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第15話「デッドラインズ、怒濤の激走!」

午前9時3分。



フォーカードソリューションズのオフィスに到着した難癖田嫌実は、いつもの海外チェーンのカフェのテイクアウトカップを片手に Slack を開き、目を疑った。



・No.80 対応済

仮想ルート権限によるサンドボックス展開(担当:電脳・納男)

実環境への影響 0監査ログ済



顔から血の気が引く。



昨夜、自分が地雷として放った“全権限開放・強制デプロイ”が、まるで手品のように安全処理されているのだ。



耳鳴りがし、掌が汗ばむ。


周囲の同僚が出社し始めるざわめきが遠い。



――こいつら、また走りきりやがった……!



怒号が喉にせり上がり、カップを握りつぶした。


跳ねたコーヒーがキーボードに散り、モニターに斑点を刻む。


そして拳でデスクを叩いた瞬間、手首がモニター台の角にめり込み、



バキッ



と乾いた音が走った。



右手に痺れるような痛み。


だが羞恥と焦燥が勝り、構わず叫んだ。



「誰が許可したんだよォォッ!!

対決(バトル)を玩具にしやがって!!」



オープンスペースが凍り付き、周囲の社員が視線を交わす。


それでも難癖田は止まらない。


問題を起こせば同部署まで飛び火する──

そんな空気も、彼は感じ取れなくなっていた。




混乱のなか、Slack の別チャンネルで枝分木造のログが流れてきた。



「ステージング完全分離・自動検証パス完了。

次のリリースもノーダウンで行けます」



泣き言ひとつない。

むしろ成長を匂わせる淡々とした文面。


難癖田の胃袋の奥がキリキリと縮んだ。



――枝分は壊れない。


ならば別のネジを抜く。



視線は自然と、早刷太郎の議事録へ移った。


客先交渉・社内調整・工程再編──


あらゆる矛盾が表計算のセルで整理され、“逃げ道ゼロ” の注釈が踊る。


資料屋のくせに、ハンドルを握って隊列を牽引している。



(お前なんざ“見掛け倒し”だ……

俺が叩き割ってやる)



難癖田は社内 SNS に匿名投稿を投げた。


「資料だけマンが現場でイキると事故るだけw」


スロットルを踏み込むような嘲笑。


そしてSlackを開き、早刷へ毒を滴らせた一撃を送りつけた。



「結局“資料”しか武器ないんじゃ?

資料だけマンw 技術屋気取りお疲れさま」





能木デッドラインズの誰もが一瞬、目を疑った。



そして次の瞬間、メッセージの送り主が「難癖田嫌実」であることに気づき、空気が凍りつく。


その文面が、早刷個人への攻撃を含む私的な内容であることは明らかだった。


しかも、宛先はチーム全体のSlackチャンネル──




つまり、難癖田の完全なる誤爆。



横にいた虫生が硬い声で言う。


「これ、完全に個人攻撃……しかもチーム全体の前で」



納戸納男の手もぴたりと止まる。


「……むかついた。わざとやりやがったな」



それは低い囁きだったが、チャンネル全体のギアを変えるには十分だった。



IDE の自動補完が追いつかない速度でコードが生え、PC の冷却ファンが甲高い悲鳴を上げる。


API ゲートウェイに抽象化層を差し込み、矛盾仕様をマッピングする補正ロジックを秒単位で確定させてゆく。


キーキャップが一つ、熱で歪んで外れた。



それでも納男の指は止まらず、“納期ドリフト”はさらに深い角度でコーナーを抜けていく。




普段は物腰の柔らかい早刷太郎が、ヘッドセットのマイクを静かに下ろした。


「…言ってくれるじゃねえかッ……!」


低い声。だが芯に火が宿る。


彼は即座にシートを立ち上げ、No.80を含む矛盾箇所を赤枠で囲み、法務・セキュリティのリスクを書き添えた。


資料は数分で図解に変わり、チャンネル全体へ共有される。


“資料だけマン”ね──


早刷は心の奥で呟き、矛盾仕様の逃げ道を一つずつ潰した。


電脳が仮想環境の安全証跡を付け、虫生が異常系テストシナリオを生成。


No.81 以降に潜む“次の地雷”は、チームの連携で先読みのまま無力化された。




Slack で進捗バーがまた伸びたのを見た瞬間、難癖田の肩が落ちた。



ついさっきまで机を叩き、怒号を飛ばしていた男は、今や空っぽの眼でモニターを眺めている。



 なぜ自分だけ空回りする?

