第四話【人間だぞ】
「……絶対おかしい。なんか間違えた。どこで間違えた……?」
土曜日。また、学校裏の雑木林へと足を運んでいた。目的は……なんだろう。目の前のこれ……だろうか。
「オイ。早くこっちにくれ。ひとりでやってばっかりはずるいぞ」
今、俺の目の前には狸がいる。一昨日に偶然見つけてしまった、二足歩行して、言葉を話す、まるまる太った狸だ。狸……だよな?
そいつがこっちを見て……明確に興味関心をこちらへ向けて、手に持ってるボールを寄こせと催促している。この状況、絶対に何かがおかしい。
「……お前、狸だよな。なんで喋ってんだよ」
おかしい存在に対して、どうしてそうもおかしいんだと問いかけることしか出来ない。
困ったことに、目の前の謎生物を説明する言葉も、模範解答も、学校じゃ教えて貰えてない。
「おいらは狸じゃねえ! おいらは人間だ! おっ、おっ……おおっ! うしゃしゃっ!」
狸じゃない、人間だ……か。そうのたまう目の前の毛だるまは、転がしてやったボールに飛びかかって、泥だらけになりながら転げている。それは人間の行動ではないし、もしかしたら狸としても珍しいかもしれない。
「どこからどう見ても人間じゃないだろ……はあ。なんで……なんで俺はこんなのにわざわざ……」
狸の鳴き声は知らない。ただ、こいつは人間みたいに笑っていた。わんわんでもにゃーでもなく、うしゃしゃ。と、言葉を介して。ちょっとキモ…………個性的な笑い声だ。
これと関わるメリットはまるで存在しない。まったくと言い切っても問題ないくらい。
それでも俺は、どうしてかこんなのと遊ぶ為のボールまでもって、休みにもかかわらず、こんなところまで足を運んでしまっている。これはどうしてなんだろう。
「……お前、本当になんなんだ。人間だって言うなら、それなりの証拠を出せ、証拠を。人間社会じゃ、言葉で主張するだけじゃ通らないことばっかりだぞ」
それってあなたの感想ですよね……なんて、あんま追い詰めるつもりもないけど。でも、この毛むくじゃらの野生動物を人間と呼ぶのは、いくらなんでもはばかられる。
ちょっとした意地悪半分、本気で正体を知りたいのが半分。どっちにもまだ振り切れてない感情で、なんの気なしに投げつけた問いだった。それでも、狸は困った顔で首を傾げてしまった。
「しょ、しょうこ……か。わかる、わかるぞ。おいらは人間だからな、しょうこ……わかる……」
困らせちゃったかな。と、少しだけ申し訳なくなったのも束の間。どうやらこいつは、言葉を介してはいても、そのすべてを……人間と同じだけの語彙を持っているわけではない……ようだ。いや、そりゃそうだけど……
「えっとな……お前が人間だって思う理由……お前の人間らしいところを見せてみろ……ってことだ。まあ……喋ってる時点でそれなりにキモい……不自然ではあるんだけど。でも、それだけじゃ人間とは認められないな」
俺が認めたら人間かと、そういう話でもないんだけどな。でも、今のところは俺しかこいつを見てない……筈だから。
だって狸って普通に害獣だし、喋ってようが喋っていまいが、この田舎社会では、人里に現れた時点で捕獲されてるだろう。
「人間らしいところ……なるほど、それがしょうこか。そんなの簡単だぞ。おいらに付いてこい」
「付いてこい……って。おい、どこ行くんだよ」
しょうこだ。と、そいつは楽しそうに繰り返しながら、雑木林の奥へ奥へと向かった。俺がちゃんと付いてきてるかと、度々こっちを振り返りながら。
「……なんかあんのか……? これ以外に、もっと変なとこが」
正直なところ、喋ってる時点で狸じゃないことはたしかなんだ。証拠を出せってのは、結局はただのいちゃもんに過ぎない。
でも、こいつはそんなこともわかってない……知らないから、そうすれば人間として認められるとでも思って、嬉々として俺をどこかへ案内しようとしている。
なんか、ちょっとだけ……ほんのわずかだけ、罪悪感みたいなものが……
しばらく林を進んで、昔に友達と一緒に探検したよりももっと深くまで潜って、そうして狸はこっちを振り返った。どこかしたり顔に見えるけど、どういった感情なんだろうか。
「ちょっと待ってろ、すぐに見せてやる。うしし」
待ってろ。と、ベンチも何も無い場所に放置して、狸はひときわ大きい木の、その“うろ”に飛び込んだ。そんなところに住む人間がいるか……と、この時点でもう反証が……
