表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

第九話:生意気な相棒


 視界が切り替わっていた。


 さっきまで私を閉じ込めていた、狭いコックピットの薄暗がりも、無数の計器が放つ緑や赤の光も、すべてが消え失せた。


 代わりに、そこにあったのは。


 青。


 どこまでも、どこまでも続く、吸い込まれそうなほどの、深い青。


 眼下には、白い綿のような雲が、まるで絨毯のように敷き詰められている。


 私は、今、空にいた。


 あの格納庫の白々しい照明の下ではなく、本物の雲よりも高い空、ど真ん中に放り出されていた。


「いやあああああああっ!?」


 ドンッ! という衝撃はなかった。


 ただ、体が、ふわりと浮き上がるような感覚。


 お腹の底が、ひゅっ、と冷たくなる、あの嫌な感じ。


 落ちる!


 私は、自分が今、とんでもない高さから、真っ逆さまに落ちているのだと、瞬時に理解した。


 公爵令嬢としての、あの優雅な日々の中で、こんな感覚、味わったことなんて、一度もない!


「な、なんなのよこれはー!」


 私は、目の前の操縦桿を、ただ、がむしゃらに握りしめた。


 これが、あの生意気な『声』の言っていた、『仮想空間シミュレーター』?


 模擬訓練ですって!?


 こんな、本物と区別がつかないような場所で、いきなり!?


『……やかましいぞ、お嬢様。喚くな。うるさいぞ』


 その声は、スピーカーからではなかった。


 昨日、私を散々こき下ろした、あの傲岸不遜な男の声。


 イーグル。


 私の頭の中に、直接、響いてきやがった。


「あなたねえ! いきなり、こんな場所に放り出して、何を考えているのよ!」


『何を、と言われてもな。これは、貴公のマスター……いや、私のマスターである、あの女の命令だ』


「シビルが……!」


 あの子供、絶対に面白がっているわね!


 私が、この訳の分からない状況で、パニックになっている様を、あの『管制室』の『玉座』から、ニヤニヤしながら眺めているに違いない!


『ふん。ようやく、状況を理解したか。……ならば、やってみるがいい』


「やってみる……? 何をよ!」


『決まっているだろう、素人。……『操縦』だ』


 イーグルの『声』には、私を試すような、いやらしい響きがこもっていた。


『貴公は、私の『乗り手』になるのだろう? ならば、この私を、その貧弱な両手で動かしてみせろ』


「そ、素人……!」


 カチン、ときた。


 その生意気な『声』に、ここまで馬鹿にされて、黙っていられる私ではない。


「上等じゃないの……!」


 私は、操縦桿を握る手に、ぐっ、と力を込めた。


「やってやろうじゃないの!私の実力を、見せてあげるわ!」


『ほう?あの田舎王国の公爵令嬢は、鋼鉄の竜の操縦まで、嗜みとして学ぶのか。それは、初耳だな』


「うっ……! そ、それは……!」


 言葉に詰まる。


 当たり前だ。


 公爵令嬢として、これまで私が学んできたのは、歴史学、政治学、帝王学。そして、社交ダンスと、高等魔法理論。


 戦闘機の操縦方法なんて、知るわけがない。


 でも。


 私には、あの『日本』の記憶がある!


 あの世界では、軍人ではなくても、多くの人間が『鉄の箱』を運転していた。


 そう、『車』よ!


 私も、あの記憶の中では、免許とかいうものを持っていて、鉄の箱を自分で運転していたはず!


 きっと、あれと、似たようなものよ!


「……見てなさい」


 私は、目の前に広がる、どこまでも続く青空と、眼下の白い雲海を睨みつけた。


 このまま、まっすぐ落ちているわけではないらしい。


 機体は、不思議と、空中で安定している。


 まるで、見えない何かに支えられているみたいに。


 ……これが、イーグルの『力』だというの?


 いいわ。


 だったら、まずは、曲がってみましょうか。


 前世の記憶を必死に呼び起こす。


 『車』は、丸い『ハンドル』とかいうものを、回して曲がっていた。


 だったら、これは?


 この右手に握っている、棒――『操縦桿』。


 きっと、これを、曲がりたい方向に倒せばいいのよ!


「……まずは、右よ!」


 私は、公爵令嬢らしからぬ、荒々しい掛け声と共に、その操縦桿を、体重をかける勢いで、右側へと力任せに傾けた!


 ガチッ、ガチッ!


 プラスチックのような硬い『操縦桿』が、私の力に抵抗して、わずかに軋むような音を立てる。


 だが。


 シーン……。


 目の前の光景は、変わらない。


 機体は、相変わらず、まっすぐ、前へと進んでいる。


 ……あれ?


