第十話:魔力による直感操作
視界は、再び、あの格納庫から、どこまでも続く、真っ青な空のど真ん中へと、強制的に放り出されていた。
「いやあああああっ!?」
ゴオオオオオオオッ!
今度は、さっきよりも容赦がない!
機体は、青空に放り出された、その瞬間に、まるで私が操作ミスでもしたかのように、機首を真下に向けて、錐もみ状態に陥っていた!
ぐるん、ぐるん、ぐるん!
目の前の青空と、眼下の白い雲海が、凄まじい速度で、混じり合って回っている!
「ひっ……! あ、ああ……!」
ダメだ、目が回る!
お腹の底から、何か、冷たいものが、せり上がってくる!
『……どうした、お嬢様。さっきまでの威勢は』
私の頭の中に、あの忌々しい、傲岸不遜な『声』が響いてきやがった。
イーグル!
こいつ、絶対に面白がっている!
「な、なにをするのよ!いきなり!」
『なに、とは? 貴公が、この私を操縦するのだろう? ……それとも、何もせず、また地面に叩きつけられたいか?』
「そ、そんなわけ、ないでしょう!」
私は、回る視界の中で、必死に、あの『車』の記憶を呼び起こす!
ダメだ、こんなにグルグル回りながら、車を運転した記憶なんて、あるわけがない!
「う、動け! 止まれ! 水平になりなさーい!」
私は、もうヤケクソだった。
右手の操縦桿を、それこそ、へし折るくらいの力で、ガチャガチャと、メチャクチャに振り回す!
左手の『スロットル』とかいうのも、前へ!後ろへ!
ガッコン! ガッコン!
狭いコックピットの中で、私一人が、必死の形相で、この鉄の塊と格闘していた。
だが。
『…………』
機体は、私の必死の抵抗をあざ笑うかのように、ピクリとも反応しない。
相変わらず、凄まじい勢いで、回転しながら、落ちていく!
「なっ……! なんでよ!動かないじゃないの!」
『……はあ』
私の頭の中で、イーグルが、心の底から、うんざりした、という、クソ生意気な『ため息』をついた(ように感じられた)。
『……貴公は、本当に、学習しないな。……いや、原始的な生き物というのは、こういうものか?』
「げ、原始的ですって!?」
『そうだ。……何度、言ったら理解する? その『操縦桿』を、力任せに振り回すな、と』
「だ、だって、こうしないと、動かないでしょう!?」
『動かん。……貴公が、その原始的な『力比べ』を、この私と、続けるというのなら、永遠にな』
「な……!」
ゴオオオオオオオオオッ!
風切り音が、さらに、甲高くなる!
眼下の雲海が、もう、すぐそこまで迫っている!
ああ、もう!墜落する!
「いやあああああああっ!」
私が、ギュッ、と目をつぶった、その瞬間。
フッ、と。
さっきまでの凄まじい回転と、落下する感覚が、嘘のように消え去った。
代わりに、機体は、まるで熟練の乗り手が操るかのように、滑らかに錐もみから回復し、穏やかな水平飛行へと移行していた。
「…………は?」
私が、恐る恐る、薄目を開けると。
目の前には、青い空が、あるべき場所にあり、白い雲海が、あるべき場所にあった。機体は、穏やかに、まっすぐ飛んでいる。
「な……なにが……?」
『……貴公が、あまりにも、うるさくて、非効率だったからな。……私が、一時的に機体の制御を奪い、安定させた』
「せい、ぎょを……奪った……?」
『そうだ。……このままでは、あのマスターの、貴重な『研究時間』とやらを、貴公のヒステリックな絶叫だけで、浪費してしまうからな。……マスターの命令だ』
「うぐっ……!」
また、シビル!
あの子供、私とイーグルの、このやり取り、全部、あの『管制室』で、お茶でも飲みながら、聞いているに違いないわ!
『……コレット。イーグル』
ほら、来た。
私の予想通り、コックピットのスピーカーから、シビルの、どこか、眠たそうで、退屈そうな声が響いてきた。
『……お前たちの、その原始的な、痴話喧嘩(?)のようなものを、これ以上、聞かされるのは、私の研究効率を、著しく低下させる』
「ち、痴話喧嘩ですって!?」
『……チッ』
私と、イーグルの『声』が、またしても、同時に、不満の声を上げた。
だから、気が合うなんて、絶対に、認めたくないのだけれど!
