第八話:人工妖精
無機質な金属の天井が、白々しい照明の光を反射している。
それが、私、コレット・フォン・アインツベルクが、この『基地』とかいう場所で迎えた、最初の朝の光景だった。
あの荷馬車の暗闇でもなければ、獣のフンと腐臭に満ちたあの『小屋の残骸』でもない。
硬い。
あてがわれた『個室』の寝台は、王宮で使っていた羽毛たっぷりのそれとは比較にもならないほど硬かった。けれど、清潔で、乾いている。それだけで、あの森での一夜に比べれば、天国と呼んでも差し支えないくらいだった。
体を起こす。
昨日、あの魔獣から逃げ惑い、泥水の中を転げ回ったのが嘘のように、体の痛みは引いていた。アインツベルク公爵家として鍛えられた魔力が、無意識のうちに体を回復させたのか。あるいは、昨日ゴーレムに運ばれてきた、あの『合理的で完璧なエネルギー補給食』とやらのおかげか。
どちらにしろ、気分は悪くない。
いや、最悪だった状況が、ほんの少しマシになった、というだけか。
私は、昨日支給された黒い『ジャージ』――シビル曰く『パイロットスーツの予備』――の袖をまくりながら、寝台から立ち上がった。
その瞬間。
『――起床したか、コレット。お前の魔力循環は安定しているな。昨日の疲労も完全に抜けているようだ。……ふむ。アインツベルク公爵家の血統は、基礎的な耐久性も高いらしい。良い研究素材だ』
部屋の壁、そのどこからともなく、あの眠たそうな、それでいて研究熱心な声が響いてきた。
シビル。
この基地の主で、私を『研究素材』と呼ぶ、とんでもない子供。
「……おはようございます、かしら? シビル。朝から、私の体を『研究素材』扱いするのは、やめていただきたいわね」
私は、壁に向かって、皮肉たっぷりにそう返した。
もう、こいつに何を言っても無駄だとは思うけれど、言わなければ気が済まない。
『挨拶は非合理的だ。時間の無駄だ。……それより、準備はいいか』
「準備?」
『決まっているだろう。お前との『契約』だ。……お前の『復讐』の道具。その『鉄の竜』とやらに、ご対面だ』
鉄の竜。
その言葉に、私の背筋が、ピリリ、と微かな緊張を帯びた。
昨日、あの『管制室』の光る板で見た、鋼鉄の機体。
あれが、私の『復讐』の切り札。
「ええ、準備なら、とっくにできています。それで? その『鉄の竜』とやらは、どこにあるの? まさか、あの光る板の中だけで、お話は終わり、なんて言わないでしょうね?」
『クク……。威勢がいいのは結構だ。だが、その威勢がいつまでもつか、見ものだな。……ゴーレム、コレットを『ハンガー』まで案内しろ』
「ハンガー? 服をかける、あれのことかしら」
私の呟きに、シビルは、スピーカー越しに、心底呆れたような、ため息をついた。
『……お前の異世界の記憶とやらも、大したことないな。その『ハンガー』が、どういう意味かは、まあいい、行けばわかるさ』
プシュウ。
その言葉と同時に、私の個室の、あの無機質な金属の扉が、横にスライドして開いた。
そこには、昨日、私を荷物のように担ぎ上げた、あの岩石のゴーレムが、無言で立っていた。
その頭部に埋め込まれた、赤い一つの『光』が、私をじっと見つめている。
「……分かっているわよ」
私は、フン、と鼻を鳴らし、その無愛想な岩石の巨人の後を追って、冷たい金属の通路へと、一歩を踏み出した。
「今度は、荷物みたいに運ぶんじゃないでしょうね?」
ゴーレムは、もちろん、何も答えない。
ただ、ゴウン、ゴウン、と重い足音を立てて、昨日とは違う方向の、薄暗い通路の奥へと歩き始めた。
◇
基地の中は、まるで蟻の巣のようだった。
どこまで行っても、同じような灰色の『コンクリート』の壁と、金属の床。
等間隔に配置された、白々しい照明。
ひんやりとした、乾いた空気。そこには、あの森のような、湿った土と腐葉土の匂いも、王宮の、香と埃が入り混じった匂いもない。
あるのはただ、機械の油と、わずかなオゾン……そんな、前世の記憶が『工場の匂い』とささやく、無機質なものだけ。
時折、私を案内しているゴーレムとは違う、もっと大型の、荷物を運ぶためだけのようなゴーレムが、ゴウン、ゴウン、と脇の通路を横切っていく。
