2.願いは一つ
王室にたどり着いたのはそれから三十分後のことだ。
「失礼します」
豪華な装飾のついた扉をノックして、恐る恐る体重を前にかける。ギイ、という重厚な音が響き、扉は開かれた。
「遅かったな、ハーマス」
王座に鎮座する父と、父の前に立つ弟のアイルが僕の方をじろりと見た。僕は咄嗟に目を逸らしたい衝動に駆られる。アイルの目は父親そっくりで、四つの瞳が僕に罪を追及しているように感じられた。
「二人揃ったことだ。単刀直入に言う。ハーマス、お前から王位継承権を剥奪し、アイルを次の国王とする」
「はっ、ありがたきお言葉!」
父の言葉にすぐさま反応したアイルは、恭しく頭を下げる。僕が来る前に、事前にアイルには伝えていたのだろう。僕は、突然の宣言に、呆気にとられたまま父とアイルを交互に見た。
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり何を……!」
事態の把握に追いついていない僕は、とにかく父が発した言葉を瞬時には受け入れることができない。反面、アイルの方はとても冷静で、蔑むような瞳で僕を見ていた。
「仕方ないだろう。ハーマス、お前はよりにもよって隣国の悪名高き女と関係を持ったんだ。ハンナ嬢もご両親も大変ご立腹だ。そんな状況で、お前を次期国王の座に留めておくことはできん。これはけじめなのだ。けじめをとらなければ、我が一族は没落してしまうかもしれない。だからお前が折れるのだ。いいな?」
電話の時とは打って変わって冷静な物言いに、背筋がスーッと冷えていく。
本気だ。父親は本気で、僕を国王の座に就かせないようにしている……。
自分で招いた事態だということは否めない。だが、ルミと一緒にいることがそれほどの大罪なのだろうか。僕たちは互いに惹かれ合い、合意の上で同じ時間を過ごした。確かにハンナには悪いことをしたと思っている。でもそれも、もともとはハンナと自分を政略結婚させようと企んだ父が悪いのではないか——。
胸にむくむくと芽生える父・国王への反抗心を、僕は抑えることができなかった。
「一年……! あと一年、待ってくださいませんか? 僕が、本当に国王に相応しくないのか見極めるのに、一年だけ時間がほしいんです。僕はこれまで、国王から言われてきた通り、習い事も勉強も公務も、次期国王になるために全力で取り組んできました。それを、たった一つの出来事だけで取り上げられるのは、さすがに納得がいきません……! どうか、どうかあと一年だけ……待ってください。お願いします」
最敬礼しながら想いをぶつける僕のことを、父はどんな顔をして見ているのだろう。弟のアイルはたぶん、兄が戯言を言っているようにしか聞こえてないと思う。でも父は……父は、僕の父だ。アイルの父でもあるけれど、僕の正当な言い分を、すべて無視できるほど冷酷な人間ではないことも知っている。
「……」
しばらくの間、王室には沈黙が流れた。アイルは何か言いたげな雰囲気だが、彼なりに空気を読んで、父の言葉を待っている。
僕は心臓を絞られるような心地で、頭を下げたまま父が吐息を吐く音に、じっと耳を澄ませた。
「……ハーマス、顔を上げろ」
父の合図に僕はそっと上体を起こす。王座に座っている父は、至極冷静な表情で僕を見つめていた。
それから、一分、いや二分、三分、とお互いの視線が交差し合う。父が何を考えているのか、僕には皆目見当もつかなかった。
やがて父は、ふううと大きく息を吐いた。僕は逆に、呼吸を止めた。
「……いいだろう。一年、判断を見送らせてやる」
「国王っ!」
先に反応を示したのはアイルの方だった。次期国王の座に就きたいアイルにとっては、一年の猶予はあまりにも長い。反対する気持ちはよく分かる。でも、こちらも引いてはいられない。これまで散々アイルの方が適任だと囁かれてきたが、自分はアイルに負けないぐらいの努力をしてきた自負がある。
「ありがとうございます」
アイルの言葉を無視して、僕はもう一度深々を頭を下げた。
「一年待つなんて、とんでもありません! こいつは、兄は、父の気を削ぐようなことをしたんですっ! そんなやつに猶予なんて与える必要、ないじゃないですかっ!」
アイルの絶叫する声が王室の空気を揺らす。父はそんな彼を見て、またも冷静な表情で口を開いた。
「アイル、お前は何か勘違いしているようだな。私はお前たちを苦しめるために今日この場に呼び出したのではない。どちらが次期国王として相応しいか——ただそれだけを見極めたいのだ。確かに、ハーマスは生まれてからずっと私の言うことに従ってきた。その努力は、私も認めているつもりだ。一年、猶予を与えるだけだ。その間、少しでも自分の職務を放棄しようなどと思えば——すぐにでもアイルを王位継承者に決定する。いいな」
父の強い言葉に、アイルも僕もごくりと息をのんだ。有無を言わさぬ物言いは、さすが我が国の国王としか言いようがない。これ以上どんな意見も聞き入れない。そんな彼の矜持が感じられた。
「失礼……しました」
僕はアイルを残して先に王室を後にする。
重厚な扉を閉めたとたん、身体中からどっとため息が溢れ出した。
ひとまず……今すぐ王位継承権を剥奪される事態は免れた。だが今、首の皮一枚でつながっている状態だ。少しでもボロを出せば、すぐにでも国王の怒りを買いかねない。
「ルミ……」
僕の願いはたった一つ。隣国スミノンの悪役令嬢と蔑まれ、記憶を失ってもなお女の子たちから総攻めに遭うルミと、最後の瞬間まで一緒にいることだ。
……いや、最後だなんて言ったら、ルミに失礼だな。
僕は命の限り、ルミのそばにいたい。
ルミが僕のことを、欲していてくれる限り——。