4.ご対面
「ほら、これです。ここに名前と、入学年度と、学部が書いてあるんですよ」
公爵が見せてくれた学生証には、彼の爽やかな顔写真と入学年度、学部が書かれていた。ちなみに彼は医学部だった。
「医学部なんてすごいですね」
「いや、僕は全然。親に言われるがままに入っただけなんです。王位を継承したら、医者になんてなっても意味ないですしね。それに僕より弟の方がずっと成績がいい。同じ医学部でも、こんなに差があるのかってぐらいね」
弟のことを語っている時のハーマス公爵の顔にははっきりと翳りが見えた。私は「そんなことないですよ」と開きかけた口を閉じる。誰にだって、触れてほしくないことがある。それがハーマス公爵にとって弟さんのことならば、関係性の薄い私が今、口を挟むべきではない。
「医学部かあ。私はたぶん、いや絶対に違うだろうな。学生証、財布の中にあるかな」
ゴソゴソと鞄の中から財布を取り出して、中身を探る。
見覚えのない財布を触るのは、何か悪いことをしているようで気が引けた。
「あ、あった!」
顔写真が載った学生証には、しっかりと「ルミ」と名前が記されている。学部はどうやら文学部のようだ。そんなことよりも、そこに映り込んだ顔写真を見て、どくんと心臓が跳ねた。
「え、え、この人って、まさか……」
自分の頬を、口を、鼻を、髪の毛を、ぺたぺたと両手で触っていく。でも当然ながら、触っただけではどんな造りをしているかなんて分からない。
私はばばっと周りを見回して、
「すみません、お手洗いに行ってきます!」
と叫ぶ。
ハーマス公爵は何事かと思ったのか、一瞬目をぱちくりと動かしたが、すぐに「ここからだとA棟のトイレが一番近いです」と教えてくれた。
言われた通りにA棟まで走る。お手洗いは一階の南側に存在していた。用を足すことが目的ではないので、個室には入らず鏡の前で立ち止まった。
鏡の中に映り込んだ自分の姿を見て、やっぱり、と確信する。ブロンズの髪の毛を見た時点で予想はしていた。だが、こんなにも本人そっくりだなんて、本当に夢の中みたいだ。
「あなた、ルミエールね」
私が微笑を浮かべると、鏡の中のルミエールがふふ、と微笑んでいる。不思議な感覚に陥りながら、彼女の頬や耳、鼻、髪の毛を、もう一度よく触った。
現実世界で触れていた自分のものとは、やっぱり少しずつ違っている。私はこの世界で、悪役令嬢のルミエールに転生したのだ。
でも、どうしてルミエールがイーギス国の大学にいるのだろう。
彼女は基本的に隣国スミノンの大学に通っていて、イーギス国に来るのはハーマス公爵に会いに来る時だけだ。こちらの大学に通っているという設定はない。『ルミエールの恋』は完結しているから、私の記憶が間違っていなければ、これは新しい展開である。
「悪役令嬢……私、悪役じゃん」
突きつけられた事実に、私はげんなりとさせられる。どうせなら聖女ハンナになりたかった。ルミエールはハンナの命を狙って断罪される運命にある。私もそうなるのだろうか……?
胸にどっと押し寄せる不安から逃れるように、私はトイレから立ち去った。
この世界が原作と同じように進行するという保証はない。だったら、私は自分が断罪されないようにルミエールと行動を変えていけばいいのだろうけれど、具体的にどうしたらいいの……?