2.やっぱりこれ、転生だよね
「ああ、ようやく分かりました。きみは、まだ夢の中にいるんですね」
「はい?」
まったく噛み合わない会話に辟易とさせられる。まだ夢の中にって、確かにここは夢の中なんでしょう……でもそれを、夢の中の登場人物に指摘されるってどういう状況……ん、待てよ。
「あの……あなたにとっては、ここが現実なんですか?」
「え、もちろん。現実ですよ。きみが大学の中庭で倒れたのを発見したので、医務室に連れてきたんです。ブロンズの髪の毛が綺麗だなって見惚れてる間もなく」
「ブロンズの髪……?」
未だかつて髪の毛を染めたことがない私は、自分の髪の毛をそっとすくって目の前に持ってきた。
「え、ええええ!」
ハーマス公爵の言う通り、視界に映るブロンズ色の髪の毛が、子供の頃に遊んでいた人形の髪の毛を思わせる。
慌てて自分の頬と腕をつねってみると、普通に痛かった。これは一体どういうこと? それに、大学の中庭ってなに? 私はずっと病院にいたんだけど……。
もう何が何やら分からない。目の前の男はよく見るとすごく整った顔をしている。『ルミエールの恋』で悪役令嬢のルミエールが恋した男がこのハーマス公爵だった。彼女は結局、聖女の命を狙ったことで断罪されてしまう。……って、漫画の話じゃなくて、今私の身に起こっていることが何なのか、それを理解しないと——。
「もしかして、転生……」
「いま、なんとおっしゃいました?」
ぐっと私の方に身を寄せる公爵から、薔薇のような香りが漂ってくる。薔薇の香りのシャンプーでも使っているのだろうか。いやいや今はそんなことどうでもいい!
転生——そうだ、今まで病院で、ありとあらゆる転生漫画やアニメを見てきた。
現実では落ちこぼれの主人公が異世界に転生する。異世界ではありえないほど強い力を持っていて、みんなから人気者で——。現実では絶対に手に入れられない力を持って、世界を掌握する。私も、「いつか転生できたらなあ」などと夢を描いたこともあった。本当に単純なんだけれど。
しかし、転生した先で自分が現実世界からやってきたことを誰かに告げるのは良くない気がして、私はハーマス公爵からそっと離れた。
「いや、あの、えっと。すみません! 私、記憶が曖昧になっていたみたいです。夢なのか、倒れた時に頭を打っちゃったのかなあ……あはは」
ひょい、と何事もなかったかのようにベッドから降りると、ハーマス公爵は目を丸くした。
「大丈夫ですか? まだ調子が悪いならもう少し寝ていた方が……」
「いえ、大丈夫です! それより公爵、もし良かったらですけど、この大学の案内をしてくれませんか?」
「え?」
私は、今思いついた作戦を実行すべく彼に尋ねる。もし仮に私がこの世界に転生したとすれば、ここでしばらくは生きていかなくちゃいけない。冷静に受け入れることなんてできないけれど、突きつけられた現実から目を逸らすことはできない。
となれば、まずは身の回りのことを知らなければならない。
咄嗟に考えた妙案だと思ったが、もちろん目の前の男は戸惑ってあたふたと周りを見回していた。
「ああ、そっか。公爵、ですもんね。そんな気軽に一般人の私なんかと——」
「いやいや、そういうわけじゃないんです。本当に、記憶がないんだなあと思って」
そうか。記憶喪失なんて、普通現実で出くわすことなんてないもんね。私だって、未だかつて記憶喪失の人に出会ったことはない。だから彼が戸惑うのも当然のことである。
「そういうことなら、分かりました。私でよければご案内します」
「本当ですか!」
思わず身を乗り出してハーマス公爵の整った美しい鼻に、自分の鼻をぶつけそうになった。
「すみません……つい。よろしくお願いしますっ」
何が何だか分からないのはお互い様なのだけれど、私はたぶん、普通の人よりもこの転生という前代未聞の事件をわりとすぐに受け入れてしまった。
だって、どうせ現実世界にいても楽しいことなんかないんだもん。
現実世界の私の命は、余命一年なのだから——……。