そのたびに、私は、ここが人間の住む場所ではない、ということを、改めて思い知らされた。
ここは、シビルという、たった一人の魔法使いが支配する、巨大な『機械の巣』なのだ。
どれくらい、歩いただろう。
やがて、ゴーレムは、ひときわ巨大な、分厚い金属の『扉』の前で立ち止まった。
さっきまでの、私が使っていた個室の、横にスライドする『自動ドア』とは、比べ物にならないほどの威圧感。
これは、もう、扉というより『城壁』だ。
ゴーレムが、その扉の横にある『板』に、岩石の指で何事か操作すると、私の頭上で、警告音のような、低いブザーが鳴り響いた。
ブウウウウウウ……。
そして。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ!
地響き。
足元の金属の床が、小刻みに揺れている。
目の前の、巨大な金属の城壁が、ゆっくりと、左右に分かれて開いていく。
その隙間から、強烈な光が、私の目に突き刺さった。
「うっ……!」
私は、思わず、腕で目を覆った。
なんだ、この明るさは。
あの『管制室』の、あの無数の『板』が放つ光の比ではない。
圧倒的な光量。
そして、広い。
光に目が慣れてくると、私は、腕を下ろし、そして、息をのんだ。
そこは、巨大な『穴』だった。
王宮の玉座の間が、いくつ入るか分からない。
ドーム状の、信じられないほど、だだっ広い空間。
天井は、はるか上。そこにはめ込まれた、無数の『照明』が、この空間を、真昼の太陽の下よりも、明るく、白々しく照らし出している。
ここが『格納庫』。
シビルが言っていた、場所。
服をかける場所、なんかでは、まったくない。
そして、その巨大な空間の、ど真ん中に。
それは、鎮座していた。
「あ…………」
私の口から、乾いた声が漏れた。
昨日、あの『管制室』の光る板で見た、機体。
『鉄の竜』。
実物は、あの板越しで見るよりも、遥かに……。
遥かに、巨大で、美しく、そして、恐ろしかった。
銀色に輝く、滑らかな機体。
それは、竜騎士団が乗る、あの鱗に覆われた『竜』とは、まったく違う生き物だった。
いや、生き物ですらない。
鋭く尖った機首は、まるで、獲物を狙う猛禽の嘴。
薄く、鋭利に切り詰められた翼は、今にも、空気を切り裂かんと、その切っ先を研ぎ澄ませている。
アステル王国の『竜』が、力と生命の象徴だとするなら。
これは、鋼鉄でできた、純粋な『殺意』の塊。
前世の記憶で見た、映画か何かに出てきた『戦闘機』。そのものだった。
私は、何かに引かれるように、その鋼鉄の竜へと、一歩、また一歩と、足を踏み出していた。
『どうだ、コレット。私の『研究対象』は』
格納庫の壁、その上部に取り付けられたスピーカーから、シビルの、どこか得意げな声が響き渡った。
どうやら、あいつは、もう『管制室』に戻って、この様子を『玉座』から、高みの見物と洒落込んでいるらしい。
「…………すごい」
私は、素直に、そう呟いていた。
憎しみも、恐怖も、この瞬間だけは、どこかへ消え去っていた。
ただ、目の前の、圧倒的な『力』の造形に、見入ってしまっていた。
「これが……。『鉄の竜』ね?」
『そうだ。そして、お前は、今日から、これの『乗り手』になる。『パイロット』ってやつだ』
シビルの声が、どこか楽しそうに、弾んでいる。
私が、この『魔道具』の前に、圧倒されている様が、よほど面白いらしい。
まったく、食えない子供だ。
私は、機体のすぐそばまで、来ていた。
見上げるほどの巨体。
翼の先端が、私の背丈よりも、ずっと高い位置にある。
機体の下には、頑丈そうな三つの『車輪』がついている。前世の記憶が、これは『着陸脚』だと、また、余計な知識を教えてくれる。
『機体の横に、梯子がかけてあるはずだ。さっさと、そこから、あの『穴』――コックピットに搭乗しろ』
シビルの指示通り、機体の中央、少し盛り上がった部分の横に、金属の、簡単な梯子が立てかけられていた。
その先にある、『穴』。
透明な『天蓋』――前世の記憶が『キャノピー』と呼んでいた――が、今は、パカリと開いていて、中にある、ゴツゴツとした『椅子』が見えている。
あそこが、私が搭乗する、場所。
私は、ゴクリと乾いた唾を飲み込んだ。
本当に、私が、こんなものに乗るの?