「……ここ、こんな風になってたんだ」
さてと。そんな狸の動向よりも、もっと気にかかることが目の前にいくつも転がっている。
この山は……と言うか、この学校は、この辺の子供にとっては馴染み深い遊び場だ。
小学校と中学校が隣同士になっていて、そのどちらからでもこの雑木林へ入り込める。一応、入ってはいけませんとは言われてるけど。
虫取りをするにも、川へ入るにも、ただ走り回るにも、この場所はうってつけなんだ。だから、学校側から入って、反対側へ抜けるくらいは誰だって出来る。そうなるくらいみんなここで遊んでるんだ。なのに……
今、座っているこの大きな切り株。こんなものがあれば、間違いなく全員が机代わりに使っただろう。しかし、そんな記憶は一切存在しない。
この場所、この近辺は、どうにもまったく見覚えがないんだ。
まあ……そう大きな林じゃないって言ったって、林は林。視界は悪いし、そもそも似た景色が繰り返されてる。
だから、子供じゃ辿り着けない場所なんだろう……と、そうしても良いんだけど……
「……ここまで、一瞬も迷わなかったもんな。変なとこも通ってないし……」
しかし、ここへ辿り着くまでの道には見覚えがあった。こっちには行ったことないって、一瞬の不信感も無いまま着いたんだ。
それが不思議で……なのに、恐怖や不安は感じないことが、逆に懸念を深めている。ここは本当にあの林の一部なんだろうか……って。
「――オイ! こっちだ! 見せてやる! こっちだぞ!」
というか、ここからちゃんと帰れるのか……? って、別の不安を考え始めたところで、またあの狸の声が聞こえた。オイ。オイ。と、ちょっとうわずった声で、何回も俺を呼んでいる。
「見せてやるって、何を見せてくれるんだ。人間っぽいところ、本当にあるのか? 今のところは、マジで珍しいだけの狸だけど」
「だから、おいらは狸じゃねえって! うしし、見てろ見てろ。これが出来るのは、人間だけだからな」
人間にしか出来ないこと……か。まあ、それを見せられたら流石に納得せざるを得ない……かもしれない。少なくとも、人間が何かの罰で狸にされてしまったんだな……とか、そういう方向で。
期待はしてなかった。でも、それなりに楽しみではあった。そもそもが喋る狸だ、もっと変なとこがあっても不思議じゃない。
だから、一応はわくわくしてそいつの行動を見てたんだ。そしたら……
「……はあ? それ……お前……いや、そうか……」
狸はあろうことか、ライターを両手で持って現れた。なるほど……まあ、それを使うのは人間だけ……かもしれないけどさ……
「火を使うのは人間だけだ! そうだろ! そう言ってたんだ! 人間が!」
「……そう言ってた……? 人間が……人間が⁇」
そうだぞ。と、狸はライターを岩のくぼみに押し当てて、上手く固定したまま火を点けてみせた。
その姿は……姿勢とか、付け方とか、そもそもの目的とか、諸々を含めたその姿は、あんまり人間っぽくはなかった。でも……それを獣がやる姿は、間違いなく見たことがない。
でも……そこでまた、狸の言葉が引っかかった。人間が、火を使うのは人間だけだと言っていた……って。
じゃあ、この狸は人間だったわけじゃない……何かの間違いで狸になった、元人間ってわけじゃないことになる。
こいつは……人間を見て、人間になろうとして、人間の真似をしている……?
「おっ。おっ! オイ! 仲間が帰ったぞ! これも人間のしょうこになるだろ! 群れじゃないぞ! 仲間だ! 人間は、仲間を作るんだ!」
狸はそう言うと、ライターなんてほったらかしで俺の後ろを指差した。いや、指一本だけなんて器用なことは出来てないけど。でも、人間が指を差してるのと変わらないことをやっているように思えた。
そして、その先を追うようにゆっくり振り返ると、そこには……
「……おいおい……」
「オイ! みんな! 新しい仲間だぞ! 一緒にベースボールをしたんだ! うしゃしゃ!」
狸……じゃない。仲間だって狸が指差した先には、狸じゃない動物が沢山……いや、違う。
コイツの言葉を使うんなら、そしてその仲間の様子をちゃんと理解したなら、こう言うべきなんだろう。
大勢の人間が――姿は獣でも、人間みたいな振る舞いをする生き物が、俺と狸を交互に見て首を傾げていた。