第?話「枝分の初デート」
それは、昼下がりの能木デッドラインズの開発室で起こった。
いつものように黙々とキーボードを打つ音だけが響く中、枝分木造だけは妙に落ち着かない様子だった。
何度も時計を見るし、開発用PCの画面からも視線が外れている。
ようやく意を決したように、枝分はそっと席を立つと、近くのデスクで書類を眺めていた早刷太郎に声をかけた。
「……早刷さん。
あの、ちょっと、よろしいですか……」
「ん?どうした?」
「いや、その……業務のことではなくて、ちょっと、個人的な……」
早刷は一瞬きょとんとしたが、すぐにピンときたらしく、ニヤリと笑った。
「……ふーん、じゃあ、給湯室で聞こうか」
そのやりとりを目撃していた納戸納男は不思議そうに眉をひそめたが、特に追及はしなかった。
だが、すぐに早刷が戻ってくると、何気なく口にした言葉が事態を一変させた。
「枝分、明日、大学時代の同級生と“デート”するらしくてな。アドバイスが欲しいってさ」
――ガタン!
突如、近くの椅子が勢いよく回転し、虫生正義が飛び込んできた。
「デートですってぇぇ!?誰と!?どこに!?
なにそれ最高じゃん!」
続いて、奥のラックの陰からひょっこり顔を出したのは、インフラ担当の電脳充だった。
「今、“デート”って言った?それ、優先度Sだよね」
一気に枝分の周囲には人が集まり、まるで緊急プロジェクトの会議のような雰囲気に。
「服は!?予約は!?割り勘!?奢る!?
どうすんの!?手ぇ繋ぐの!?」
「いや、まだ場所も服も……」
「ダメダメダメ、それで行ったら終わるわよ。
アタシの経験と勘がそう言ってる」
虫生が真剣な顔でぐいぐい詰め寄る。
電脳はスマホを取り出し、勝手に「デートで外さない会話ネタベスト50」と検索していた。
「み、みなさん、やめてください……圧が……!
情報量が多すぎて処理が追いつきません……」
その様子を見ていた納男は、そっと心の中で手を合わせた。
(……これは、もう、
いろいろと応援するしかないな…)
翌日。
納男は仕事に必要な技術書を買いに出かけていた。
書店から出たとき、ふと気づく。
(あれ……この辺り……)
確か昨日、枝分がデートで行く予定だと言っていた場所だ。
妙に落ち着かない気持ちで通りを歩いていると、前方に見覚えのある背中を見つけた。
枝分だ。
そして、その隣には、背筋の伸びた美しい女性。
華奢というより、均整の取れた長身。
歩くたびに揺れる長い黒髪。
あの枝分が、まさか本当に……。
しかし、驚きはそれで終わらなかった。
二人のちょうど10歩ほど後ろ――
明らかに“怪しい”集団が尾行していたのだ。
サングラスに新聞を広げている早刷。
つばの大きすぎる帽子で顔を隠した虫生。
スマホ片手に通話を装いながら小声でメモを取る電脳。
(バレる……それ……物凄く怪しい……)
戸惑っていると、虫生と目が合ってしまった。
「納男くん!ちょうどよかった!
こっち、戦力足りなくてさ!」
「……え?」
虫生の強引な手に引かれ、納男は尾行チームに強制合流させられてしまった。
枝分と美女はおしゃれなカフェに向かっていく。
虫生が得意そうに
「あのお店、昨日ギリギリで思い出して教えたのよ」
と言った。
「えー、意外な場所知ってんのな。お前」
と、電脳。
枝分と美女に続き、早刷と虫生、電脳と納男もこそこそと入店。
観葉植物に隠れて移動しながら枝分たちの近くの席を確保した。
街並みが綺麗に見える窓際のテーブル席。
枝分は美女と対面で座っていた。
枝分の手は汗で濡れたグラスをしっかりと握りしめ、顔はやや引きつっている。
「久しぶりだね、枝分くん。変わってないね」
「高嶺さんこそ……ぜんっぜん……いえ、むしろ……」
少しぎこちない笑いが、懐かしさと緊張を混ぜながら交わされる。
最初のうちは、学生時代の思い出や、卒業後の話題に花が咲いていた。
枝分は徐々に肩の力を抜いていき、ついに「これは……本当にデートなのかもしれない」と思い始めた。
だが。
「枝分くん、今の仕事、楽しい?」
突如、柔らかに微笑みを浮かべる美女。
「うん。
いろいろあるけど、仲間もいて、成長もできて……
俺、この会社に入れてよかったなって思ってる」
顔を覗き込まれ、じっと見つめられる。
「でもさ、思わない?今の時代、会社にいても安心できないよね?」
枝分の眉がかすかに動いた。
「え……そう、ですね……?」
「私ね、最近“自由な働き方”を目指してるんだ。
会社に頼らず、自分の力で収入を得るって、すごく大事だと思わない?」
言葉の調子が、どこかで聞いた話のように聞こえた。
彼女の表情は笑っているが、目だけは笑っていない。
「枝分くんみたいな真面目な人こそ、こういうチャンスを掴むべきだと思うの」
(……チャンス?)
「今、私が活動してる団体、すごくいい人ばかりで。
遊びのイベントもあるし、プライベートも充実するよ?」
違和感は、確信に変わった。
(……これは、デートじゃない)
沈黙が続く。
「ね、私と一緒に、やってみない?
…どうかな?」
もう限界だった。
心の何かがぷちりと切れそうな時、聞き慣れた大きな声が枝分を包んだ。
「枝分くーん!奇遇だねぇ!」
早刷が立ち上がり、わざとらしく声をかける。
続いて虫生、電脳、納男がぞろぞろと現れた。
「うわー!まさかここで会うとは!」
「運命かよ!」
「枝分さんだ」
まさかの4人揃っての登場に戸惑う枝分。
「お、納男くんまで!?あの、みなさん……」
突然のことで状況を把握しきれていない彼女の前で、虫生がさっと枝分を引っ張り立たせる。
「ごめんなさいね、これから彼、ちょっと予定があるんです!」
「じゃあ、お疲れ様でーす!」
そのまま枝分を連れて、4人はカフェから退場した。
その夜、居酒屋のカウンター席。
大きなジョッキに手をかけた枝分は、ぽつりとつぶやいた。
「……なんか、ずっと夢見てたのかもしれません。
彼女と、ちゃんと向き合えて話す日が来るって……」
「いや、そう思うのは当然よ」
虫生が優しく言う。
「綺麗な人だったし、枝分が惚れてたのもわかる。
けど、相手の目的がそれじゃ……仕方ないわ」
「むしろ、ホイホイ乗らなかったから偉かったじゃないか」
電脳が言い、早刷が続ける。
「“この会社に入れてよかった”って言葉、あれ本心だろ?かっこよかったな」
納男も、うんと頷く。
「……枝分さんの誠実さ、伝わってました」
枝分は目を伏せ、静かにジョッキを持ち上げた。
「……じゃあ、飲んでもいいですか。
今日は……朝まで」
5人のグラスが、かちりと鳴った。
「「「「乾杯!」」」」
少しだけ苦くて、でも温かい夜が始まった。
設計裕
「……くだらん茶番に巻き込まれる暇があるなら、事前に仕様確認しておけ」
画面 太志
「えっ、それって恋じゃなくてリード獲得目的のランディングだったの!?コワっ!やっぱり2次元が最強!」
枝分木造
「…なんで知ってるんですか……?」