第14話「進化する納期ドリフトの天才!」
能木デッドラインズが送る進捗報告の通知音が、難癖田嫌実の耳に異様な刺々しさを帯びて響いた。
画面を埋め尽くす緑色の「完了」や「進行中」のステータスが、彼の神経を逆なでしていた。
「くそ……くそ……!」
乱れたシャツの襟を掴み、額を机に押し付ける。
デスク上には、昨晩から延々と吐き出されている仕様変更の資料と、矛盾だらけの無理難題のリストが山積みだった。
彼の指先は震え、キーボードを叩く手はまるで焦燥の焔に焼かれているかのように激しく動いた。
「“リバースデスマッチ”だぞ!? こんなの、スピンするのが当然なんだよ!!」
だが画面の向こう側、能木のメンバーは涼しい顔で一つずつ課題をこなしていく。
「……なんで、まだ走れてるんだよ、お前ら」
彼は独りごちた。
ただ、苛立ちだけが、ブレーキの利かない下り坂をノーブレーキで駆け抜けるように加速していく。
一週間前に送り付けた、技術的に矛盾だらけの仕様書。
配信タイミングを狂わせる分割リリース、論理破綻したDBスキーマの切り替え、画面要素の逆再生……
すべてが“ドリフトクラッシュ”を誘う罠だった。
難癖田はその瞬間、社内SNSに投稿する。
「またあの事故チームがやらかすらしいぞw」
だが、現実は違った。
「走れるか?」
「当たり前だ!
全員、グリップ限界で切り込んでる!」
能木デッドラインズのオペレーションは、まるで峠を攻める精鋭集団のようだった。
誰一人、スピンせず。
誰一人、ラインを外さない。
画面太志は、高速で変化する画面構成に一歩も引かない。
「デザインは裏切らない、俺が絶対に守る!」
と叫びながらマークアップを修正。
複雑なレイアウトとUI仕様も、高速コーナーを軽やかに抜けていくように処理していく。
枝分はGitのリポジトリを自在に操り、
「この混乱も俺のスクリプトで整理してやる!」
とブランチのカオスをチューニング。
まるでLSD(※リミテッド・スリップ・デフ)を仕込んだマシンのように、制御不能寸前の挙動を精密に制御していた。
虫生はテストダッシュボードと格闘しながら、
「バグはアタシたちの敵よ!絶対に逃がさない!」と燃えるような声を上げる。
失敗ログを嗅ぎ分け、異常を寸前で止めるその反応は、まるでグリップの抜け際を読み切ったプロドライバーのよう。
電脳充は変化するインフラ負荷に即応し、
「どんな環境でも、サーバーは俺が守ってやる」
と静かに宣言。
サーバールームという“ピット”で、誰よりも安定した“足回り”を構築し続けていた。
そして納男は後輪駆動のようなAPI構成を独自にチューニングしながら、
「納期は絶対に守る、俺の使命だ」
と冷静に追い上げていく。
彼の指先は、バックエンドのコース全体を脳内でトレースしていた。
だが――
最も異様な勢いで矛盾を叩き潰していたのは――
早刷だった。
「“逆順要件”? よくもまあ……ぬけぬけと……!」
画面越しのSlackに、“本来穏やかな男”の怒気がにじむ。
その全てが、激しい怒りと正義感に燃えながら放たれていた。
「俺たちを舐めるな。
納期も、品質も、全部守り切ってやる!」
早刷は資料の裏側を読み抜き、仕様の矛盾を逆手に取って、次々と“ロジックのコーナー”をアウトインアウトで駆け抜けていく。
彼だけがタコメーターを振り切ったまま、次のギアを見据えていた。
能木デッドラインズの面々は、それぞれの持ち場で限界ギリギリの制動と加速を繰り返しながら、“納期ドリフト”を、ただの応急対応から戦略的芸術へと進化させていった。
矛盾する仕様と不確定な要件を横滑りでかわしながら攻め、納期だけはラインを外さずに滑り込む――
常識というコースをまるで逆手に取り、納期というゴールを横滑りしながら最短で切り抜ける一撃必殺の走りだった。
難癖田のデスク周りは、夜の闇に沈んでいた。
モニターに浮かぶ能木デッドラインズの緑色の進捗バーが、彼の顔を怪しく照らすたび、目の奥で光が跳ねる。
「……まだ走れるってのか……?」
声が嗄れ、かすれ、乾いた笑いへと変わる。
指は震えながらもキーボードを叩き続けるが、そのリズムは次第に速さを失い、どこか壊れた速度超過の警告音のように不規則になっていく。
仕様変更案 No.77:データ保存形式を日替わりランダム
仕様変更案 No.78:UI配色を毎リロードごとに動的変更
仕様変更案 No.79:APIレスポンスを50byte以内に縮小
矛盾、
破綻、
そして狂気。
難癖田の口角がひくりと引きつり、額を覆う汗が冷え切る。
「崩れろ……崩れろ……!」
深夜の狭い部屋に、亡霊のような声が地を這う。
呼吸が浅くなり、眼球が揺れる。
脳裏には2か月前のステージング事故のログがフラッシュバックのように点滅し、それに重なるのは──
社内SNSで自分の名前が嘲笑とともに拡散される光景だ。
「――あいつらを持ち上げて?
俺を踏み台に?ふざけるな……!」
気づけば、ディスプレイの片隅で開いていた社内SNSには
「能木凄くね?」
「あの状況で脅威の進捗」
というコメントが続々と並び、いいねが跳ね上がっていた。
ボンッ──
耳鳴りとともに、脳内でタービン軸が折れる音がした。
彼は乱暴に椅子を蹴飛ばし、机に突っ伏す。
「……もういい……全部、道連れだ……!」
恐怖にも似た焦りが怒号となり、冷汗を伝って背中を滑る。
手は震え、キーを押す指先が深い赤に染まるほど強張る。
画面に浮かぶ文字は、もはや仕様と言える形を成していない。
仕様変更案 No.80:本番サーバーのルート権限を開放し、一斉デプロイを強制実行
「これなら……これなら、止まる。
あいつらも、サービスも、俺も、全部――
クラッシュだ」
心臓の鼓動がタコメーターの針のように振り切れ、限界を知らせる赤域に突入する。
だがブレーキは踏まない。
踏めない。
エンジンオイルの焦げる匂いの幻が鼻を刺し、視界が滲む。
Enter キーへ伸ばした指は、止まらなかった。
「このバトルの結末は――
ダブルクラッシュと行こうぜ!!」
カタッ。
卑小な音とともに、“自爆コマンド”が確定した。
それはまるで、最終ヘアピンでハンドルを切らず、ガードレールを突き破っていくように──
ブレーキ痕すら残さず、相手の車を巻き込みながら、暗い谷底へ飛び込む暴走車のようだった。
闇に沈んだモニターには、送信完了の文字が淡く光っていた。
難癖田はその光を映す蒼白い顔で、空虚に笑った。
その背後では、能木デッドラインズの進捗バーがなおも伸びていく。
緑色のラインが、彼の背中を無言で照らしていた。