2.好きになれない
ハンナと僕は同じ年に生まれた時から、結ばれることが決まっていた。僕に拒否権はない。ハンナは僕のことを好意的に見てくれているし、優しくて気立ての良いハンナは、僕にはもったない女性だ。
だけど、僕はハンナのことを、どうしても恋愛対象として見てあげられない。あまりにも一緒にいる時間が長すぎて、恋愛感情を抱く前に、仲の良い友達としてしか見られなくなった。人としては、とても好きだし尊敬もしている。ハンナに好意を持っている男性も多い。それなのに、どうしても僕はハンナのことを好きになれないのだ。
もしこの気持ちが周囲にバレてしまったら、どんな仕打ちを受けるか分からない。
父親が怒るのは容易に想像がつくが、学校中の男性を敵に回すことになる。
もしそうなれば、僕はきっと——。
「ハーマス公爵、どうかしたの?」
僕が考え事をしていることに気づいたのか、ハンナはその大きくつぶらな瞳で僕の顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事を」
「そう。公務でちょっと疲れてるんじゃない? あまり無理は禁物よ」
「ありがとう。ハンナは優しいね」
ハンナの優しさが、胸をキリキリと締め上げる。僕は、ハンナに対して失礼なことを考えているというのに。
ハンナのことを、女性として好きになれたらどんなに良かっただろうか。
僕の中で、二十二年間の人生を共にしたハンナより、一ヶ月前に出会ったばかりのルミの存在が、どんどん大きくなっている。自分の気持ちの変化についていけず、辟易する日々を送っていた。
ルミのことをもっと知りたい。近づきたいと思う。
けれど、ハンナが僕の隣にいる限り、僕の身勝手な欲望は叶えられることはない。
大学の講義が行われている間も、僕は悶々としながら教授の話を聞いていた。ほとんど右から左へ、講義の内容が流れていってしまう。これからこの国を担う僕が、こんな体たらくでは周りの学生に示しがつかないと分かっているのに。どうしても、気もそぞろになってしまっていた。
反対に、隣で講義を受けているハンナは、熱心に教授の話を聞いていた。教授の話の一つ一つに頷き、ノートにメモを取る。ハンナの勤勉な姿を見ていると、罪悪感の波に押し流されそうになった。
やがて講義が終わると、ハンナはその爽やかなラベンダー色の髪の毛をくるりと靡かせて僕のほうにパッと振り向いた。
「今日も面白かったわ。ハーマス公爵、次の講義はどちらでしたっけ?」
「ああ、次は空きコマなんだ」
「そうだったわね。じゃあ、残念だけどまた後ほど」
「うん。次の講義も頑張って」
笑顔で手を振るハンナに、僕もぎこちない笑顔で手を振りかえす。今日の講義はほとんど話を聞けていないから、ハンナの言う「おもしろさ」を理解することができなかった。ハンナは僕よりもずっと勉強熱心で、模範生らしい。
去っていくハンナを見送って、鞄の中にノートや筆記用具をしまっていると、後ろから「公爵」という控えめな声が聞こえた。反射的にばっと振り返ると、不安げな瞳を揺らすルミがそこに立っていた。