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1944年6月

1944年6月


連合国軍は1944年6月に、この戦争の転機を迎えるはずであった。

イタリアのローマの占領、ソ連の領土奪還、ソロモン諸島の救援、そしてなによりノルマンディー上陸作戦であった。


イタリアの首都ローマは、大西洋でUボートの妨害に遭いつつも攻略が進み占領に成功した。しかし、ローマ占領を優先し過ぎたため、ドイツ軍の反撃に遭い奪還されてしまう。

この損害によりイタリア戦線は膠着してしまう事になった。


ソ連は領土奪還の攻勢をかけていたが、イランルートの支援が断たれ、攻勢の勢いが鈍ってしまっていた。

さらに太平洋ルートにもUボートの攻撃が始まり、ソ連の攻勢を支えた援助物資が滞るようになってしまった。


ノルマンディー上陸作戦は成功したかに思われた。しかしドイツ軍の対応が早く、ノルマンディーへの上陸作戦が有力だと分かっていたかのように増援が到着し、連合国軍は思うように進撃ができず苦戦していた。

また、大西洋のUボートの跳梁により、イギリスへの物資輸送も滞りがちで、西部戦線形成に影響が出ていた。


劣勢な太平洋では、消耗を強いられているソロモン諸島を救援するため、新たに編成した機動部隊を錬成し送り込もうとしていた。

侮っていたわけではないのだが、ウェーク島に対し実戦訓練を兼ねた攻撃を行ったところ、待ち構えていた日本艦隊の罠にはまり、新たに編成した艦隊は壊滅したのであった。


情報収集により日本海軍は、主力の機動部隊をインド・アフリカ・アラビア方面に展開させており、太平洋には小型な軽空母しか残されておらず、非常に隙を見せている状態だった。

