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元公爵令嬢の嗜みは『魔力による身体強化(G耐性)』ですわ?~追放先で戦闘機乗りになった私、生意気な相棒と引きこもり天才魔女に振り回されています~  作者: 速水静香
第一章:失墜と追放

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第六話:未知の基地と魔女

 死との対峙――。


 目の前の巨大な狼型の魔獣が、私という哀れな獲物にとどめを刺すために、様子を伺っている。


 泥と血にまみれ、二つの記憶に頭をかき乱され、最後は獣の餌食。


 なんと、みじめな。


 みじめで、哀れな最後。あの連中の筋書き通りの結末。


「……っ!」


 悔しい。


 死ぬのは怖くない。


 いや、嘘。めちゃくちゃ怖いわよ!


 でも、それ以上に!


 私をこんな目に遭わせた、あのライナルトと、ミレーヌと、お父様に!


 この無様な最期を、心の底から嘲笑われることが耐えられない!


 私の指先が、背後の冷たい『壁』に触れていた、あの『箱』を掴んだ。


 『インターフォン』。


 前世の記憶が、そう告げている。


 人を呼ぶための装置。


 こんな、森の奥の絶望の縁で、一体、誰を呼べと?


 兵士たちが噂していた、『魔女』?


 上等じゃない!


 この目の前の、よだれを垂らしたデカい犬に食い殺されるくらいなら、魔女に煮込まれた方が、まだマシだわ!


 もうどうにでもなれ!


 私は、混乱する頭のまま、前世の記憶が『ここを押せ』と主張する、その『箱』の、わずかに盛り上がった部分を泥だらけの指で、力いっぱい押し込んだ!


 そして、その瞬間。


 ピンポーン…………♪


「…………は?」


 私と魔獣。


 その両方(?)の動きが、完全に止まった。


 今、鳴った?


 この絶望の森のど真ん中で。


 死ぬか生きるかの瀬戸際で。


 王都の裕福な商人が、来客を知らせるために屋敷の門につけているような、なんとも間抜けで、呑気な『チャイム』の音が。


 グルルル……?


 魔獣が、信じられない、といった様子で、キョロキョロと辺りを見回している。牙をむき出しにしたまま、その発生源が分からない音に対して、警戒を強めている。


 その赤い瞳に、明確な『困惑』が浮かんでいるのが、この状況で、妙におかしくて。


 いや、おかしくないわよ!


 『インターフォン』は、鳴った。


 ということは、誰かが、この音を聞いた?


 この『コンクリート』の『壁』の向こう側で?


 私の期待と魔獣の困惑が、この薄暗い森の小さな空間で、奇妙な均衡を保つ。


 ジ…………。


 静寂。


 ダメ。


 やっぱり、空耳?


 それとも、死ぬ間際の幻聴?


 魔獣が、再び、グルルル……と低い唸り声を上げ、私という獲物に、その血走った目を戻しかけた、その時。


『…………あー。……うるさい。何の用だ』


「「!?」」


 声がした!


 あの『箱』――インターフォンから!


 ノイズまみれで、何を言っているのか、半分も聞き取れない。


 けれど間違いなく、人の声。


 それも、どこか眠たそうで、不機嫌で、やる気のない、少女のような声。


 ガウッ!?


 魔獣も、その機械音混じりの声に、驚いたように、ビクッと体を震わせ、一歩、後ずさった。未知の存在の『声』に、その巨体とは裏腹な臆病ささえ見え隠れする。


 いる!


 この壁の向こうに、誰かいる!


 私は、泥まみれの顔のまま、最後の気力を振り絞って、あの『箱』に向かって叫んだ。


「た、助けて! 誰か知らないけれど、助けてちょうだい!」


 喉が、カラカラで、声がうまく出ない。


「私、食べられる! この馬鹿デカい狼に、今すぐ、食い殺されるのよ!」


 私の必死の叫びに、インターフォンの向こうの『誰か』は、数秒、沈黙した。


 ジジ……、という、ノイズの音だけが、不気味に響く。


 まさか、切れた?


 私の必死の懇願を無視した?


 魔獣が、私と、忌々しい音を発する『箱』を交互に睨みつけ、再び、牙をむき出しにして、体勢を低くする。


 ああ、ダメ。


 今度こそ、本当に終わり……!


『……食べられる?……ああ。外のあれか。……面倒だな』


 声は、まだ繋がっていた!


 でも、何、その反応!?


 面倒!?


 人が、今まさに、死にそうになっているというのに!