「な、なんでよ……!?」


「……何をしている、お嬢様」


 イーグルの『声』が、心底、呆れた、という響きで、私の頭に響いた。


「な、何って……! 操縦よ! 右に曲がろうと、しているの!」


「その『操縦桿』を、力任せにガチャガチャと動かして、か?」


「そ、そうよ! 車は、こうやって、動かすものだわ!」


『クルマ?』


 イーグルが、初めて聞く単語に、怪訝な『声』を出した。


『……ああ、あの地上を這いずり回る、四つの車輪がついた、鉄の箱か。……なるほどな。貴公の『前世』とやらの記憶は、その程度の、原始的な代物か』


「げ、原始的ですって!?」


『ふん。……いいだろう。貴公が、その『原始的な』やり方で、この私を動かせると思っているのなら、好きにするがいい』


 イーグルの『声』が、ふっ、と、途切れた。


 いや、違う。


 さっきまで、私を支えていた、あの『見えない力』。


 それが、スッ、と消え失せた。


「え…………?」


 次の瞬間。


 ゴオオオオオオオオオッ!


「きゃあああああああああっ!?」


 私の体が、座席に、強く、押し付けられる!


 違う!


 さっきまでの、あの緩やかな浮遊感じゃない!


 機体が、今、機首を、まっすぐ、下に向けて。


 眼下の、あの白い雲海に向かって、突っ込んでいる!


 落ちてる!


 今度こそ、本当に、真っ逆さまに、落ちている!


 耳元で、空気を切り裂く、すさまじい音が、轟音となって、鳴り響いている!


「な、なにしやがるのよ! イーグル!」


『何もしていない。……貴公が、何もしないから、私が、機体を支えるのを辞めただけだ』


「なんですって!?」


『重力、というものを、知っているか? お嬢様。……この鋼鉄の体は支えがなければ、こうやって、地面に落ちるようにできている』


「そ、そんなこと、知ってるわよ! だ、だから、早く、支えなさいよ!」


『なぜ、私が? 貴公が、操縦するのだろう?』


 イーグルの『声』は、どこまでも冷静で、そして、楽しんでいる。


 こいつ……!


 私を、墜落させる気だわ!


「う、動け! 動けえええええっ!」


 私は、もうパニックだった。


 右手の操縦桿をガチャガチャ! と、前後に、左右にメチャクチャに振り回す!


 左手の『レバー』も、前後に、力任せにスライドさせる!


「上がれ! 上に、上がりなさいってば!」


 だが、機体は、ピクリとも反応しない。


 ただ、無慈悲に。


 速度を上げながら。


 眼下の雲海の、さらに下にあるであろう、『地面』に向かって、突き進んでいく!


 ゴオオオオオオオオオッ!


 風切り音が、さらに甲高くなる。


 機体が、ガタガタと小刻みに揺れ始めた。


 これが、あの前世の記憶で聞いた、『失速』というやつなの!?


 速すぎる!


 怖い!


「いやあああああっ! 死ぬ! 死んじゃうわよ!」


『当然だ。何もしていないのだからな』


 イーグルの『声』は、まるで、他人事のように、冷ややかに、そう呟いた。


 眼下の雲が、もう、すぐそこまで迫っている。


 あの白い綿の中に、突っ込む!


 私は、ギュッ、と目をつぶった。


 ドンッ!


 という、衝撃を覚悟した。


 だが。


 衝撃は、来なかった。


 代わりに。


 プツン。


 と、何かの電源が切れたかのように。


 私の視界が、一瞬で、真っ暗になった。


 あの、すさまじい轟音も、機体の揺れも、何もかもが消え失せた。


「…………は?」


 私が、恐る恐る、目を開けると。


 そこは、さっきまでの真っ青な空ではなかった。


「……ここ、は」


 白々しい照明。


 無機質な金属の壁。


 目の前には、沈黙した、無数の『計器』。


 私は、格納庫ハンガーにいた。


 あの鋼鉄のイーグルの、狭いコックピットの中に戻っていた。


「…………」


 私は、荒い息を必死に整えようとした。


「はあっ……!はあっ……!はあっ……!」


 ジャージの背中が、じっとりと、冷たい汗で濡れている。


 今のは……?


 夢?


 いや、違う。


 あの、落ちていく時の、内臓がひっくり返るような、あの不快な感覚。


 あれは、あまりにも生々しすぎた。


「今……私、死んだ……?」


 私の、かすれた声が、静まり返ったコックピットに響いた。


 その時。


『……死なない。仮想空間シミュレーターだからな』


 スピーカーから、シビルのどこか楽しそうな声が聞こえてきた。


『ふむ、面白いデータだ。被験者の精神的負荷、最大値を記録。……墜落直前で、心拍の急激な上昇。……なるほどな』


「ひ、被験者ですって!?」


 私は、スピーカーに向かって、叫び返した。


「あなた! 私が、どれだけ、怖い思いをしたと、思っているのよ!」


『怖い? なぜだ? 仮想空間だと、最初から説明しただろう。……ああ、そうだ。お前の『恐怖』という感情が、魔力にどう影響するか。それも、貴重なデータだ。……よし、イーグル。もう一度、だ』


「ま、まだやるの!?」


『当たり前だ。私の貴重な研究時間が無駄になるだろう。……今度は、もう少し、高度を上げてから、突き落としてみろ。落下時間の延長による、精神的影響の変化を測定する』


「あなた、悪魔……!」


 あの子供、本気で、私を『研究素材』としか、思っていない!


