4.障害は何もない
「心臓の病気……そうだったんですね。それに、余命だって……」
病気、というところだけでも彼に衝撃を与えるには十分だっただろうに、余命のことまで知らせてしまったので、さぞ困惑しているだろう。
「はい。心臓病は幼い頃から患っていました。私、趣味が読書ぐらいだって言ったじゃないですか。あれは、入院生活が長かったせいなんです。学校に行ける期間もありましたが、もちろん外で元気に走り回るなんてできなくて。スポーツは全然ダメなので、自分一人で完結する趣味しかないんですよね」
自重気味に笑いながら話していると、なんだか自分の存在価値がわからなくなってきた。
私は確かに、昔から病気のことで不自由な思いをしてきたけれど、卑屈になっていたことはない。生まれ持った身体が最初から欠陥品だったからだろうか。健康な身体を知らないからだろうか。ずっと、この身体を付き合ってきたからこそ、「健康だったらああしたい、こうしたい」という願望が頭に浮かんで来なかった。
でも今は——ちょっと違う気持ちに襲われている。
この世界に来て公爵と出会って、私は彼と長い時間を過ごしたいと思っている。身分的に無理のあることだし、私なんかが……という思いはもちろん消えない。だがそれ以上に、心が叫んでいるのだ。
私は、公爵のそばで笑っていたいと——。
「ルミは……いろんなものと、闘っていたんですね」
公爵の口から紡がれる言葉に、私ははっとさせられた。
闘っている——今まで自分のことをそういうふうに捉えたことはなかった。運命を受け入れるしかないと、諦めていたのだ。でも公爵はそんな私に、温かな言葉をくれる。
「今まで辛かったでしょう。これからも、僕には想像できないくらい辛いことがあると思います。すみません。通り一辺倒なことしか言えなくて。僕は……ルミと、できるだけ長く一緒にいたい、です」
「公爵……。私も、公爵のそばにいたい。生きたい、んです。一年じゃなくて、もっと長く生きたい。でももしそれが無理なら、せめて残された時間を、公爵のために使いたい。それは、難しいことでしょうか?」
分かっている。無理だ、そんなことは。
公爵の貴重な時間の大半を、私のために割いてもらうなんて烏滸がましいことだ。
公爵はイーギス国の未来を背負っている。公務だって学業だってすべて全力でやらなければならないのだ。そんな彼に無茶なお願いをする自分が憎たらしい——。
……けれど、それが私の本音だった。
「いいえ。決して難しいことではありません。言ったでしょう? 僕もルミと多くの時間を過ごしたいと思っているんですから。障害は何もない。そう思いませんか?」
「障害は、何もない」
きっぱりとそう言い切るハーマス公爵が、私にはとても尊い神様のように映った。
「ええ。僕とルミが同じ気持ちでいる限り、僕たちの仲を引き裂くことは誰にもできません。たとえ学校中の女の子たちが反対しても、僕が戦います」
「ふふ、なんですかそれ。学校中の女の子にモテモテなんですね、公爵は」
自信満々にモテ自慢をする公爵をちょっと揶揄いたくて、私は場違いに茶々を入れた。
「な……! ルミも見ているでしょう。僕が授業を受けようとしたら女の子たちがやって来ていつも困ってるんです」
「そうでしたね。今度一緒に授業を受けるときは、私が隣に座りたいです」
「もちろん。そうしましょう」
隣の席に座ろうなんて、平和な会話で盛り上がる自分が嘘のようだった。
それから公爵と他愛もない話をしたあと、「ルミの身体に負担がかかるから」と、一時間ほどして彼は帰っていった。
公爵が、私のことをこんなに気にかけてくれていたなんて……。
あまりに感動して、公爵が帰ったあともしばらく余韻に浸っていた。
やがてルクシア医師と約束をした時間になり、先生が病室にやってくる。
「ご気分はいかがですか、ルミさん」
ルクシア医師は柔らかい口調で私にそう尋ねる。私はゆっくりと首を縦に振って、
「特に変わりありません」
と答えた。
「そうですか。それでは、今から少し今後の治療について話をしましょう」
昨日ルクシア医師にまた治療について話そうと言われてから、一日だけだったけれど、いろんなことを考えた。夜は考えすぎて眠れなくて、結局答えは出なくて。でも、今の私は違っていた。お見舞いに来てくれた公爵の顔を浮かべる。私は、最後まで公爵の隣で笑っていられる未来を生きたい——。
「先生、私は——」
今日、考えたことをその場でルクシア医師にぶつける。彼は終始まっすぐな瞳を私に向けて、最後まで真剣に私の言葉を聞いてくれた。
「……分かりました。それがあなたの意思だというなら尊重します」
「ありがとうございます」
ともすれば身勝手ともとれる私の考えを、先生は否定せず、ただ受け入れてくれた。
深々と頭を下げる私に、ルクシア医師は何を思っただろう。
「私はあなたの命を、決して諦めません。最後まで全力で頑張りましょう」
「はい」
医師としての覚悟をもった言葉が、私の胸にじんと響く。
この世界に生まれ変わって良かった。
心の底からそう思えた瞬間だった。