第11話「デンジャラス資料登場!」
Slackにひとつの通知が届いた。
「株式会社フォーカードソリューションズ」
――かつて枝分が手痛いミスを犯した、あのクライアントだ。
添付されたメッセージには、奇妙な文言が躍っていた。
「今案件、“リバースデスマッチ”という新スタイルで進行します。
詳細は添付のPowerPointをご確認ください☆」
軽薄な言葉づかいと、やたらポップな語尾。
それに反して、添付された資料は40ページ超。
スクロールする指が止まるたび、誰かがため息をつく。
「……なにこれ……“設計より先に実装”?」
レイアウト担当の画面が目を細める。
虫生も手を止めたまま、表紙だけを見つめている。
「“24時間稼働を保証せよ。
ただし夜間監視は不可”。はぁ?」
インフラ担当の電脳が顔をしかめ、タブレットを机に置いた。
「“動画ストリーミング必須。
ただしCDNは使うな”だって……」
枝分の声はどこか乾いていた。
その横で、納男は静かに、資料の文面を読み込んでいた。
(リバースデスマッチ。……なんだこれは?)
資料の一つひとつは、それ単体では成立しそうに見える。
だが、それらを同時に満たすことは、明らかに技術的に矛盾していた。
要件と制限がせめぎ合い、全体像が掴めない。
――そして何より。
その送り主の名を見て、枝分の顔色が変わっていた。
「……難癖田だ」
枝分の声は、怒りよりも恐怖を含んでいた。
以前、枝分がステージング用の設定ファイルを本番環境に適用し、サービスが数時間ダウンした事件。
相手は枝分の名を連呼し、まるで「炎上の象徴」のように社内で拡散していたという。
そして今回もまた、能木デッドラインズへ向けて投げられた爆弾のような挑戦状。
否応なしに、記憶が蘇る。
納男は、ゆっくりと立ち上がると、モニターに向かって静かに言った。
「受けましょう。このリバースデスマッチ――受けて、突破してみせます」
その言葉に、枝分が目を見開いた。
「納男くん……」
「先輩をバカにするやつの言いなりにはなりたくありません。
例えこの仕様が矛盾の塊でも、俺たちで、納期もチームの評判も守ってみせます」
モニターの中のPowerPoint資料は、どこか嘲笑うように眩しかった。
だが納男の瞳は、その光を正面から見据えていた。
“逆走”するデスマッチ―
―その正体は、まだ誰にも見えていなかった。
翌朝10時。
定刻どおり、能木デッドラインズとフォーカードソリューションズのオンラインミーティングが始まった。
画面に現れたのは、過剰に白い歯を見せる男。
グレーのスーツに鮮やかなスカーフを巻いた、あの男だった。
「やっほ〜!お久しぶりです、能木さんチームの皆さまっ♪」
難癖田嫌実。
見た目はビジネスライクだが、発言はいつも挑発的で、口の端には常に嘲りの笑みを浮かべている。
「いや〜、ほんと前回の件は衝撃でしたよね〜。
ステージングを本番にって…
…ふつう、ないでしょ〜?」
画面越し、枝分の肩がピクリと揺れた。
「……当時の件はすでに再発防止を……」
「いやいやいや!こっちは全然、根に持ってないっすよ〜?
むしろ、あの“伝説”、いまだに社内で語り草ですからっ」
難癖田は笑いながら、わざとらしく拍手をした。
空気が凍りつく。
虫生も、画面も、電脳も言葉を失っていた。
早刷が咳払いをして、場を収めようと試みる。
「今回は前向きな交流案件ということで。
できるだけ建設的に——」
「はいはい、もちろんもちろん♪
そのための〜、“リバースデスマッチ”ってわけですよぉ!」
ピンと音が鳴る。
難癖田が画面共有を開始すると、鮮やかなスライドが現れた。
そこには目を疑うような方針が明記されていた。
今回の進行方式:リバースデスマッチ
・仕様確定前に実装開始
・インフラ制限あり(既存サーバー使用・CDN不可)
・UX優先・構成変更はクライアント主導
・最終納期:今月末厳守(残り19日)
「これ、どういうことですか?」と画面が訊くと、難癖田は無邪気な笑顔を浮かべた。
「いや〜、普通のフローじゃ“面白み”ないじゃないですか?
そこで今回は、実装と要件を、逆にしちゃおうって!
ね?“リバースデスマッチ”!
響きもよくないですか?」
「……それで、この内容ですか?」
納男の声は静かだった。
「仕様は矛盾だらけ。
インフラには制限。納期は動かない。
つまり、技術的には“成立しない”ものを先に作れと」
「おぉ〜、さすが納男さん!理解が早い!」
難癖田が両手を叩いて笑う。
「でもねぇ?
“不可能”だって証明するより、“やってみた”って方がカッコよくないですか?
うちは御社を信頼してますから。
……ねぇ、枝分さんも?」
枝分の手が震えていた。
唇が結ばれ、画面から視線を逸らしている。
再び、自分の過去の失敗を持ち出され、チーム全体を“晒し者”にされているようだった。
だが——。
「……信頼、ですか」
納男の声が、今度はほんの少し、熱を帯びていた。
「先輩を馬鹿にして、理不尽な制約を押しつけて、それで“信頼”という言葉を使うんですか?」
「……おやおや?」
難癖田は驚いたように、綺麗に整えられた眉を上げる。
「“リバースデスマッチ”、面白そうですね。
やってみましょう。納期も、品質も、全部守って。
ただし、こちらのやり方で、矛盾を超えてみせます」
納男はモニター越しに難癖田の薄ら笑いを睨みつけたまま、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……エンジンはもう温まってる。
ルールがめちゃくちゃでも、こっちは“納期”ってゴールだけは見えてんだ」
キーボードに手をかけながら、低くつぶやく。
「上等だよ、“リバースデスマッチ”。
あんたが逆走するなら、こっちは最短ラインでブチ抜くだけだ」
背中に、チームの士気が集まり始めていた。
納男の“走り”が、今まさに始まろうとしている。
難癖田の笑みが、わずかにひきつった。
「……いいじゃないですか。そうこなくっちゃ♪
さぁ、限界ギリギリのショータイム、始めましょっか」
そして、会議は終了した。
モニターが暗転したあと、チームにはしばし沈黙が流れた。
枝分がポツリとつぶやく。
「納男くん……ありがとう。
でも、これは俺のせいで——」
「違いますよ、枝分さん」
納男は背筋を伸ばし、まっすぐに言った。
「これは俺たち全員の“戦い”です。
難癖田の土俵? 上等です。
俺たちが、上からラインを描いてやりましょう」