を作るタイミングも、まるで先回りされているように噛み合う。
「魔法も、使ってると成長するもんなんだな……」
予定よりずっと早く調査が終わった。
“調子が良い”では片付けられない速さに、自分でも驚く。
帰り道でも《空歩》を使う。
足場を作るタイミングがわずかにズレ、体勢を崩しかけたが――
すぐに新しい足場が生まれた。
危機感よりも、自然な反応が先に来た。
まるで身体が勝手に補正したような感覚。
足場が先に用意されている錯覚すらあった。
「……慣れ、だけじゃないな」
胸の奥に小さなざわつきが残る。
◆
家に戻ると、テンムが穏やかな表情で食事を準備して待っていた。
その姿を見るだけで、今日の疲れが溶けていく。
依頼の話をすると、テンムは真剣な目で言った。
「調子がいいからって、慢心しちゃだめだよ」
その目は、不安と心配を隠しきれていなかった。
返事の代わりに、テンムの口元へ食事を運ぶ。
困ったようにしながらも食べる姿が、どうしようもなく愛おしい。
今日一度も“落ちるかもしれない”と思わなかった。
成長しているとはいえ、何かのきっかけがあったとは思えない。
夜、月のない空を見上げながら呟く。
「……これは、慣れだけじゃない」
確信には、まだ届かない。
けれど、何かが変わり始めている気がした。
その思いだけが、静かに胸に残った。