 なぜ彼らは笑顔で走り続けられる?

 “共倒れ(ダブルクラッシュ)”のはずが、倒れたのは自分一人──。



右手の疼きがじわりと湿る。


痛みは遠く、腕より心臓のほうが重い。


指の震えは止まった。

怒りも焦りも燃料を失い、灰になった。



(……負けた。

俺のクラッシュに、誰も巻き込まれなかった)



能木デッドラインズのタスクボードは一面の緑。



「完了」「検証済」「リリース待ち」



敗北を告げるチェッカーフラッグが、静かに振られ続けていた。




午後3時。



難癖田にコンプライアンス部門からの呼び出しが飛び込んだ。


社内 SNS に残った虚偽拡散ログと仕様改ざんの履歴が、動かぬ証拠として提出されていた。



右手を包帯で巻いた難癖田に淡々と告げられた、突き刺すような言葉。




「プロジェクト妨害および社外信用毀損の疑いがあります。

本日付で部署異動、業務から外れていただきます」




席に戻る間、同僚たちはうつむき、ある者はそっとモニターを閉じた。


デスクにはダンボールが置かれ、窓際の長テーブルが新たな居場所として示される。



(俺だけ……潰れたのか……?)



包帯の奥で骨がズキリと脈打った。


それより痛かったのは、誰にも相手にされない静寂だった。




午後6時。



Slack に一つの通知が灯る。



「最終リリース成功」「検収完了」「成果物受領済」



その瞬間、タスクボードは一面、深い緑色に塗り替わった。



 ──リバースデスマッチ、終了。



納男は机の下から外れたキーキャップを拾い上げ、肩を回した。


「キーより早く動いた……。

次はもう少し、PCに優しくしないとですね」



近くで電脳がルーターのログを片付けながら微笑む。


「こっちは仮想基盤ごと逆回転しそうだったよ。

燃え尽きた……が、負ける気はしなかったな」



虫生もモニターの前で、大量のテストシナリオを削除しながら頷いた。


「リリース直前にNo.82が来た時は終わったかと思ったけど……

あれ、想定内にできたの、ちょっと自信ついたかも」



画面太志はSlackに貼られた最終デザインを見ながら、親指を立てて頷く。


「あれだけ仕様ひっくり返されて、UIが破綻しないのってもう奇跡じゃん。てか俺ら、すごくね?」



枝分は Git のマージログを眺めていたが、ふと小さく笑った。


「一歩間違えば全ブランチ崩壊だったけど……

あんな攻め方、もう一回やれって言われたら笑うしかないな。

けど、今の俺たちなら……」



設計裕は仕様書の最終版を PDF に変換しながらも、珍しく優しい目でチームを見渡していた。


「無茶な要求も、理不尽な仕様変更も……

誰かが支え、別の誰かが前に出た。

これは、もう“個人戦”じゃなくて“チーム戦”だったのかもな」



そして、ホットコーヒーをすすっていた早刷が静かに口を開く。


「“資料だけマン”じゃないって、少しはわかってもらえたかな…


……それにしても、“リバースデスマッチ”なんて名前、二度と聞きたくないけど」



全員が同時に小さく吹き出した。


やがて虫生がふとつぶやく。



「あのさ……アタシら、進化したんじゃない?」



その言葉に、しばしの沈黙が流れた。



画面が首をかしげながらも笑う。


「たしかに、進化って感じある。対決(バトル)中は“納期ドリフト”どころじゃなかったもん。超加速よ」



枝分も続ける。


「あの走り、もう“スーパー納期ドリフト”って感じだったな。

ギリギリのカウンターで切り返して、制限の壁すら味方につけた」



納男がうなずいた。


「たぶん、今回の走り方は……

“次”にもつながる走り方だったと思うんです。

納期も、信頼も、仲間も、全部落とさずに済んだ」



誰ともなく、拳が軽く重ねられた。


拳の形はバラバラでも、手の温度は同じだった。



夕焼けがオレンジ色に街を染めるなか、能木デッドラインズのオフィスには、静かな自信と高揚が満ちていた。



そして、誰かがポツリとつぶやいた。


「よし、次も“納期ドリフト”でいこう。今度はもっと華麗にな」



その声に、誰もが笑顔で頷いた。



静かなる勝利は、確かな進化の証。



彼らの“納期ドリフト”は、もはや誰にも追いつけない。

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