「め、面倒とか、言ってないで!お願い、助けて!何でもするから!」


 もう、公爵令嬢のプライドも、誇りも、何もかも、かなぐり捨てていた。


 何でもする。


 そう。


 こんな獣の餌になるくらいなら、どんな屈辱にだって、耐えてみせる!


 私の『何でもする』という言葉が、琴線に触れたのか。


 あるいは、別の何かが、彼女の興味を引いたのか。


『……待て』


 不意に声のトーンが、ほんのわずか変わった。


 眠たそうなのは、相変わらずだけれど、そこに、かすかな『興味』のようなものが混じった。


『お前、今、その『箱』を『押した』のか?』


「はあっ!?押したわよ! さっき、私が押したの! だから、鳴ったんでしょう!?」


 何を、今さら、分かりきったことを!


 早く! 早くしないと、この魔獣が、また飛びかかってくる!


『……ほう』


 インターフォンの向こうで、少女が感心したように息を漏らした。


『あの『インターフォン』は、私の魔法で、外にいるものには認識できないように、幻術をかけていたはずだが。……いや、それ以前に、あれが『押す』ための道具だと、なぜ分かった?』


「そ、そんなこと、どうだっていいでしょう!?」


 前世の記憶が、そう告げていたからよ!


 なんて、この状況で説明できるわけがない!


「いいから、早く! 死ぬ!私、死んじゃうわよ!」


『……ふむ。その道具の『使い方』を、なぜか知っている。……そして、その魔力パターン。……これは、アインツベルク公爵家のものか。だが、それだけじゃないな、なんだ、これは……』


 ぶつぶつと、ノイズ混じりに、少女の分析するような声が続く。


 ガアアアアアアアアアアッッ!!


 もう待てない!


 痺れを切らした魔獣が、私と、私がしがみついている『壁』ごと、食い破ろうと、再び、その巨体で突進してきた!


「いやあああああっ!」


『……チッ。うるさいな。……まあ、いい。面白い。実に興味深い。……貴重な、『研究素材』の可能性だ』


 その少女の冷たい呟きが、聞こえた、次の瞬間。


『――許可する。入れ』


 ゴウウウウウウウウウンッ!!


 重い。


 何かが動く音。


 私が背中を預けていた、あの無機質な『壁』。


 それが、私の目の前で、横へとスライドしていく。


「え…………?」


 壁が開く?


 魔法?


 いや、違う。


 前世の記憶が、これを知っている。


 これは、魔法なんかじゃない。


 もっと、機械的で無慈悲な、『科学』の力。


 『自動ドア』?


 いや、これは、もっと物々しい。


 SFに出てくるかのような、分厚いコンクリートの壁が動く。


 開いた壁の向こうから、光が溢れ出してきた。


 太陽の光でも、月明かりでも、松明の火でもない。


 白々しく均一で、それでいて目が痛くなるほど、明るい光。


 そして、匂い。


 森の腐葉土と獣の悪臭とは、まったく違う、乾いた、どこか埃っぽい、それでいて、清潔な『機械』の匂い。


 ガアアアアアアアアアアッッ!!


 魔獣は、獲物が逃げ込む、その光の『穴』を見て、止まれなかった。


 いや、止まらなかった。


 獲物を、逃がすまいと、その開いた扉の向こうへ、私ごと飛び込んできた!


「きゃあああああっ!」


 私は、その光の中に引きずり込まれるように転がり込んだ。


 硬い。


 泥でも、土でも腐った葉でもない。


 冷たくて、硬い、全てが均一にならされた、人工的に平らな『金属』の床。


 そこに、泥だらけの私が無様に転がる。


 そして、私を追って、通路に飛び込んできた、巨大な魔獣。


 そいつは、しかし、すぐに、その場で、ピタリ、と動きを止めた。


 グルルル……?


 魔獣が困惑している。


 その視線の先。


 通路の奥。


 そこでは、何かが動いてくる。


 ゴウン……。

 ゴウン……。


 重い足音。


 それは、生き物の足音ではなかった。


 岩と金属が、擦れ合うような、無機質な音。


 やがて、その『何か』が、光の中に、その全貌を現した。


「…………ぁ」


 私の喉から、かすれた声が漏れた。


 それは、人型、だった。


 でも、人ではない。


 私よりも、三回りは大きい。


 岩石を、無骨に組み上げたような、胴体と太い腕。


 頭があるべき場所には、赤い、一つの『光』が、不気味に点滅している。


 『ゴーレム』。


 公爵家の書庫で見た、戦争で使用する、兵器。


 それが、なぜここに?


