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第二部 第一章 羽化不全

「私のこと、好きになってもらえませんか?」


志乃田響子、高校一年生は時永葵、高校三年生女子に一目惚れの末少しおかしな告白をしてしまう。


「お試しね」


そして始まる1ヶ月という期限付きの交際関係。


歪な二人の歪な恋愛。

 あの時流れていたのはジャニス・ジョプリンだった。曲名は分からないけれど私があの声を聴きまがうはずが無かった。

 今では埃のかぶったCDプレイヤーのスピーカーだって、きっと彼女の歌声を覚えているだろう。ともすれば電源を着けずにも流れ出しておかしくない。それほど執拗に母親は彼女の曲を繰り返していた。お風呂上りに私の髪を乾かしながら。私が一人で入るようになってからも、母親はわざわざ下着姿のままリビングで、張り上げて僅かに枯れたボーカルと、重いベース。それらに合わせて長く茶色の髪に手櫛が通っていく。

 私は決まって性行為の後にその光景を思い出した。私の初めては中学二年生で、アマチュアオーケストラのチェロ奏者に犯された。彼は大学の愚痴を帰り道が同じというだけの私に何度も漏らしていて、身の丈に合わない環境に馴染むことが出来ず、それでいて自分の実力不足すら直視できない、言ってしまえば度胸のない男だった。駅前にコンビニすらない夜の街路で、彼に強く手を掴まれた瞬間、その血走ったような目と、柔和に保とうする口元の作り出したアンバランスな表情が眼に入った瞬間、私は驚くのと同時に、同情した。しかしその対象は彼でも私でもなかったような気がする。

 彼は大学生にしては小柄とはいえ、中学二年生の私と比べてしまえば十分な体格差があり、私は抵抗と呼べるようなことは何ひとつとして出来なかったのだから、犯すのは容易かっただろう。そしてそんな容易いことが、きっと彼の人生最大の度胸試しで、「誰にも言うなよ」何を焦っていたのだろう。彼の表情に強者の誇りも勝者の喜びも無く、逃げるように去っていくその姿は、むしろ汚されてしまったと言わんばかりだった。

 私は鈍くなった思考のなか、公衆便所のタイルの上で二十分にも満たない暴力を反芻しながら、髪を梳かす母親の姿を思い出していた。

 彼はその後二度とそのオーケストラに姿を見せなかった。

 その冬、放課後に告白されて初めて付き合った男は、その日に私を抱いた。「好きだ」といったその口で私の乳房を噛んだ。

 次の土曜日には友人を三人連れてきた。それは二十分で終わるような生易しいものではなく、私はやはりしかし抵抗という抵抗をしなかった。「コンビニ行ってくるわ」それが辛うじて保っていた意識に届いた最後の言葉で、その時にだってあの母親の姿が思い返されていた。

 その後に付き合った同級生の男の童貞を処理した後にだって、ずっとずっと後に中年の男に身体を売った後にだって、同じ光景が頭をよぎった。

 どうにも母親の事を思い出すにしたってもっと適した姿があるはずで、拳を振り上げる姿だとか、包丁を突き付ける姿だとか、その後に「愛してる」送り返しながら嗚咽する姿だとか。けれどきっと私はその身体を思い出しているのだろう。

 あの人が母親の身体をしていた事なんて一度も無い。「愛してる」ってその声色はきっと子供に向ける何かとはかけ離れていた。あの人はそういう発声法しか知らなかった。そして私はそんな母親の娘だった。

 ただ私にとってセックスとは快楽や安心感を得るものではなかった。むしろ痛みや苦しみのほうが多いはずで、ただそれでも、楽だった。

 触れられたその場所から、私の存在が薄れていく。誰かに抱かれていることで、自分の名前が遠ざかっていく。単調な刺激よりも、その感覚が何よりも私を魅了した。

「好き」

 その言葉を言ってやる瞬間が、耳元で囁いてやる瞬間が、私を一番無機質にして、その冷たさが心地よかった。だから何度でも繰り返した。気が付いた時にはどんな風に抱かれていたって、どんな相手にだって、そう繰り返していた。私はそういう道具でありたかった。

 そんなことを繰り返していれば、当たり前に訪れることは、当たり前に訪れる。「堕します」その決断に一ミリの躊躇も無かった。父親が誰かの見当もつかなかった。だからそれでよかった。そうあれば、よかったのに、どうして母親は私を産み落としたのだろう。