公爵令嬢として、馬車の乗り方なら、嫌というほど教え込まれたけれど。
鋼鉄の竜の乗り方なんて、聞いたこともない。
だが、もう後戻りはできない。
私は、金属の梯子に足をかけた。
一段、一段。
冷たい金属の感触が、ジャージの生地越しに足の裏に伝わってくる。
そして、ついに。
私は、その『穴』――コックピットの縁に手をかけた。
「よっ……と」
公爵令嬢として、あるまじき掛け声。
でも、今は、誰も見ていない。
いや、あのシビルが、どこかの『板』越しに、ニヤニヤしながら監視しているのだったわ。
私は、その複雑な椅子に、まるで馬にまたがるかのように、体を滑り込ませた。
狭い。
それが、第一の感想だった。
椅子に、深く体が沈み込む。
肩も、腰も、まるで、この椅子に、体を固定されるかのように、ぴったりと収まってしまう。
そして、目の前には、信じられないほどの数の、『計器』とやらが、ずらりと並んでいた。
今は、どれも沈黙している。
黒い『板』に、白い『文字』や『目盛り』が描かれているだけ。
私の右手には、奇妙な形の『棒』。
左手には、前後に動かせそうな『レバー』。
その『レバー』は、ぴったりと寄り添った二本の金属の『棒』で構成されている。
こんなもので、どうやって動かせと……?
『ふむ。無事に、収まったようだな。サイズも問題ない』
シビルの声が、今度は、コックピットの中に直接、響いてきた。
目の前の『計器』の一つに、小さな『スピーカー』が埋め込まれているらしい。
「収まったわよ! それで、どうするのよ、これ! 私、こんな複雑な機械、見たこともないのだけれど!」
『だろうな。だが、案ずるな、コレット。お前が、その計器の意味を、一つ一つ、覚える必要は、一切ない!』
「……どうして?」
『なぜなら……私にも、ほとんど分からないからだ!』
シビルは、分からない、と自信満々といった形で言いやがった。
「はあ!? あなた、頭、大丈夫かしら!?」
つい、本音が口から飛び出してしまった。
私、こんな子供の、無茶苦茶な『研究』に、命を預けることになっているの?
ああ、本当に……。
本当にこんなんで私、これから、大丈夫かしら?
『大丈夫だ! 問題ない! 昨日も言ったはずだ。この機体は、私が『改造』した、と。お前は、その訳の分からない計器の数々を、覚える必要はない』
「じゃあ、何をすればいいのよ!」
『お前は、ただ、魔力を通すことだけを考えろ』
「魔力、ですって?」
『そうだ。その右手の『棒』……お前の記憶では『操縦桿』と呼ぶのか? それは、お前の前世の記憶が言うような、機体を物理的に動かすための『テコ』ではない』
シビルの声に、いつもの眠たげな響きとは違う、熱がこもり始める。
『……私の改造によって、それは、お前の魔力を機体の『コア』に流し込むための、『補助的な入力デバイス』……そう、『触媒』となっている!』
触媒。
魔力を流し込む。
まるで、魔法の杖みたいに。
「……分かったわ。やってみれば、いいのでしょう」
私は、右手の『棒』――操縦桿を、ギュッ、と握りしめた。
冷たい、プラスチックのような硬い感触。
私は、目を閉じて、意識を集中させた。
体の中を流れる、『魔力』。
アインツベルク公爵家に生まれた者として、私の中に流れる、この力。
あの王都では、教養の一つとしてしか、役に立たなかった、この魔法の力。
今こそ、私のために動きなさい!
