本当にやりたいこと
小説を書くためにはモチベーションが大切ですよね。
そしてモチベーションを保つために大変都合がいいのが、『小説を書くこと』が『自分が本当にやりたいこと』であることです!
一見当たり前のように感じますが、意外とそうでもありません。
「小説を書きたいから書いているに決まっている!」そのような声が聞こえてきそうです。でも、『小説を書くこと』もしくは『小説家になること』に憧れがあるとして、それが本当に自分がやりたいことなのか、自分自身がわかっていないことがあるのです。
私もちょくちょくそれで自分自身に惑わされました。一時は『翻訳家になりたい!』と思っていた時期があったのですが、英語の翻訳をどうしてもしたいというわけではなく、勉強に身が入らず挫折。単に翻訳家像に憧れていただけだったのです。その他にも〇〇になりたい、△△の仕事についてみたい。そう思っても、そこにたどり着く工程に全く身が入らず挫折。
それ故に、今自分が目指しているものが本当にやりたいことなのか診断する必要があるのです。
その方法として自分がよく考えるのが、工程を楽しんでいるのか、結果を望んでいるのか。それを分析することです。
例を出すと『富士山の頂上に立つこと』を夢見るとして、その夢が『山登りが好きで、登山道をたどって一歩ずつ踏みしめ頂上に辿り着きたい』のか、『ヘリコプターか何らかの方法で運んでもらってとにかく頂上に立ちたい』のかという違いです。前者が過程を楽しみ、後者が結果を望んでいます。
別にどちらが悪いと言うわけではありません。後者のようにどのような手を使ってでも頂上に立ちたいと思うこともいいですよね。もしくは、富士山頂から景色を眺めてみたいというのも素敵な願いですよね。これは良し悪しではなく、モチベーションを保つのがどちらが楽かという話です。
基本的には殆どの人は富士山頂に登るには自分の足で登るしかありません。(途中まで来るまで行けるそうですが)。そうなると、前者のように工程を楽しんでいる人にとっては、登山自体が楽しいので、途中辛いことがあってもやり続けようと思えます。何度か失敗しようとも再挑戦しようと思えます。そうであれば山頂まで辿り着ける可能性が高いです。
しかし、後者のように山頂に立ってみたいだけですと、登山という工程が苦痛で苦痛でしかたありません。それでも稀にたどり着ける人、または何らかの方法でたどり着ける人はいることでしょう。諦める必要はありません。それでも登山好きな人に比べたら大変です。
この話を小説に当てはめてみます。
『小説家』という職業に漠然と憧れて、小説家になるために小説を書く。もしくは、『一攫千金を夢見て小説を書くぞ!』と筆をとる。これらは後者(富士山頂にヘリコプターコース)と同じタイプと言えます。このタイプだと、小説を書くこと自体には強く惹かれているわけではないので、道のりがとても険しく感じ、目標を達成することがとても大変に感じることでしょう。
対して前者のタイプですと、小説を書くこと自体が楽しいので、『プロになかなかなれない』だとか、『書籍化しない』だとかのような結果が伴わなかったとしても、書き続けることに対してはなんの問題もないのです。現実問題としては時間が取れなかったり、夢が実現しないことの落胆によって筆をおいてしまう時があるかもしれませんが、小説を書きたいという欲望が消えない限り、やがてまたきっと筆をとるのです。登山家になれなくても趣味で山を登って、いつの日か富士山に登頂するように。
『小説を書くこと』が『自分が本当にやりたいこと』であるのであれば、モチベーションを保つのがとても楽です。自分の書きたい欲求に従って書き続ければいいだけなのです。
『小説を書くこと』が『自分が本当にやりたいこと』ではなかった場合、そしてそれでも小説家になることを諦めきれない場合、戦法を錬る必要があると思います。例えば、小説を何度も書いてみて、その楽しさを見つける。小説を書いていて楽しいと自分に思い込ませる。もしくは、完全に仕事扱いして、システム的に作業する。そんな自分にあった方法を確立できるといいのだと思います。
偉そうに持論をダラダラと書き連ねましたが、自分のタイプを診断し、今やっている作業を別の視点で見てみたら、もしかしたら新しい発見があるかもしれません。苦痛を感じていた工程を変えられるかもしれません。そんなふうに、このエッセイを読んでくださった方のうちの一人にとっての一助になりましたら幸いです。
読んで下さりありがとうございます。
『異世界転生 檻の中』もあわせて読んでいただけたら嬉しいです。