「愛してる」ってうわ言のように繰り返した母親は、私が小学五年生の頃に居なくなった。あの人に男が途切れる事なんて無くて、私は本当の父親の名前も知らない。パパと呼ぶべき人が次々に入れ替わっていく中で三歳の頃にバイオリンを与えられた。「昔はバイオリニストになりたかったの」夜職の母は、出勤するまでの間を私のバイオリン指導に充てた。けれど私の記憶にはバイオリンの音色よりも彼女の金切り声の方が耳にこべりついていて、血が滲んだ左の指先よりも、張られた頬の痛みの方が強く残っていて、投げつけられた花瓶。割れた破片。そして家を出なければならない時間になれば、母親は私を抱きしめるのだ。やはり「愛してるのよ」なんて囁いて。そんな風に私を指導する母の姿は、今思い返せばやはり母親としての姿ではなく、むしろ駄々っ子のようで、思春期の生娘のようだった。

 そんな母親がいなくなったのは秋と冬の狭間の曇った日だった。私はいつも通り学校から最短距離で家に帰ってきて、きっと捨てられた家には特有の雰囲気がある。家に限らず、捨てられたものは、その匂いが深く残る。だから玄関で靴を脱いだ時にはぼんやりと理解していた。灯りのついていない部屋、畳まれていない布団、飾られるように吊るされていた母親のジャケットが三つ無くなっていた。きっともう母親は帰ってくることが無くて、私は入念に手洗いうがいをした後に、部屋と私と一緒に捨てられてしまったバイオリンを手に取った。譜面台を組み立てて楽譜を置いた。松脂を塗って、肩当を付けて、A線からチューニングをした。開放弦の和音は普段よりも調和がとれていた。

 やはりもう二度と母親が帰ってくることは無くて、私はそれまで顔を合わせた覚えのない祖母に引き取られた。母親から家族の話を聞いたことは無かったから、私もどう接していいのかは分からなかった。ただ、祖母の深い皺は諦念で出来上がっているのだと思った。「よろしく」かける言葉が見つからなかったのか、少しの沈黙に出てきた言葉。クシャっと笑った目元の柔らかさは、母親とは似ても似つかなかった。

 祖母は私に優しかった。手を上げることは愚か、怒鳴ることすらなかった。曲がった腰でキッチンに立って週に一回、土曜日には餃子を作ってくれた。毎度毎度、作りすぎて余ってしまうのだけれど、「何も考えなくていいから、心地いいのよ」なんて二時間近く黙って餃子を包み続けるのだ。私も話しかけなかった。ただ一度手伝った時には、「器用ね」って笑ってくれた。

「バイオリンはやりたいの?」年金暮らしだというのに学費も、何もかもを払ってくれていた祖母は、それでも私に選択肢を与えてくれた。勉強はできた。けれど一番ではなかった。運動も得意ではなかった。友達と呼べる人はいなかった。気が付いたらバイオリン以外何もなかった私は、呟くような声で選択した。

 初めて友達と呼べる人間が出来たのはそうやって通い始めたアマチュアオーケストラでだった。高校生のその人は音大を目指しているのだと言った。けれどそんなの夢のまた夢であることを彼女はきちんと知っていて、私もわかっていた。一度練習で指揮者に「今の演奏、どの楽器が悪かったと思う?」なんて意地悪な質問をされた彼女は、黙りこくって何も答えなかった。私はオーボエのテンポがズレていたことに気がついていたが、彼女はそれを聞き分けられる耳を持っていなかった。

 集合時間の一時間前には、練習を始めていた彼女。この後練習のためにカラオケ行くんだけど来ない? なんて私を誘った彼女。週に何度かは付いていったけれど、私が居なくとも彼女は毎日練習をしていたのだろう。「家だと音漏れがあってさ」私の使っているバイオリンの半額のそれは、高音がやけに耳につくからかミスが目立った。指揮者は全体練習で彼女を何度も晒上げた。私は彼女が懸命にフレーズを繰り返す隣で俯いて、バイオリンの木目を眺めていた。それなのにコンマスの候補にもならず、後ろから二列目で私と並んで座っていた彼女は、心配になるほど痩せていて、その痩せ方は研いだ刃物なんかではなく、枯れ木のようで今にも朽ちて倒れてしまいそうだった。

 それでも彼女はバイオリンが好きなのだと言った。その言葉は疑う余地が産まれないくらいに透き通っていて、どうしてそんな表情でいられるのだろうと思った。本番前には、別に目立つ位置に立つわけでも無いのに、誰よりも緊張していて、私は震えるその手に触れたいと何度も思った。