 ゴーレムは、私と、私の背後で立ち尽くす魔獣を、その赤い『光』で、スキャンするように見比べた。


 そして。


 ピタッ、と、その動きを魔獣の上で止めた。


 おそらく、一秒にも満たない時間。

 ゴーレムは、判断を下した。


 次の瞬間。


 ゴウッ!


 ゴーレムの岩石でできた巨体が信じられないほどの瞬発力で動いた。


 魔獣が反応するよりも早く。


 巨体、そこにある岩の腕が空気ごと、魔獣の胴体に叩きつけられた。


 グシャアアアアアアアアッッ!!


 水風船が弾けるような。


 熟れた果実が、壁に叩きつけられるような。


 そんな、生々しい鈍い音が、狭い通路に鳴り渡った。


「…………」


 言葉が出なかった。


 あの馬ほどもあった、巨大な魔獣。


 私を、絶望の淵に叩き込んだ、恐怖の象徴。


 それが、今。


 たった、一撃。


 ゴーレムの、たった一撃で、肉と、骨と、血反吐が一緒くたになった、ただの『肉塊』に変わって、通路の外へと吹き飛ばされていた。


 あまりにもあっけない。


 あまりにも一方的な、『暴力』。


 ゴーレムは、自分が吹き飛ばした『肉塊』を、その赤い『光』で一瞥すると、無機質な動作で通路の外を『確認』した。


 そして、今度は、ゆっくりと、こちらに、その『赤い光』を向けた。


「ひっ……!」


 私は、金属の床に尻もちをついたまま、必死に後ずさろうとした。


 ダメだ。


 魔獣を、一撃で。


 次は私?


 この泥まみれの侵入者を、排除する?


 ゴーレムが、私に向かって、その魔獣を粉砕した、岩の腕を向けている。


 ああ、結局、同じ。


 獣に食われるか、ゴーレムに潰されるか。


 私の最期は、どうして、こうも無慈悲なの……!


 私が、ギュッ、と目をつぶった、その時。


『あー。……それを壊すな。貴重な研究材料だ。……そいつは、こっちへ、持ってこい』


 また、あの眠たそうな声。


 今度は、インターフォンからではなく、通路の奥、ゴーレムよりも、さらに向こう側から、直接、聞こえてくる。


 その声に応えるかのように、ゴーレムは持ち上げた腕を、そのまま、私に向かって、伸ばしてきた。


「いやあああああっ! さわらないで……!」


 私は、必死に、その手を振り払おうとした。


 だが、岩石でできた、巨大な指が、私の、ボロボロになったドレスの襟首を、まるで子猫でも掴むかのように、ひょい、と、掴み上げた。


「な、なにし……! 離しなさい! 無礼者っ!」


 私の体が宙に浮く。


 公爵令嬢としての最後の矜持が、私に、そう叫ばせていた。


 だが、ゴーレムは、そんな私の抵抗など、意にも介さず。


 私を、小脇に、いや、その巨大な手のひらの上に、まるで荷物のように乗せると。


 ゴウン。


 ゴウン。


 と、重い足音を立てて、通路の奥へと歩き始めた。


 私の背後で、あの巨大な『コンクリート』の『扉』が、再び、ゴウウウウウウウウウンッ! と、音を立てて閉まっていく。


 森の湿った空気と、魔獣の血の匂いが遠ざかっていった。



 ゴーレムに運ばれていく、数十秒間が、永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。


 通路は、どこまでも続いているように見えた。


 壁も、床も、天井も、すべてが、あの無機質な灰色の『コンクリート』と、冷たい『金属』出来ていた。


 その途中、交差する通路を、私を運んでいるこの個体とは明らかに違う、さらに大型のゴーレムが、重い資材のようなものを運んでいくのが見えた。


 やはり、ここは人の住む場所ではない。


 では、ここは一体、どこ?


