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第9話「限界フルスタック!」

室内は深い緊張に包まれていた。


設計裕が無言で画面を指し示す。


「これが最終仕様案だ。

これ以上の変更は、品質も納期も致命的に壊す可能性がある。」


その言葉を聞いても、重苦しい沈黙が続く。


無茶振男と理不尽沢による連日の無理難題で、チームは疲弊しきっていた。


虫生正義は肩を落とし、デスクに顔を伏せる。


画面太志は資料を何度もめくりながら眉間に皺を寄せていた。


電脳充はインフラ監視画面の複雑なログを凝視し、眉をひそめている。


早刷太郎は椅子にもたれかかり、黙って頭を抱え込んでいた。



納戸納男は静かに自分のPC画面を見つめていた。



目の前にはまだ解決できていないバグのリストと、不安定なインフラのステータス。


疲労で頭は重く、目が霞むような感覚に襲われる。


「間に合わない…

こんなままじゃ絶対に間に合わない…」


虫生の声が遠くから聞こえてくる。


「フロントだけ気にしててもダメ…

バックエンドの負荷を見極めなきゃ…無理は禁物…」


画面が重ねるように言った。


「UIを華やかにしても、パフォーマンスが落ちるだけだ。切り捨てる勇気も必要だ。」


電脳が少し声を強める。


「インフラのボトルネック、見過ごすな。

根本的な再構築も視野に入れろ。」


早刷が近づいてきて、低く諭す。


「現場のリアルを伝える。

納男、お前は今、視野が狭い。全体を俯瞰しろ。」


設計裕は短く言い切った。


「設計書の枠に縛られていると、全体最適は見えない。柔軟な発想を忘れるな。」



涙がこぼれ落ちそうになる。


納男はすべての言葉を胸に刻みながら、自分の無力さを痛感した。




――午前2時。




オフィスに残っているのは、納男と枝分だけだった。




暗がりの中、静かにPCのキーを叩く音だけが響いている。


納男の目の前には、崩壊寸前のAPI処理、未接続のフロント、詰まり続けるパイプライン、そして膨張しきったDBの構造図があった。


「……これはもう、繋がらない。いや、繋ぐしかない……」


ひとりごとのように漏らしたその声に、背後から静かな返答が返った。


「繋げるには、構造そのものを見直した方が早いかもしれないな。」


枝分だ。


ホワイトボードの前に立ち、マーカー片手にサーバー構成とテーブル構造の矢印を描いている。


「無理やり新しい仕様に合わせて既存のDB構造に捻じ込むから、破綻するんだ。

納男くん、キミのコードは整ってるけど、データの流れが塞がれてる。

“流れ”を整えなきゃ、いくら表面を直しても、腐るだけだ。」



「……流れ、ですか」



納男は呟くように言った。


枝分は頷いた。


「全スタックのどこにいても、“本当の意味での処理の起点”を意識して動けるのがフルスタックエンジニアの強みだよ。


今はUIからデータベースまでの流れがバラバラ…


だけど、整理して再定義すれば、短期間でも“生きてる設計”になる。」


ホワイトボードに走る枝分の線を見て、納男の頭の中で散らばっていた知識がひとつに結びついた。


「じゃあ……トランザクションの構造を切って、必要な部分だけに再構成して……UI側の表示仕様を、それに合わせて最小単位で設計し直せば……」


「余計なトランザクションは切る。代わりに“繋げる”べきコアを最短で通す。」



「繋ぐ……繋ぐ設計……」




その瞬間、納男の中で何かが“スパークした”。




「コードでつながってなかったのは、俺自身だったんだ……」



フロントしか見えていなかった視界の狭さ。


バックエンドを「別の担当領域」として見ていた甘え。


インフラは電脳がなんとかしてくれると思い込んでいた依存。


そして、データ設計やDBの流れを「触るべきでない」とどこかで恐れていた弱さ。



すべてが、今、溶けていく。



「枝分さん、すみません……。

今、やっと全体が見えました。繋がって、動く設計が。」


枝分は少し笑って、無精髭で覆われたふわふわの頬を撫でた。


「少しだけど、この間の借りは返せたかな…

 今の納男くんなら、全体を回せるはずだよ。」



納男は、自分のIDEを開いた。



一つひとつ、コードを精査しながら、

データの流れを、UIの意図を、インフラの限界を、

すべてを一つの線に繋ぐ作業を始める。



――それは、かつての彼では到底見通せなかった“全技術領域を統一する視点”だった。



これまで彼は主にフロントエンドに注力し、細かなUIの修正や動作の安定化を重視していた。