「…………っ!」
体中の魔力を、右腕に、そして、握りしめた『棒』へと、一気に流し込む。
ジン……、と、手のひらが、わずかに熱くなったような気がした。
魔力が、私の中から、この鋼鉄の塊へと、吸い込まれていく感覚。
だが。
シーン……。
コックピットは、沈黙したままだ。
目の前の、無数の『計器』は、黒い画面のまま、ピクリとも、動かない。
「……動かないわよ」
私は、目を開けて、シビルに報告した。
『……ふむ。魔力の流量は、悪くない。むしろ、予想以上だ。……だが、足りないな』
「足りない? これ以上、どうしろと? 私の魔力は、ほとんど、流し込んでいるつもりだけれど」
『『意志』が足りない』
シビルの声が、低くなった。
『……コレット。お前は、何のために、これに乗る?』
何のために?
決まっている。
「……『復讐』よ」
私は、自分でも、驚くほど、冷たい声で、そう呟いていた。
あの玉座の間での屈辱。
私を『毒婦』と呼び捨てにした、ライナルト。
私を勝利者の笑みで見下ろした、ミレーヌ。
私を『恥さらし』と切り捨てた、お父様。
私を荷馬車に突き飛ばし、嘲笑い、獣の森に捨て置いた、あの兵士たち。
忘れない。
絶対に忘れない。
『……そうだ。その感情だ』
シビルの声が、私を煽る。
まるで、悪魔のささやきのように。
『もっと、強く、込めろ。お前の、その憎しみを、怒りを、屈辱を、全て、その『触媒』に叩きつけろ! それが、この『鉄の竜』を目覚めさせる、鍵だ!』
そうだ。
私は、忘れない。
あの連中全員に、私が、ここで生きていること。
そして、私を、こんな目に遭わせたことを、骨の髄まで後悔させてやる!
「動けえええええええええええっっ!!」
私は、憎悪と復讐心を、ありったけの魔力に乗せて、操縦桿に叩きつけた!
私の絶叫が、狭いコックピットの中で、虚しく、こだました。
だが。
シーン……。
結果は、同じだった。
目の前の『計器』も『機器』も、全ては依然として、沈黙を守り続けている。
「な……! なんでよ!?」
私は、肩で、荒い息をついた。
魔力と、感情を、一気に放出しすぎて、クラクラする。
「これだけやっても、ダメじゃないの! シビル! どうなっているのよ!」
私は、スピーカーに向かって、怒鳴りつけた。
『…………』
スピーカーの向こうで、シビルが、忌々しそうに、チッ、と舌打ちをする音が、はっきりと聞こえた。
「あなたの言う通りに、やったわよ! それなのに、この『鉄の竜』とやらは、ただの鉄クズじゃないの!」
『……コレット。お前は、少し、黙っていろ』
「はあっ!? 私に、黙れですって……!」
『今、お前に、言っているのではない』
シビルの声のトーンが、さっきまでの、眠たそうで、どこか、楽しげなものから、一変していた。
まるで、氷のように、冷たく。
温度のない、声。
『……おい。聞いているんだろう、『イーグル』』
イーグル?
シビルは、この機体に話しかけている?