 私の知っている、アステル王国。その、どこにもこんな場所はないはず。


 王宮の地下牢ですら、もっと人間味のある、石造りのはず。


 何かの『施設』。


 それも軍や研究所といった、一般人が立ち入れないような場所だ、と、前世の記憶が、そう警告している。


 やがて、通路は開けた場所に出た。


 広い。


 王宮にある、部屋よりも、ずっと広いかもしれない。


 そして高い。


 天井がはるか上だ。


 そこには、信じられない光景が広がっていた。


 壁一面に、大小、様々な光る『板』が埋め込まれている。


 その『板』には、私には理解できない、文字や図形が高速で流れていく。


 部屋の中央には、見たこともない、複雑な『機械』が、いくつもうずくまっている。


 そして、それらすべての『機械』の中心。


 ひときわ巨大な椅子。


 いや、もはやそれは、椅子、というより『玉座』と呼ぶべき、何か。


 その『玉座』に、そっくり返るように、ふんぞり返って、足を組んで座っている、人物がいた。


 ゴーレムは、その『玉座』の前まで来ると、私を、その硬い床の上に、ポイ、と、無造作に降ろした。


「きゃっ……!」


 泥まみれの尻を、また強打する。


「いっ……! あなた! 少しは、丁寧に扱えないの!?」


 私は、反射的に、ゴーレムを睨みつけた。


 だが、ゴーレムは、私に、一切の興味も示さない。


 ただ、その『玉座』の主の後ろに、音もなく控えている。


 私は、ようやく、自分を、この訳の分からない場所へ『招き入れた』、張本人と向き合うことになった。


 『魔女』。


 あの兵士たちが噂していた、『恐ろしい魔女』。


 そのイメージとは、似ても似つかない、存在だった。


 それは、一人の少女だった。


 歳は、私よりずっと下に見える。


 十歳を超えるか、それくらいの幼い少女。


 ボサボサに伸び放題の銀色の髪。


 よれよれのローブ。その何度も洗濯した結果、使い込まれている感じのよれよれさ。


 そんな感じの幼い少女が、私を見下ろしていた。


 その理知的すぎる、赤い瞳で。


 そこには、子供特有の無邪気はない。


 あるのはただ。


 研究者が、珍しい『虫』を観察するような探求心だけ。


 少女は、私を頭のてっぺんから、泥まみれの足の先まで、じろじろと、値踏みするように眺めると。


 やがて、小さくため息をついた。


「……ふむ」


 第一声が、それだった。


「想像以上に、汚いな」


「…………は?」


 私の口から間抜けな声が漏れた。


 今、この子、何と?


 汚い?


 私に向かって?


 公爵令嬢コレット・フォン・アインツベルクに、向かって!


「な……! なんですって!?」


 私は、疲労も、恐怖も、何もかも、忘れて、その場から跳ね起きた。


 だが、勢いが良すぎて、足がもつれる。


「あっ……!」


 私は、無様に尻もちをついた。


 アハハハハ、と、乾いた笑いが、どこからか聞こえた気がした。


 ああ、もう!


 最悪だわ!


 私の公爵令嬢としての威厳が、ボロボロに、崩れ落ちていく!


 少女は、そんな私のみっともない、一通りの様子を無表情のまま、見届けると。


 再び、小さく、ため息をついた。


「まあ、いい。泥だらけで臭いは、ひどいが……。お前、さっき、インターフォン越しに言ったな。『何でもする』、と」


「……! そ、それは……」


 確かに言った。


 死ぬか生きるかの瀬戸際で。


 少女は、私の言葉の詰まりなど、お構いなしに続けた。


「そして、何より、面白いのは、そこだ」


 少女の、赤い瞳が私を射抜いた。


「お前の、その頭。……その混濁した、『記憶』」


「…………っ!」


 私は、息が詰まった。


 この子、分かっている?


 私の頭の中で、今、何が、起きているのか。


 コレット・フォン・アインツベルクの記憶と。


 『日本』という、国で生きていた、見ず知らずの女性の記憶が。


 ぐちゃぐちゃに、入り乱れていることを。


「『前世の記憶』、とでも言うべきか。……ふむ。あるいは、単なる妄想なのか。だが、素晴らしい! 実に素晴らしい!」


 少女は、そこで初めて表情を変えた。


 無表情だった、その顔に、歓喜の笑みを浮かべた。


 それは、まるで新しい『オモチャ』を見つけた、子供のような無邪気で、残酷な笑みだった。


「高い『魔力適性』! それに加えて、この『基地』の技術と、親和性を持つかもしれない、記憶!」


少女は、玉座から、バッ、と立ち上がる。


「理想的な組み合わせの可能性だ! これ以上の『素材』は無いだろう! これさえ、あれば! 私の研究は! さらに進展する!」


「そ、素材……? 研究……?」


 私は、あまりの展開に、ついていけない。

 この子、一体、何を言っているの?


 少女は、ひとしきり語り終えると、こちらを再び向き変える。

 そして、再び、その赤い瞳で私を射抜いた。


「ようこそ、アインツベルクに連なるものよ」


 少女は、よれよれなローブの裾を、ほんの申し訳程度に、つまむと、王宮の作法からはかけ離れた、お辞儀をしてみせた。


「ようこそ、私の『基地』へ。……歓迎するぞ、『研究素材』」


 楽しそうに、その唇がつり上がっていく。


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