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第四章 白夜

「私のこと、好きになってもらえませんか?」




志乃田響子、高校一年生は時永葵、高校三年生女子に一目惚れの末少しおかしな告白をしてしまう。




「お試しね」




そして始まる1ヶ月という期限付きの交際関係。








歪な二人の歪な恋愛。

「捨ててくれても良かったのに」

 開口一番に葵先輩はそう言った。

 一日ぶりに先輩とのトークルームを開いて「昨日はごめんなさい。放課後空いてますか」って、一人の昼休み。今日は席を誰にも譲らなかった。「キモ」窓の外は昨日と同じ晴れ模様で、けれど彼女らは舌打ちだけを残して消えた。それだけの事だった。教室の窓から三列目、前から四つ。携帯の画面だけが今の私の全てで、既読が直ぐに付いた。それに意味が無いとわかっていても見出してしまう私がいて、嬉しく思う私がいて、「いいよ」って返ってくるまでの数分に一度たりとも画面から目を離せずにいた。

 葵先輩からの返信は、いつも私に血液が沸騰するような喜びを与えてくれていたのに、その時はとても静かで、吐いた息に重さがあるみたいだった。それでも嬉しかったのだから、あれは安堵のため息だったのだと思う。

 静かに画面の上を指が滑って、そこは葵先輩と私だけの空間だった。「好きです」「好き」「大好き」熱に浮かされたような言葉がいくつもいくつも積み重なっていて「そう」「知ってる」「ありがとう」って、その返信はその時の私はどう受け取っただろう。今の私はどう受け取るのだろう。「先輩と出会えてよかった」口の中だけで呟いてみても、何かが変わるわけでも無い。「愛してます」文字を入力して送信しないまま、ただ眺めた。「後悔なんてどう生きたってするもの」私の好意は頭から尻尾まで自分勝手だった。先輩の事を知る前から、その人柄や過去や、葵先輩を、時永葵という人間を理解しようともせずに好きになってしまって、でも、傷つけてしまっているのならばそれは耐えきれないと思った。

 私が立ち上がったのは、昨日言えなかった言葉があったからで、ドアの前には昨日と同じスポーツ刈りの男子生徒でもいるのだろう。「きしょ」って響きよりも、自分が力なく放った肯定の方が強く耳に残っていて、お弁当右手に今まさに教室の外へ出ようとする名前も知らないままの彼女の右手を掴んだ。

 言葉にされる前に困惑と拒絶が肌越しに伝わった。「ねぇ」彼女が何か言う暇も、時間も私には必要なくて「私、葵先輩の事マジで好きだから」私の声は震えずに届いただろうか。「何を言われても、それは変わらないから」

 彼女の瞳が爬虫類のように細く、私を捕らえる。「言いたいのはそれだけ?」吐き捨てるようなその言葉に私は一瞬ひるんでしまって、それでも強く強く頷いた。「離して」彼女の言葉は冷たくて、私の体温までもを吸い取っていくみたいだった。けれど私の右手に残った僅かな温度は、何かの余韻のようで、私はそれを消さないように、優しく握り込んだ。

 昼休みが終わってしまえば、もう放課後まではあっという間で、私達は放課後に少し電車に乗ったその先のカフェで待ち合わせた。

 何を言うかも決めていなかった私は、葵先輩が先にカフェについていたことに驚いて、ここは告白したその日に訪れたその場所で、決めたのは先輩だった。その時と同じサイズのアイスティーを片手に、私は葵先輩を見つける。

 斜陽に照らされて、どうしてかあの日の図書室と重なった。アイスティーだってさざ波一つ立てないで、けれどあの日と違って声を出したのは先輩からだった。「捨ててくれても良かったのに」呟くような、それなのに乾いた声だった。私にはやっぱり葵先輩の真意が分からない。そんな顔で、そんな声色でそんなことを言えてしまう理屈が私には分からない。

 私は零れてしまわないようにそっと、グラスを置いた。

「そんなこと言わないでください」

 歌詞の聞き取れない長調の洋楽が私と葵先輩の間を通り抜けていく。右手の指先を水滴がなぞって、口を付けてみてもそこにあるはずの甘味が感じ取れない。だからコンクリートみたいに思えるアイスティーは、一口含んで、それっきり。

 昨日の夜、ドライブから帰ったその後、私は母親の準備してくれた浴槽に身を沈めた。体温より少し高い水温が強制的に身体から力を奪って、思考もただ見たものを反芻するばかり。壁の白、床のタイルの隙間、変色した桃色の水垢、鏡面仕上げだったはずのカランは白く濁って、灯りは少し遠い。足を動かせば水面が揺れる。お風呂の蓋は壁に立てかけられたまま、自分の肌は相変わらず薄汚れたような色で、太ももは不格好に太って、まばらに毛が生えていた。丸めれば皺の入る腹、不自然な形をした胸、嫌悪感しか覚えないような股ぐら。

 意味が分からないのが全てだった。

 私の肌の色も、縮れた陰毛も、剃らないと生えてきてしまう指の毛も、それを汚く思う私も、母親と父親の関係も、碌でもない感情を吐露した母親も、それを聞いてなぜか眠れた私も。

「だって、やっぱり付き合うってそういうことでしょう」なんて言う葵先輩も、その表情も、それまでの会話も、覗き込むようなその視線も、あの日あの図書室でただ座っていた時永葵も。