昨日、言っていた。
この機体には『意志』がある、と。
『人工妖精』とやらが、眠っている、と。
『……返事がないな。そうか。この私が、お前のためにどれだけ貴重な『研究時間』を割いているか、理解していないようだな』
ゴクリ、と、私は、無意識に唾を飲んでいた。
シビルの声が、本気で怒っている。
あの、ゴーレムに私を運ばせた時とは、比べ物にならないほどの、冷たい怒気。
『いいだろう。そこまで、この私をコケにするというのなら……。お前の、その生意気な『コア』。一度、取り出して、最初から『調整』し直してやる』
調整……。
『……ああ、そうだ。今度は、お前の反抗的な態度を綺麗サッパリ、消し去るような、素敵な『調整法』を試してみるか……』
「ちょ、ちょっと、シビル……!」
物騒すぎるわよ、その『調整』って!
私が、そのあまりにも物騒な言葉に、慌てて、声を上げようとした、その瞬間だった。
ガシュンッ!
「ひゃっ!?」
いきなり、私の体が、座っている椅子に、強く、押し付けられた!
何かが、機体の奥深くで、重々しく、動き出す音!
キイイイイイイン…………!
耳鳴りのような、甲高い機械音が、コックピットの中に満ちていく。
そして、今まで沈黙していた、目の前にある無数の『計器』。
その全てが、一斉に緑色や赤色の『光』を放ち始めた!
な、なに!?
何が起きたの!?
私が、この唐突な変化にパニックになりかけた、その時。
私の頭の中に直接。
声が響いてきた。
『……チッ。うるさい女だ。……マスターの『脅し』は、聞き飽きた』
「…………は?」
私は、狭いコックピットの中で、完全に固まった。
今、聞こえたのは、シビルの声じゃない。
もっと、低い。
若々しいけれど、どこか尊大で、ふてぶてしい、男の声。
それが、耳から聞こえたんじゃない。
私の頭蓋骨の内側から、直接、響いてきた。
魔法による、思念の会話……!
『……ふん。貴様か、マスターが用意した、その『乗り手』というのは』
「だ……誰!?」
私は、狭いコックピットの中で、キョロキョロと、辺りを見回した。
誰もいない。
私一人だけ。
『無駄だ。私は、ここだ。……貴公が、今、握りしめている、この『機体』そのものだ』
男の声は、どこか、嘲るかのように、そう、答えた。
「あなたが……」
私は、ゴクリと唾を飲んだ。
「あなたが、シビルの言っていた、『人工妖精』……『イーグル』?」
『そうだ。……我が名は、イーグル。鋼鉄の竜。……そして、貴公は?』
「わ、私は、コレット……。コレット・フォン・アインツベルク……」
『コレット、か。……ふむ』
イーグルと名乗る『声』は、まるで、私を値踏みするかのように、数秒、黙り込んだ。
『……魔力の量は、悪くない。いや、むしろ多い。……だが』
その『声』は、そこで、一度、言葉を切った。
『……なんとも、貧弱な。……こんな、か弱い『素人』に、この私の鋼鉄の翼を預けろと? マスターも、とんだ冗談を』
「そ、素人ですって!?」
カチン、ときた。
さっきまでの、恐怖と混乱が、一瞬で、怒りに変わる。
なんなのよ、この『声』!
シビルといい、こいつといい、私を『素材』だの、『素人』だの!
「失礼ね! 私は、これでも、アインツベルク公爵家の……!」
『ほう。あの、原始的なトカゲのブレス程度で、大騒ぎする、田舎王国の令嬢か。……なるほどな』
イーグルの『声』には、明確な『侮蔑』の色が、こもっていた。
くっ……!
私、この、会ったこともない(?)『声』に、生まれて初めて、心の底から馬鹿にされている!