「だって、楽しいもの」

 その言葉は、そして彼女の存在は私にとって蝋燭の灯火のようだった。今までバイオリンを楽しいと思ったことなんてなかった。音程を合わせることが、楽譜を再生するように弾く事が私にとってのバイオリンで、それはきっとなにかの手段でしか無かった。

「プロになれなくても、音大に入れなくても、それでもいいかなって思ってるの」

 だからダメなんだろうな。

 私が中学一年生の冬、高校三年生の彼女は受験前日、私に言った。けれど私はそう言える彼女が好きだった。

「辞めないでよ」

  もしも落ちたとしても、今日みたいに一緒に弾こう。

  別に発表の機会がなくても、誰に評価されなくても、彼女と二人で合わせる瞬間が好きだった。彼女のブレスを合図に弓を引く瞬間が好きだった。歯と舌の隙間を通る冷房の効いた冷たい空気が鳴らす音。その後すぐに塗りつぶされてしまう微かな音。それがまるで彼女の全てを表しているように思えて、好きだった。

 私は彼女の何を知っている訳でもなかった。同じように彼女も私の何を知っている訳でもなかった。奏でる音で何かが伝わるなんてロマンチストでは無いけれど、私にとってはそれで十分だった。

 連絡先も知らないまま、学校はどう? なんてありきたりな話をして、それ以外には思い出せないような会話をして、それでも重いホールのドアを開いて彼女がいれば私は安心して、彼女もきっとそうだったろう。

「ありがとう」

 いつも一言だけ交わして別れる駅前で、その日は一時間立ったまま、バイオリンを背負ったままに会話した。「ありがとう」もう一度繰り返して、彼女は私を抱きしめた。「優しいね。葵は」そんな事初めて言われたから、私はなんにも返せないままで、けれどそんなことよりも羽毛のジャケット越しに感じた温もりが初めて感じる温もりで、だから固まってしまった。私より幾分も年上のはずなのに細く頼りない、その背中に私は手を回せないで、「ごめんね」その言葉の意味も理解できなかったのに、彼女は私から離れていった。

 そして、それ以来彼女と会うことは無かった。

 次の練習の日に、彼女は居なかった。「試験官が途中で止めさせたらしいよ」「最初の音で、もう表情が険しくなってさ」「そりゃ来れないわ」「まぁ、そりゃそうでしょって感じだけどさ」あの駅前で背中に回せなかった私の両腕は、行き場所を失ったまま宙を泳いでいた。

 祖母が亡くなったのは、その一ヶ月後で突然の事だった。前日にはキッチンに立って曲がった腰で餃子を包んでいたのに、その朝には砂糖を混ぜた卵焼きを焼いてくれていたのに、玄関のドアを開けた時にやはり気がついた。あの時と同じく匂いがした。救急車を呼んで、けれどそんなことも意味がなかった。

 制服で参列した通夜の間も、葬式の間も考えていた。祖母はどんな人だろうか。その時になって考えていた。祖母は私に優しかったけれど、同情はしなかった。けれど一度だけ私の肩を抱いて涙を流したことがあった。「アンタはきっと大人になってね」小学校の卒業式だった。参列席で一人年老いていた祖母は、誰よりも綺麗な着物を着ていて、それでもとても小さく見えた。両親の腕をぶら下がるように掴んでいる男子生徒を見て、母親同士が話している横で泣きじゃくる女子生徒を見て、祖母の歩調は早くなった。私はその手に引かれて、けれど直ぐに追い越してしまった。少し曲がった腰と、私よりも小さな身体。その歩幅は小さく、歩調は頼りなかった。それに私には話すべき友人なんて居なかったから、別れを告げるべき友達なんて居なかったから、こんな場所には一秒たりとも居たくないと思っていた。

 自分の環境が少しおかしいことに気が付いてしまったあとは、それまで話せていた人とも上手く話せなくなった。喋らない子供だと一度思われてしまえば、クラスメイトにも誰にでも同じように扱われる。「葵ちゃんママがいないんだって」「でもバイオリンやってるって聞いたよ」いったい誰が流したのか、広まってしまった噂話もまた私からクラスメイトを遠ざけた。

「ごめんね」

 祖母も私にそう言った。帰り道では一度も口を開かなかった彼女が、玄関扉を閉めたその時にふと漏らしたのだ。そして何も言えない私を見て抱きしめた。「アンタはきっと大人になってね」祖母の指す大人とはなんだったのだろう。祖母にとって娘である母親はなんだったのだろう。もう答えの返してくれない祖母は、今まで見た中で一番美しく、冷たかった。参列席には知らない大人が数人いて、けれど母親の姿は無かった。