『イーグル。お前は、この私に『お仕置き』をされたいようだな? マスターの命令を、もっと、忠実に実行しろ。……この『研究素材』は、まだ、この世界の常識に、頭が縛られている。……お前の『流儀』を、さっさと叩き込め!』
「け、研究素材……!」
『……命令を了解した、マスター。……だが、この『素材』は、あまりにも出来が悪い』
「なんですって!?」
『コレット。お前もだ』
シビルの声が、私に向かう。
『お前の『前世の記憶』とやらは、どうした? あの『車』とかいう、地を這う機械の運転方法なんぞ、この『鉄の竜』の前では、何の役にも立たん。……もっと、根本的なことを、思い出せ』
「根本的なこと……?」
『そうだ。……お前は、アインツベルク公爵令嬢として、何を学んだ? ……『魔法』だろう?』
「ま、魔法……?」
『そうだ。魔力を、いかに精密に、効率的に、コントロールするか。……その『理論』は、嫌というほど、頭に叩き込まれているはずだ』
「それは……そう、だけれど」
確かに、公爵令嬢としての嗜みとして、高等魔法理論は、それこそ、吐き気がするほど、学ばされてきた。
『魔力元素の構成理論』だの、『魔法陣の図形的考察』だの……。
あの森で、何の役にも立たない、と、私が、切り捨てた、あの知識。
『……ふん。ここの技術は、当たり前だが、魔法と非常に親和性が高い。……この天才の私が、そう『改造』したからな!』
シビルの声が、どこか誇らしげになる。
『お前の物理法則に縛られた記憶への固執は、捨てろ。……そして、思い出せ。……お前が、アインツベルク公爵令嬢として、培ってきた、その『魔力』の使い方を』
「魔力の、使い方……」
『そうだ。……その『操縦桿』は、……お前の『魔力』を、機体のコア……イーグルの『意志』へと、流し込むための『触媒』だ。……そう説明したはずだが? 私の貴重な時間を、何度も無駄遣いさせるな』
……あ。
そういえばそんなことも、言っていたような……。
『……ようやく、思い出したか。出来の悪い『研究素材』め』
……ムカつく!
この子供、本当に、一言、余計なのよ!
『……おい、お嬢様』
今度は、頭の中の『声』。
イーグルが、呆れ果てた、という響きで、私に、話しかけてきた。
『……マスターの、ありがたい『講義』は、終わったようだな。……ならば、次こそは、マシなところを見せてみろ』
「うっ……!」
『貴公が、ガチャガチャと、『操縦桿』を振り回している間は、この私は、貴公の『意志』を、一切、受け付けん。……それどころか、貴公の原始的な腕力が、繊細な制御系と干渉しあって、邪魔になる。……いい迷惑だ』
「め、迷惑ですって!?」
『そうだ。……いいか、よく聞け。……まず、その『操縦桿』から、力を抜け』
「ち、力を抜く……?」
『そうだ。……貴公は、それを力任せに動かすのではない。……貴公の『イメージ』こそが、この私を動かす力だ』
「い、イメージ……」
『だが、貴公のような『素人』が、いきなり『飛ぶ』というイメージを制御できるはずもない』
「うぐっ……(いちいちムカつくわね!)」
『その『操縦桿』や、左手の『スロットル』は、その貴公の未熟な『イメージ』を、纏めやすくするための『補助』だ。……剣でも、棍棒でもない』
「補助……」
『そうだ。力を抜き、魔力を流し込め。そして、貴公が『右に曲がりたい』とイメージしながら、その『操縦桿』を、ごくわずかに右に傾けてみろ』
魔力を染み渡らせる……。
わずかに傾ける……。
それなら、分かる!
魔力の精密操作の訓練として、水の入ったグラスを、一滴も、こぼさずに、空中で移動させるとか、そういう、いったい何の役に立つのか、分からないような訓練をやらされてきたのだから!
「……やってやるわ」
私は、ギュッ、と目をつぶった。
目の前の、イーグルが安定させてくれている、穏やかな青空と雲海は、もう見ていない。
私の意識は、全て内側へ。
私の体の中を巡る、温かい『力』……魔力へと集中する。
ジワ…………。
手のひらが熱くなる。
静かで穏やかな流れ。
その温かい流れが、私の手のひらから、操縦桿という、冷たい『触媒』を通って、この鋼鉄の竜の、奥深くへと流れ込んでいく。
ジン……、ジン……。
冷たい水が乾いたスポンジに、染み込んでいくように。
私の魔力が、この巨大な『機体』の隅々まで広がっていくのが分かった。
それは、私の体ではない。
鉄の塊。
それなのに。
まるで、翼という、新しい『手足』があるような、不思議な感覚。
機体の先端……鋭く尖った『機首』の、さらに先にある、空気の流れ。
薄く、鋭利な『翼』の、上面と下面を、流れていく、風の圧力の差。
機体の後部で、今、この瞬間も轟々と燃え盛っている、『エンジン』とやらの、熱い脈動。
それら全てが、私の『感覚』として、頭の中に流れ込んでくる!