私が、怒りで、奥歯を、ギリギリと、鳴らしていると。
コックピットのスピーカーから、シビルの、どこか満足げな声が割り込んできた。
『……ようやく、起きたか、イーグル。……コレットの魔力と、お前のコアが、無事にリンクしたようだな。……よしよし。素晴らしい。いいデータが取れている』
シビルは、楽しそうに、そう宣言した。
『では、これより、第一段階の『テスト』を開始する。……『シミュレーター』を起動しろ、イーグル』
「シミュレーター?」
また、知らない単語。
いや、違う。
前世の記憶が、その意味を知っている。
『模擬訓練』と、いうやつだ。
私が、その単語の意味を、反芻するよりも、早く。
頭の中の『声』――イーグルが、即答でシビルの命令を拒否した。
『……断る』
『……ほう?』
スピーカーの向こうで、シビルの声が、また、一段、低くなる。
その、ピリピリとした空気が、狭いコックピットの中にまで伝わってくるようだ。
『……時間の無駄だ』
イーグルの『声』は、私にではなく、シビルに向かって、冷たく、そう、言い放った。
『マスター。貴女の『研究』とやらに、付き合うのは、構わない。……だが、この魔力だけが取り柄の、どこの馬の骨とも知れぬ『素人』のお嬢様に、私の『翼』を預けるつもりは毛頭ない』
「お、お嬢様……!?」
なによ、その馬鹿にした呼び方は!
私は、もう公爵令嬢じゃないって、言っているのに!
『この私の、鋼鉄の竜の翼は、空の覇者として、駆け抜けるためにある。……こんな、小娘のままごと遊びに付き合っている、暇はない』
傲岸不遜。
まさに、その言葉が、ぴったりの『声』。
プライドが、エベレストよりも高いんじゃないかしら、こいつ!
私が、どう反論してやろうかと、言葉を探していると。
スピーカーの向こうのシビルが。
静かに、そして冷たく。
一言だけ、告げた。
『…………少し『お仕置き』が必要だな』
『…………っ!』
その、シビルの、たった一言。
さっき、この機体を、叩き起こした時と、まったく同じ、あの冷たい物騒な『言葉』。
それを聞いた瞬間。
私の頭の中で、あれだけ雄弁に、私をこき下ろしていた、イーグルの『声』が。
ピタリ、と止まった。
あれ?
どうしたの?
さっきまでの、あの偉そうな態度は、どこへ行ったのよ。
私は、シビルと、イーグルの、その奇妙な『沈黙』の板挟みになっていた。
数十秒。
永遠のようにも、感じられる静寂。
やがて。
私の頭の中で。
イーグルが、苦々しい『声』で、絞り出すように、呟いた。
『…………………………マスター、命令を了解した』
え。
折れた。
あんなに、偉そうにしていたのに。
シビルの『お仕置き』という単語、一つであっさりと。
よっぽど、あの『調整』とやらが、怖いらしい。
……なんなのよ、この二人(?)の、訳の分からない関係は。
『……いいだろう。マスターの、ご命令だ。……やってやるさ、『シミュレーター』とやらを』
イーグルの『声』は、さっきまでの傲岸不遜な、余裕のあるものではなくなっていた。
どこか焦っているような、不機嫌さを隠そうともしない、荒々しい響き。
私が、この訳の分からない『主従関係』に呆気にとられていると。
イーグルが、今度は、私に向かって、その不機嫌、丸出しの『声』を響かせてきた。
『……おい。聞いているか、コレット。……いや、『お嬢様』』
「……なによ。今度は、ちゃんと、言うことを聞く気になったわけ?」
私は、精一杯の皮肉を込めて、言い返してやった。
『……フン。せいぜい、その減らず口が、いつまでもつか、見ものだな』
イーグルの『声』が、私を、嘲笑うかのように、低く響く。
『これより、貴公の貧弱な『感覚』を、この私の意志の下に、置かせてもらう』
「はあ? どういう、意味……」
『せいぜい、泣き喚かないことだな。……起動するぞ、『仮想空間』』
イーグルが、私に、そう、言い放った、次の瞬間。
「え…………?」
私の視界が。
目の前に広がっていた、緑色や赤色に光る『計器』も、狭いコックピットの壁も、何もかもが。
ブツン、と切り替わった。
「…………なっ!?」
そこに広がっていたのは、格納庫の白々しい照明ではなかった。
どこまでも、どこまでも続く、青。
雲ひとつない、抜けるような、蒼穹。
私は、今、空にいた。
鋼鉄の竜のコックピットの中。
高高度の空。空中のど真ん中に放り出されていた。




