1.父からの電話
ルミの目が覚めたと聞いて、僕は急いで彼女が入院している病院に向かった。
病室で目にしたルミは心なしか、以前より痩せている。ろくに食事もとれていないだろう。ルミの身体を襲った不幸を思えば、仕方のないことだ。
ルミの口から心臓病を患っており、余命一年と宣告されたと聞いたときはとても驚いた。正直今でも信じられない。嘘であってほしいと願ってしまう。
……でも。
医者の卵である自分には分かってしまう。
ルミの身体が、やはりもう長くはないこと。
そう簡単に奇跡は起こらないこと。
だからこそ、ルミが下す決断を、僕は尊重したいと思った。
ルミが残りの人生を僕のそばで過ごしたいと言ってくれた時、胸は震えるほど熱くなった。
僕も、ルミのそばにいたい。
未来で一緒になることはできなくても、せめて最後の瞬間まで、ルミの頭を僕でいっぱいにしたい。僕は、残酷な願いを抱いているのかもしれない。でも今自分の中で溢れてくる彼女への情動はもう、抑えることができない。
僕たちの間に障害なんてないと言ったのは、そうであってほしいと僕が願ったからだ。
どうかルミが僕の隣で穏やかな最後を迎えられますように。
残酷なほど透き通るような願いが、僕の胸の中に一本の柱をつくった。
ルミのお見舞いに行ってから、三日が過ぎた日のこと。
十一月半ば、大学はまもなく始まる学園祭の準備で賑やかに活気づいている。この時期、男女で歩く学生たちをよく見かける。僕は華やぐ恋人たちを、素直に羨ましいと思った。
僕も、ルミと一緒に学園祭の準備をしたかった。
刹那の願いさえ、神様は僕たちに許してはくれない。
ザク、ザクと落ち葉を踏み締めて構内を歩いていると、不意に携帯が震えた。
誰からだろうと発信主を見ると、「ルキア」と表示されていた。父だ。イーギス国、現国王ルキア。彼の名を知らない者は、もちろんこの国にいない。
胸の中でざわざわとした不吉な予感が広がっていく。
父親からの連絡に、ろくな話はないというのがいつものパターンだ。公務に関することならば電話ではなく直接会って伝えられる。電話をかけてくるということは、何か自分に緊急で言いたいことがあるのだ。
本当は父からの電話に出たくなかった。
だが、ここで出なければ後で会った時に余計に叱責を受けることになる。いくら僕でもそれぐらいのことは分かっているつもりだ。
自分の中で散々葛藤した結果、僕は校舎の物陰へと移動して、恐る恐る通話ボタンに触れた。
「もしもし」
電話に出ると、あちらから荒い息が聞こえてくる。それだけ心臓が縮んでしまいそうな気分になる。ぐっとお腹に力を入れて、父親の出方を待った。
「ハーマス、やっと出たな。お前、今何をしておる!?」
やがて聞こえてきた声は予想通り怒鳴り声で、緊張で身体が凍りついた。
「今ですか? 授業が終わったので構内を歩いていたところですが……」
本当は学園祭の準備に勤しむ学生たちを見て羨ましいと思っていたなどとは口が裂けても言えやしない。父は僕に、大学で勉強以外何もするなと伝えている。学園祭のような行事はおろか、ハンナ以外の女性と交流するのはもちろん禁止だ。僕はずっと、大学にいても父に縛られている——。
「授業が終わったならさっさと帰ってこんかい! お前に言いたいことがあるのだ。帰ってくるまで待てん。今ここで伝えるから、しっかりと耳を開いておけ」
頑固親父のような口調の父は、たぶん今両目を釣り上げて、額に血管を浮かべているだろう。見なくとも分かる。父はカッとなるとすぐに顔にも声にも出てしまうタイプだ。何を言われるのだろうと、僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
「ハーマス、お前は大学で女と一緒にいたそうだな。しかもハンナ譲以外の者とだ。聞くところによると、その女はスミノン国の悪名高き女と言うじゃないかっ! どうしてよりにもよってスミノンの、しかも身分も分からないような女と一緒にいたんだ!」
国王ルキアの怒りは相当なもので、電話越しにでも怒りで全身が熱くなっているのがよく分かる。僕はサアアアっと血の気が引いた。
父親に、ルミのことを知られてしまった。
おそらくイリヤや他の女性たちが密告をしたのだろう。僕がルミと一緒にいるところをよく思っていない人が多いのは分かっていた。いつかは父親の耳に入るということも承知の上だった。それでもルミと一緒にいたかったのは、僕のルミを想う気持ちがそうさせたのである。
「……そうですね。スミノンの悪役令嬢と呼ばれる方と一緒にいました。でも、その方は今昔の記憶を失っています。スミノンで悪事を働いていたという噂がありますが、今の彼女はまったく覚えていないんです。それどころか、彼女は——ルミは、控えめで心優しい、素敵な女性なんです」
ルミに対する一つの気持ちが、僕の心を強くした。こんなふうに父親に反抗したのは初めてだった。自分について悪く言われるのは慣れている。だが、ルミのことまでそういうふうに言われるのは我慢がならない。
電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。僕の言葉に納得してくれたのか——そう思った矢先、自分の考えがあまりにも浅はかだということがすぐに分かった。
「お前……自分が何を言っとるのか分かっておるのか!? もういい! 今すぐ王室へ来いっ! アイルにも召集をかける! いいか、今すぐだぞ!?」
血管がはち切れんばかりの勢いで叫んだかと思うと、こちらの返答を聞く間もなく電話を切ってしまう父。さすがの僕も、これにはしばらく呆けたように身体が動かなかった。
王室に来いという国王の命令は絶対だ。行かなければ、それこそどんな目に遭うか分からない。
僕はしばし考えた後、結局王室への道を急ぐことにした。