だからこそのソロモン救援艦隊であったのだが、日本海軍は夜戦用水上爆撃機を大量投入してきたのである。


100機以上飛来したと思われる水上爆撃機は、投弾後は夜間水上戦闘機となり、夜戦型F6Fを圧倒したという。

やはり日本軍は、何らかの暗視装置を開発した可能性が非常に高いと推測された。


空戦も海戦も陸戦も、日本軍は夜襲を仕掛けてくるのである。

日本で技術革新が起きた可能性も考えられた。


イギリスの情報では、日本は魔術を使っていると報告が上がってきたという。

インドを失いそうになって、情報収集能力がおかしくなったのではと心配された。


しかし、オカルトで説明せねば理解しがたい事もあった。

超高速戦艦陸奥がそれである。


その性能は、現代科学を超越しているような物だった。


まず、これまでのデータからみて、優に50ノットの速度を出し長時間維持できている事が判明している。

水中翼船というわけでもなく高速を発揮し、運動性も良好でウェーク島沖の海戦では、米戦艦部隊の護衛艦隊を軽快にかわし、戦艦への攻撃を続けていた。


そして、何といっても命中精度が非常識極まりなかった。遠距離から斉射した8発の砲弾が、全弾命中するという常軌を逸した物だったのである。

もっとも、砲弾威力は従来の45口径16インチ砲クラスの物とみられ、アメリカの新型戦艦は戦艦陸奥の砲撃に良く耐え、陸奥によって沈められた新型戦艦は未だになかった。


超高速戦艦陸奥はその高速を活かし、戦艦との戦いよりも追撃で米艦隊を壊滅させていた。

アメリカの戦艦部隊に止めを刺したのは、18インチ砲クラスと思われる砲を搭載した日本の新型戦艦を含む、日本戦艦部隊による砲撃によってであった。


日本艦隊に夜戦で対抗するには、夜戦に特化した艦上戦闘機を揃え、水上レーダーと連動する高精度の砲撃が可能な、アイオワ級戦艦以上の戦艦が多数必要だと考えられた。


建造中のアイオワ級戦艦は竣工を急ぎ、より高速を発揮でき防御力の高い、改アイオワ級戦艦が新たに計画された。

しかし、戦艦の建造ともなると数年は掛かってしまうため、改アイオワ級は間に合わないとも考えられた。



日本はインド・アフリカ・アラビア方面のイギリス軍を、機動部隊を使って徹底的に叩き続け、現地の反英勢力を支援し、インド含め独立運動を激化させていた。

現在の連合国には、夜襲を行う日本の機動部隊を止める事ができる戦力がなく、イギリスの戦艦と空母、そして護衛空母では歯が立たないと考えられ反撃できずにいた。


そんな日本機動部隊も、エジプトを攻めるほどの戦力はないようで、インド洋沿岸のインド・アフリカ・アラビア方面の反英勢力支援と、イギリス軍への攻撃に終始していた。

しかし、ウェーク島沖での海戦で米艦隊が壊滅したため、日本がエジプトを攻撃する可能性もでてきたのである。



オーストラリアの北に位置するニューギニアでは、日本陸軍の反転攻勢を止められず、ポートモレスビーが陥落してしまうまでになっていた。

日本の夜間空襲により航空戦力の低下したニューギニア方面では、再びオーエンスタンレー山脈を越えてきた日本陸軍の攻撃により、ポートモレスビーが落とされてしまったのである。


日本軍はオーストラリアの孤立化を諦めておらず、連合国からのオーストラリア離脱を狙っているものと思われた。

オーストラリアを連合国に繋ぎ止めるためにも、損害が著しくとも支援を継続しなければならなかった。


日本の巻き返しにより、連合国の戦争スケジュールが大きく狂わされ、イギリスは根を上げかねない状況だった。

日本との講和をイギリスが求めてくるも、アメリカ大統領が頑として認めず、早期に行える具体的な打開策もないまま、日本軍に対しては守勢に回らざるを得ないのであった。





日本は支那事変を解決し、好景気に沸いていた。

不足していた船舶も充実し、通商路も安定しているため経済活動が盛んになり、人手不足が深刻になる程の好景気となっていた。


日本機動部隊は、インド洋に面したインド・アフリカ・アラビア方面のイギリス軍に対し、夜間空襲による攻撃を継続し、反英勢力を支援し独立運動を煽っていった。

魔法や技能を用いた夜間空襲の効果は非常に高く、この方面のイギリス軍は戦力を低下させていった。


反英勢力への支援は主に武器弾薬であり、日本単独ではその生産が追いつかないまでになっていた。

多くの兵士が復員しても人手不足はなかなか解消せず、日本は労働力を外地に求めた。


日本の兵器を早期に生産できる所は限られており、中国も名乗りを上げたのであった。

九九式短小銃を始め、多数の兵器が生産される事になり、特に中国では大量に生産されるようになり、中国の経済を安定化させる一因となった。


中国で量産された兵器を日本が買い取り、インド・アフリカ・アラビア方面の反英勢力に送られるのであった。

さらに中国で量産された兵器は、中国国内にも広がっていき、軍閥含めた中国軍の軍備も整っていった。


中国では共産党との戦いが未だに続いており、共産党と戦うための軍備と言われれば納得するしかなかった。

中国国内の日本軍は数を減らしており、共産党との戦いは既に新国民政府に任せるようになっていたのである。



日本が戦争に明け暮れる中、気が付けばいつの間にか大東亜共栄圏の国々で華僑が増えてきており、経済活動を担うようになっていた。

日本が掲げた大東亜共栄圏の中で、中国人の成功者が増えているようだった。


日本人は兵役で人が取られ経済活動が掣肘されており、これを打破するためにはさらなる復員が必要になっていた。

東南アジアの各地には、日本の駐留軍が多くおり、軍政を敷いていた。東南アジア各国に軍隊を持たせ独立させれば、駐留軍の数を減らせ人手不足が解決しそうなものだが、日本の本音が資源確保である事からなかなか踏み切れなかった。


日本は建前で掲げた大東亜共栄圏を、本物にする決断を迫られているのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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