1.ハンナお嬢様
ブロンズの美しい髪の毛をしたルミと出会ったのは一ヶ月前、十月初めのこと。記憶を失くして不安そうな彼女に学校案内をした日が懐かしい。あれから、一般教養の講義で何度かルミを見かけた。ルミは僕の姿を見かけると、ぱっと花が咲いたように笑ってくれる。でも、いざ隣の席で講義を受けようとすると、他の女子学生がさっと僕たちの間に刷り込んでくるのがいつものパターンだった。
「ハーマス公爵、今日もごきげんよう」
「ああ、お互いに」
僕にとって、名前も知らない生徒からこうした挨拶をされるのは日常茶飯事だ。僕は王位継承者としてこの国のみんなに顔と名前を覚えられている。僕に臆せず話しかける女子たちは、僕が特定の女の子と一緒にいるのを許してくれない。
結局、隣に座ることができないと悟ったルミは、しょんぼりと目を伏せて僕の二つほど後ろの席に座る。あまり近くに来ると、他の女子たちに怒られてしまうと思っているのだろう。僕は別に誰のものでもないのに、交友関係を制限されているようで肩身の狭い思いをさせられていた。
しかし、そんな女性たちの中でも一人だけ、僕の隣にいることを周りから許されている女性がいる。それは——。
「おはようございます、ハーマス公爵」
美しいブルーラベンダーの髪色をした彼女の名は、ハンナという。彼女は正真正銘、王族の分家のお嬢様で、幼い頃から何度も顔を合わせてきた。昔から立ち居振る舞いも華麗で、「ハンナお嬢様」と言えば可憐な香りが漂うかのように、その場がぱっと華やかに染められる。僕はそんなハンナと一緒にいると、正直自分がどうしようもなくつまらない人間に思えてくる。ハンナと比べたら、いくら王族でも僕は取るに足らないちっぽけな存在だって気がして。ハンナの横にいるのが似合うのは、僕ではなく弟のアイルではないかという気さえするのだ。
そんなハンナは——僕の許嫁でもある。
「おはよう、ハンナ」
「今日も隣、失礼しますわね」
ハンナが動くたびに、ラベンダーのような香りがふわりと漂う。周りにいた他の女の子たちも、「ハンナ様が来たのなら仕方がないわね」と僕の横を空ける。ハンナは、レッドカーペットを歩くような堂々とした佇まいで席についた。
「ハンナ、今日も綺麗だね。それと、シャンプー変えた?」
「ええ。よく分かったわね。お気に入りのシャンプーなの」
ハンナが目を細めて笑うと、僕は自然とほっこりとした気分になる。けれど、心の中では後ろにいるルミのことが気になっていた。ルミには、僕たちの会話が聞こえているのだろうか。どうか聞こえていませんように、と心から祈る。