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01「きみの妹は、もう、この世にいない」


 辺境の修道院にいるオリヴィアのもとへ、かつての婚約者がはるばるやってきた。


 つい先日、まるで前世で読んだWeb小説みたいに、婚約破棄を言い渡してきたはずの男が。


 隣に、誰も、連れずに。


『オリヴィア・ヴィルスティリア伯爵令嬢――きみとの婚約を破棄する』


 そう、堂々と言いのけたのと同じ唇で、今日の彼はこんなことを言うのだ。



「――帰ってこい、オリヴィア」



 オリヴィアは、思わず冷笑する。


 今さら、いったい何を言うのかと。

 あなたは、わたくしの妹と幸せになるのでしょう? と。


 しかし彼は、苦しげな顔をしてオリヴィアを抱きしめ、こう続けた。


「いい加減、目を覚ましてくれ、オリヴィア」と。


 そして、


「きみの妹は、もう、この世にいないじゃないか」


 と。


「…………えっ?」


 きょとんとする彼女を、彼はさらにきつく抱きしめる。


「あのな――」


 彼の胸は温かいのに、オリヴィアの指先はみるみるうちに冷えていった。


 ――レイラが、いない?

 レイラがいない。

 いない、いない。

 れいらが、死、……――


 ひゅっ、と、オリヴィアの喉が変に鳴った。


「……?」


 かつての婚約者は、恐る恐るという様子で顔を上げ、目を見開く。


 金のまつげに縁どられた蒼の瞳は、深い悲しみの色も帯びているようだった。


(あぁ、レイラが恋しいのかしら)

 オリヴィアは一瞬のうちに、自然と思う。


(わたくしも、あの子に、会いたいわ……)

 男の瞳の中に、可愛い可愛いレイラの姿を見る。


 もしかすると、彼女と半分おなじ血をひく、自分の顔と見間違えたのかもしれないけれど。


(わたくしのレイラ、レイラ、れいら、れいら……!)


「ッ! おい、しっかりしろ、オリヴィ――」


 それが、彼女の目に見えた、最後。


 なぜか〝前世の死〟の記憶がフラッシュバックして、オリヴィアの意識はぷつんと途切れる。


 迫るトラック。

 車の光。

 誰かの、声。


 ――れいらが、死んだ?

 れいら、は、死んでしまったの……?

 わたくしの、れいら、が?




 オリヴィア・ヴィルスティリアは、その日、最愛の妹の死を知らされた。


 そして、忘れた。


 自分の死因という、前世の最後の記憶と一緒に。




【 泥棒猫の姉令嬢は

  ワガママ異母妹の泣き顔が見たい 】




(――あなたが幸せに生きていてくれるなら、もう二度と会えなくなっても構わない)


 そう心に決めて、あの夜、オリヴィアは王宮に向かった。


 大広間の真ん中で、それは予定通りに始まる。


「オリヴィア・ヴィルスティリア伯爵令嬢――きみとの婚約を破棄する」


 なんだか妙に切なげな顔で、しかし口ぶりは堂々と、婚約者であるハロルド王太子は言った。


 彼の隣には、オリヴィアの異母妹、レイラ・ヴィルスティリア伯爵令嬢がにこにこ笑顔でくっついている。


 今宵、ここで催されているのは、貴族学院の卒業パーティー。

 オリヴィアも、レイラも、ハロルドも、みんな同学年の卒業生だ。


 絢爛豪華な大広間はキラキラと、乙女ゲームの場面絵で見た背景とそっくりの姿をしている。


 ゲームの吹き出しでは(ざわ……ざわ……)などと表された人々のざわめきも、数種類の差分しかない立ち絵よりも豊かに動くハロルドの表情のおかしさも、オリヴィアには些事だった。


 パーティードレスを纏ってお洒落した、とびきり可愛い妹が目の前にいるからだ。


(ああ、うちのレイラったら、なんて可愛らしいのでしょう……!)


 婚約破棄の展開にも、その先の断罪にも驚きはなく。


 オリヴィアは、こうなることを、もう何年も前から知っていた。


 彼女にとって大事なのは、ゲームの中で何度も何度も何度も見た婚約破棄からの断罪シーンなどではなく、エンディングを迎えたら二度と会えなくなる妹の姿を目に焼き付けておくことだった。



 オリヴィア・ヴィルスティリアには、日本という国で生きた前世の記憶がある。


 彼女の記憶によれば、ここは、前世でやり込んでいた乙女ゲームの中の世界。

 自分はヒロインの恋路を邪魔して虐める〝悪役令嬢〟で、ヒロインはその異母妹であった。


 ゲーム画面の中で見た通りの台詞をぺらぺらと言いながら、オリヴィアは、とにかく可愛い妹に見惚れ続ける。


 オリヴィアの髪とよく似たチョコレートブラウンのふんわりした髪も、オリヴィアの瞳とぜんぜん違う明るいスカイブルーの瞳も、何もかもが可愛くて愛おしくてたまらない。


 自らの悪事を糾弾される場にありながら、オリヴィアは、乙女ゲームの舞台となった学院時代のことを――悪役令嬢とヒロインとして妹と過ごした日々をしみじみと思い返す。


 レイラ。校舎裏で「泥棒猫」と罵ってやった時の悔しそうな泣き顔も、とても可愛かった。レイラ。

 畏れ多くも姉の婚約者であるハロルドとお忍びでデートに出かけ、傲慢にも幸せそうにした時の顔も。

 その日、街中で愛を告白され、わざとらしく嬉し泣きした顔も。可愛いレイラ。レイラ。


「――可愛い妹の泣き顔を見るのが、わたくしの幸福でしたの」


 そう、悪役令嬢の見せ場の台詞を口にした時。


 オリヴィアは、なぜかチクリと頭痛をおぼえた。


(妹の泣き顔? 泣き顔を見る? あら?)


 何かが心に引っかかったらしいのだが、わからない。


 ハロルドが言い返してきている声を右から左に流して、ひとつ深呼吸。


 さあ、いよいよフィナーレだ。


「最後に、ひと言だけ、許して頂戴――レイラ」


 オリヴィアの紫水晶の瞳は、もう、婚約者だった男へは向かない。


 いや、きっと、最初から、あるいはあの日から、彼女は一度も彼を見ていなかった。


 ふわふわのチョコレートブラウンの髪。

 きらきらと眩しいスカイブルーの瞳。

 半分おなじ血の可愛い子。


(あぁ、レイラ、レイラ)


 これで、悪役令嬢とヒロインは、お別れ……――


「大好きよ」


 オリヴィアはにっこりと笑って、卒業パーティーの会場を後にする。


 愛しい妹レイラの姿は、この目にしかと焼き付けた。


 悔いはない。


(幸せになってね、レイラ)


 こうしてゲームのクライマックスである婚約破棄イベントは終わって、悪役令嬢オリヴィアは辺境の修道院行きとなり、表舞台から退場――。


 あとは主人公レイラが攻略対象者と結ばれて、めでたしめでたしハッピーエンド、の、はずだったのに。



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