「……あ」
私の口から声が漏れた。
これは……。
これが、イーグルの言っていた、『リンク』……?
『……ふん。ようやく、繋がったか。……遅かったな。……まあ、アインツベルク公爵家の血、というものか。それは悪くはない』
イーグルの辛辣な『声』が、どこか満足げに響いた。
『……いいか、コレット。今、貴公と私は、繋がった。……この機体は、貴公の新しい『体』だ』
「私の体……」
『そうだ。……ならば、もはや、あの『棒』をガチャガチャと動かす必要はない。……貴公は、ただ『イメージ』しろ。……そしてそのイメージを、私に伝える『補助』として、その『操縦桿』を、ごくわずかに動かせ』
「……!」
私は、目を開けた。
目の前には、イーグルが安定させてくれた、穏やかな青空と雲海が広がっている。
私は、操縦桿に、そっと触れているだけ。
そして、私は、イーグルに言われた通り、強くイメージした。
――右へ。ゆっくりと、右へ。
そのイメージと同時に魔力を流し込んだままの右手を、ごくわずかに、右へと傾けた。
その瞬間。
グウウウウウウ…………ッ!
「きゃっ!?」
私の体が、座席に、ぐっ、と左側に押し付けられる!
さっきまでの、墜落する時の不快な感覚とは、違う!
力強いが、制御された『力』!
機体が、私の『イメージ』と『操作』に応えて、ゆっくりと右へと旋回を始めた!
目の前の青空と雲海が、ゆっくりと左へと流れていく!
「あ…………」
私の口から、声が漏れた。
曲がった。
私が。
鋼鉄の竜が、私の『意志』で。
初めて、『操縦』することに成功した。
「……やった」
私は、呆然と、そう呟いていた。
これまで感じたことがない、感覚。
圧倒的な自由。
そして、力。
私が、その初めての成功の、余韻に浸っていた、その時。
『……ふん』
私の頭の中で、イーグルが、いつものように、クソ生意気な『声』で鼻を鳴らした。
『……ようやく、地面を這いずることから、『飛行』することを覚えたか。……赤子め』
「あ、赤子ですって!? なによ!せっかく、初めて上手くいったのに!」
『『上手くいった』だと? ……笑わせるな、お嬢様』
イーグルの『声』が、私を、嘲笑う。
『……貴公が、今、やっているのは、空を『飛んでいる』のではない。……ただ、空中で『方向転換』を覚えただけだ』
「そ、それが、操縦っていうことでしょう!?」
『違うな』
イーグルは、冷たく、言い切った。
『……本当の『空』は、そんな、生易しいものではない』
「え……?」
私が、その、イーグルの意味深な言葉に、首をかしげた、その時。
コックピットのスピーカーから、シビルの、あの悪魔のような、無慈悲な声が割り込んできた。
『……ふむ。ようやく、第一段階、クリア、か。……魔力リンクの安定を確認。……機体制御の基礎的なイメージ伝達、成功。……よし、良い感じだ』
シビルは、どこか満足げに、そう呟くと。
私のささやかな達成感を、一瞬で、吹き飛ばすような、言葉を続けた。
『……コレット。イーグル』
シビルの声が、冷たい研究者の『声』のまま。
『……では、これより、第二段階の『訓練』を開始する』
「え……? だ、第二段階……?」
いやな予感がした。
『そうだ。……コレット。お前には、今から、この『鉄の竜』が、どれだけ、恐ろしい『魔道具』であるか、その身をもって体験してもらう』
「そ、その身をもって、ですって……?」
『ああ。……題して『Gの洗礼』だ』
「……じー?」
聞いたこともない、単語。
いや、違う。
前世の記憶が、その忌ましい単語の意味を知っている……!
『行け、イーグル!そいつに、本当の『空』の厳しさを、その『G(重力)』とやらで、徹底的に叩き込んでやれ!』
『……チッ。マスターも人が悪い』
私の頭の中で、イーグルが、どこか楽しそうに、そう呟いた。
「ま、待ちなさーーーーーい!?」
私の、必死の絶叫が、コックピットに響き渡るのと。
機体が、ありえないほどの角度で、急旋回を始めたのは。
まったく、同時のことだった。