 誰も涙を流さない、静かな葬儀だった。

 それから私を引き取ったのは、葬儀に来ていた親戚の夫妻だった。東京のマンションの一室は決して小さくないのに、おばさんは「狭くてごめんね」と言った。共働きの二人は、割れ物を扱うように私に接した。中学二年生だった私は、今更母親代わりの人間を求めて居なくて、今更家族なんてものは必要としていなかった。初めから、そんなものは知らないのだから、求めようも無かっただけかもしれない。

 だからどこまでも他人と他人でしかなかった。私は何も望まなかったし、おばさんもおじさんも何も私に強要はしなかった。「高校は行きなさい」働いて家を出ようとした私にそう言ったくらいだろうか。彼らが、中学三年になってから酷くなった私の夜遊びについてどれほど知っていたのかは分からない。

 ただ堕胎を決めた時、私は彼らに初めて頭を下げた「お金を貸してください」その時のおばさんの瞳は恐ろしく冷ややかだった。彼らは善良な人間だった。私がこの家を訪ねた初日に「私達子供が出来なかったの。だから、嬉しいわ」といったのはきっとホントの気持ちだったのだろう。「産みなさい」おばさんはそう言った。強く厳しい声色だった。私は首を振った。嫌だった。誰が父親か分からない子供を産むことも、愛せやしない子供を産むことも、嫌だった。「もう生きてるのよ」そのお腹の子供は。「子供なんて、言わないで」こんなものに愛着を持つなんてどうかしている。「責任を持ちなさい」私は、産みたくても産めなかったのよ。

 私はそれでも頭を下げる事しか出来なかった。「気持ち悪い」殴られて、けれどそれでもお腹の中の異物を吐き出してしまいたかった。私が堕ろしたいと叫べば、おばさんの暴力は激しくなって、おじさんが帰ってくるまでの数十分間、私は痣だらけになった。お腹だけは、傷ひとつないままに。

「貴方は、死んだ方がいい」

 私は何も言い返せなかった。帰ってきて、半狂乱のおばさんを部屋から追い出したおじさんは、直ぐに堕胎を認めた。けれど学校以外の時間は家に居ることを、バイオリンを辞めることを、そして高校を出たらすぐにこの家を出て二度と関わらないことを約束させた。予算を聞いて現金を渡すときの汚いものを見るような瞳がどうしてか私を初めて犯した男に重なった。

 それからおばさんは、私に口を利かなくなった。むしろおじさんとは話す回数が増えた。

 初めておじさんに襲われた日、私は安心した。おばさんが、家を空けることが増えてきたある日だった。むしろ私が夜に家に居るか確認するために帰るのが早くなったおじさんと私は、二人で過ごす時間が増えた。それでも彼はあの日から私を娘とは思えなくなったのだろう。もしかしたら人間とも思えなくなったのかもしれない。話す道具だと、そう思ったのかもしれない。

 その瞳はまさに私を犯した男の瞳そのものだった。

 いつものように耳元で「好き」って囁いてやったその時、彼は青ざめた顔で腰を止めた。そして何かを掻き消すかのように激しく私を殴った。その痛みはむしろ私から体温を奪った。遠ざかっていく意識は私が道具になっていく過程だった。

 私はただ道具でありたかった。

 吐精した後、彼は絶望したような顔で言った。「お前は生まれてこない方が良かったよ」私は、自分の持っていた感情が初めて音になった気がした。髪を梳かす母親を想起しながら、小さく呟いた。

「私は生まれてこない方が良かった」

 おじさんもまた家を多く空けるようになった。

 そしてそれ以来、私は男に抱かれていない。

 誰もいない静かな夜の部屋でテレビのニュースを見た。音が無い空間が苦手なのは、きっと呼吸音も心音も聞きたくないからだ。意味もなく、内容を問わず点けっぱなしにしているそのテレビで、しかしその日偶然耳についたのは、成人の年齢が十八歳に引き下げられるという旨のものだった。「アンタはきっと大人になってね」祖母の声色をもう思い出せなかった。私は泣きたくなった。「私は生まれてこない方が良かった」呟いてみれば笑いたくなった。

 だから、私は十八の誕生日に死のうと決めた。


 そしてその誕生日のおよそ一か月前。私は志乃田響子に出会うのだ。

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