しかし、その先のバックエンドの負荷やインフラの脆弱さを理解し切れていなかったことを認めざるを得なかった。



自分は小さな部分だけを見ていた…


全体の流れや負荷分散、システム全体の整合性を理解できていなかった…



頭がぐらつくような感覚に襲われ、椅子に深く座り込む。


だが、諦めるわけにはいかない。


このプロジェクトの納期を守るために、何かを変えなければ。




納男はモニターを見つめながら、具体的な改善案を考え始める。



バックエンドの機能は分割して切り離す。


非必須機能は一時的に凍結して、負荷を減らそう。


フロントは不要なアニメーションや複雑な処理を削ぎ落とす。


電脳とはインフラの再構築計画を練る必要がある。


CI/CDのパイプラインも見直して、安定稼働を確保しなければ…



それは単なる技術的な修正案ではなかった。


チームの負担を減らし、限られた時間で最高の成果を出すための戦略だった。




誰もいなくなったオフィスに一人残り、キーボードを叩く納男の手は震えていた。


しかし、その震えは迷いではなく、静かな決意の証明だった。


何度も修正を試みるが、次から次へと別の問題が浮上してくる。


焦りと疲労で呼吸が浅くなり、頭がぼんやりと重くなる。



メンバーからの声が頭の中で反響する。


「バックエンドの負荷を考えなきゃ意味がない」

「設計書に縛られて柔軟さを失うな」

「現場のリアルをちゃんと知れ」

「インフラのボトルネックを見逃すな」


それはまるで、自分の視界を塞いでいた霧が、少しずつ晴れていくようだった。



納男はモニターのコードをスクロールしながら思う。



「俺はフロントしか見てなかった。

だけど、ここで止まったら全部が壊れる。


技術(テク)は分断してはいけないんだ。

全部の(ライン)がつながっている。」



目の前の画面の先に、チーム全員の作業が重なり合い、ひとつの巨大なシステムを形作っていることをはっきりとイメージできた。



深く息を吸い込み、指先に力を込める。



バックエンドの処理を軽くするためには、どの機能を切り離せるか。


UIの負担を減らすために何を削るべきか。


インフラの負荷を下げるためにはどこを再構築すればいいのか。


納男はチームメンバーとのやりとりを思い返しながら、具体的な技術課題の優先順位が瞬時に頭に浮かんだ。



「みんなの声は、俺に足りなかった視点だった。

これを逃したら、俺は納期を守れない。

守りたいなら、自分が変わるしかない。」



画面に向かいながら、彼の目が鋭く輝きを増す。

手は震えていたが、その一打一打に迷いはなかった。



その後。



納男はフロントの複雑なアニメーションを躊躇なく切り捨てる決断をした。


バックエンドのAPI設計の負荷を減らすため、虫生や設計裕と直接相談し、機能のスコープ調整を始める。


電脳と連絡を取り合い、インフラの負荷分散策を詰めていく。




「これが…本当のフルスタックエンジニアか。」




自分が狭い専門領域の枠を超え、全体を俯瞰しながら調整できる技術者へと成長した実感が、彼の胸を満たした。



心の中で強く誓う。



「俺はリーダーじゃない。引っ張る立場でもない。

ただ納期を守るために、できることを全部やるだけだ。

この技術で、みんなの背中を支える。」



その覚悟が、彼の身体中に熱をもたらし、孤独な戦いへのエネルギーとなった。




深夜の冷たい空気の中、画面の向こうにはログのエラーが一つ、また一つと消えていった。


一歩ずつだが確実に、システムは安定を取り戻しつつあった。


虫生が遅れて戻ってきて、納男の肩を叩いた。


「アンタ、やるわね。技術の幅が広がったわ。」


画面が微笑みながら言う。


「納男の覚醒は、このチームの希望だ。」


枝分は嬉しそうにガッツポーズをする。


早刷も頷き、電脳は満足そうにモニターを見つめていた。




朝日がオフィスの窓を照らし始める頃、納男は最後のテストを実行した。



画面に緑色のパス表示が並び、ログは安定を示している。



彼は小さく拳を握った。


「終わらせる。俺が、納期を守る。」


その瞳はかつてないほど強く、そして静かに燃えていた。




メンバーは静かに彼の姿を見守った。


納男の技術的成長と孤高の決意が、混乱の中に一筋の光をもたらしたのだ。


この戦いはまだ終わらない。


だが、確かに、納男は変わった。


そして、その変化がチームを再び動かし始める。

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