『……チッ。マスターも悪趣味な』


 今度は、私の頭の中で、イーグルが忌々しそうに呟いた。


「あなたも、よ!いきなり手を放すなんて、どういうつもりなの!」


『だから言っただろう、素人』


 イーグルの『声』が、私を、心の底から馬鹿にするように響いてきた。


『その操縦桿は、物理的に動かすものではない、と』


「じゃあ、なんなのよ! どうやって、これを動かせっていうの!」


『……はあ』


 イーグルが、深々と、ため息をついた(ように、私には感じられた)。


『貴公は、赤子か? ……いいか、よく聞け、お嬢様。……その『操縦桿』も、『スロットル』も、貴公が、その貧弱な腕力で、ガチャガチャと、振り回すためのものではない』


「じゃあ……!」


『それは、貴公の『思考』……その貧弱な飛行へのイメージを、この私に伝達するための『補助装置』に過ぎん』


「し、思考……? 思考で、ですって?」


 私は、呆然と、右手に握られた操縦桿を見つめ直した。


 これを動かすんじゃない。


 ただ、考える、と?


「そんな、馬鹿な……!」


『馬鹿な、ではない。……アステル王国の原始的な『竜騎士』どもは、どうしている?』


「竜騎士……?」


『そうだ。奴らは、あのトカゲどもと、魔力で『契約』し、意思を通わせているのだろう? ……それと、同じことだ』


「同じ……?」


『いや、違うな』


 イーグルは、自分で、自分の言葉を訂正した。


『あんな、生臭い獣の機嫌を伺うような、原始的な『同調』ではない。……この空の絶対的な覇者たる、私と貴公のリンクは、もっと、直接的で絶対的だ』


「…………」


『貴公は、ただ、イメージしろ。……『右に曲がりたい』『上に昇りたい』と。……そう、強く、念じるだけでいい』


「念じる……だけ」


『そうだ。貴公の貧弱な『思考』を、この私が読み取り、この鋼鉄の翼に反映させてやる。……貴公がやるべきは、それだけだ』


 イーグルは、冷たく、そう言い放った。


 思考で操縦する。


 もしかして、その思考とやらは、空を飛ぶことができない人類にとって、かなり難しいことなのでは?


「……納得いかないわ」


 私が、そう呟くと。


『……ふん。貴公が、納得しようが、しまいが、事実は事実だ』


 イーグルは、冷酷に、突き放した。


『どれだけ、貴公が、その原始的な『常識』に、縛られていようが、知ったことではない。……ここでは、この私と、マスターの『ルール』が、全てだ』


「くっ……!」


 言い返せない。


 現に、私は、さっき、この『ルール』を知らなかったせいで、無様に、地面に叩きつけられたも同然の目に遭ったのだから。


 私が、悔しさに、唇を噛み締めていると。


 コックピットのスピーカーから、シビルの、どこか退屈そうな声が、割り込んできた。


『……おい!無駄口は、そこまでだ。……私の貴重な『研究時間』が、お前たちの非生産的な口論で奪われていくのは、無駄だ』


「なっ……! これは、操縦に必要な議論で……!」


『議論は、不要だ。……行動で示せ』


 シビルの冷たい声。


『コレット。お前の前世の常識が、ここでは、どれだけ無力か。……イーグル。お前が、どれだけ、この『素人』に、イラついていようが、知ったことではない』


 シビルは、そこで、一度、言葉を切ると。


 まるで、判決を言い渡すかのように、告げた。


『……二人とも、私の『研究』にとっては、等しく、『興味深い研究素材』でしかないのだからな』


「そ、素材……!」


『……チッ』


 私と、イーグル(の『声』)が、同時に、反発の声を上げた。


 気が合う、なんて、絶対に認めたくないけれど。


 この瞬間だけは、あの『管制室』にいる、悪魔のような子供に対する、怒りの感情だけは、一致していた。


『さあ、実験を続行するぞ』


 シビルは、私たちの反発など、まるで意に介さず、無慈悲に、そう宣言した。


「ま、待ちなさい!心の準備が……!」


『……仕方あるまい。マスターの命令だ』


 私の頭の中で、イーグルが、心底、うんざりした、という『声』で呟いた。


『……いいか、お嬢様。次こそは、少しはマシな『思考』をしてみせろ。……さもなくば』


 イーグルの『声』が、楽しそうに、低く、響いた。


『――何度でも、地面に叩きつけてやる』


「なんですってえええええええ!?」


 私の絶叫が、コックピットに響き渡るのと。


 再び、私の視界が、あの真っ青な、空のど真ん中に放り出されたのは。


 まったく、同時のことだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