「きしょ」

 その後の力のない肯定は、私の口から漏れたものだったはずだ。

「気持ち悪い」

「気色悪い」

 だから「きしょ」い。

 その言葉はとても端的で、むしろそれだけが真実かのように思った。間違いがあるとするのなら、肯定の方法でしかなかった。

 ふやけた指先は萎れた花びらみたいで、首筋の水滴はきっと汗だ。私の知らない所で起こる私の身体の事よりも、名前も知らないクラスメイトの一言が、ふっと飲み込めた。

 立ち上がれば音が鳴る。水面が揺れる。息をすれば私は生きていける。意味は解らなくともそうなった。

 ため息が漏れた。

「意味が分からないことばっかりです」

 私がどうして貴方の事が好きなのかさえ。

 先輩は変わらない表情のまま頷いて、身体は高熱の前触れみたいに何かがグルグル渦巻いていながら、ぼんやりと頭の中でなんて綺麗な顔立ちだろうと思った。ずっと見ていられる造形をしているって、改めて思った。もしかすると、それは私だけの感想なのかもわからない。

「先輩はなんで私の告白を受け入れてくれたんですか?」

「なんでって、響子ちゃんが頼み込んだんじゃない」

 しかしならばこそ綺麗という形容は本当ではないと思った。美醜の問題でもない気がした。ただ私はその顔の造形を賛美せざるを得ないような心持であって、綺麗だとか、整っているなんてどこかにある基準に照らし合わせたような言葉ではなくて、もっと絶対的な、けれどもっと揺らぎやすい言葉が欲しかった。

「答えになってません」

 吐いた息は熱を帯びていたのだ。だから小さく何度も吐き出した。右の手のひらから伝わるグラスの冷たさは何か意味を成しているだろうか。

「私がっていうのなら、期限が一ヶ月なのは?」

「それだって響子ちゃんの言ったことじゃない」

 一か月でも、一週間でも、一日でもいいって。

 私が、志乃田響子が何を望んでいたのか。それを本当にわかってくれなんて思ってない。言葉に出来なかったんだ。言葉にするならば一生隣に居たいと思っていて、違うと思う。そうじゃないと思う。それじゃありえないと思う。私は、ただ吐き出したかっただけ。葵先輩はその吐瀉物を拾い上げて、口を付けたのだ。

「先輩は、どう思ってるんですか」

 葵先輩は小さく笑った。そこに悪意がないのが不思議な程なのに、どうしてかその笑顔は透き通るようだった。

「最初からわかってたでしょ?」

 わかっていること、わからないこと。

 少なくとも葵先輩は私の事を好きではない。今も、昔も。ずっと。

 そんなことは最初から今までずっとわかっていた事。感覚の鈍った右手を、まだ温い左手で包み込む。

「好きにして見せますなんて、大見得切ったのに、覚悟がなかったのは響子ちゃんの方でしょう?」

 私は俯くように頷いた。

 けれど最初から私が聞きたかったのは、そういうことではなくて、答えとしてほしかったのもそう言う事でもなかった。

 窓の外で揺れる木々で風を知る。均一的な冷風が満たす店内の空気はむしろ私の喉を焼くようだった。

「なんで、捨ててくれてよかったのになんて言うんですか?」

 机の木目は隣のそれと不自然なまでに均一で、私は顔を上げられなかった。葵先輩の瞳を見られなかった。

「どうして先輩は私を捨てないんですか?」

 こんな関係先輩がひとつ嫌といえばすぐに終わるんです。

 それなのに、そう言わないのはなんでですか。

 先輩の表情が、少しでも濁ってくれていたらいいと思う。そう思ってしまう自分は、昨日とはまるで別人みたいで、けれど転んで見えた青空もフローリングの床材も同じことだと思った。

「私からしたら、もう残り何週間かとか知ったこっちゃないんです」

 欲しい返答は、自分でもわからない。だから、先輩が何も言わないのならば私はそれでもいい。表情はまだ見れないままに、わからないで埋め尽くされていく全部が、わからないままでもいいと思う。今は未だ? これからもずっと? 

 唇を強く結んで、奥歯が舌に当たる。鋭い痛みが走って血の味がする。傷が付けば血が出るのは、きっと当たり前のことだ。

「私から先輩を手放す気なんてありませんから」

 着地点の分からない会話は、堂々巡りに何も導けないまま。

「何があったって捨ててなんてあげませんから」

 それでも、意味じゃない何かがあればいいと思う。言葉に、その意味を超えた何かが籠ればいいと思う。何度も言った言葉で、何度も繰り返した言葉で、「知ってる」って簡単に跳ねのけられた言葉で、それでも何かが伝わればいいと思う。

「私は貴方の事が好きです」

 ほのかに聞こえた唇が離れる音を掻き消すために、言葉を重ねる。

「知ってるなんて言わせません」

 心がそのまま伝わるのなら、心を取り出して並べて鑑賞できるのなら、心をそのまんまに食べてもらえるのなら、それが一番いいのに、私は先輩の表情も見れないままに、言葉尻だけ強くなっていく。強く握った手のひらだけが見えた。爪が食い込んだ。次の言葉は、未だ思い浮かばなくて、だけど、何か言わないといけないから、そうじゃないと伝わらないからって、舌だけが口内で泳ぐ。目を強く瞑って、瞑ったはずなのに突如私の世界は明るくなった。瞼を開いたそこに葵先輩の顔があって、その表情は、見たことのない形をしている。彼女の右手が私の顔を持ち上げたのだと気が付くまで、幾分かの時間が必要だった。

「じゃあ」

 固まった私は、全部が吹っ飛んでその瞳に飲み込まれそうだった。

「それを言葉以外で伝えてよ」

 私たちの身体は、そのためにあるんじゃないの?


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