3-2 TS娘と身体の欲求
ようやく三等級のワーカーになれるかも、なんて考えだしたころ。
私ははじめて女を買った。
正確には、そのしばらく前からそうするつもりはあったし、お金の方もかなりの余裕はできていたのだが。身体としては同性な私の相手をしてくれる商売女が見つからず、相手探しに苦労していたのだ。
お金を多めに積めば女同士でもオッケーしてくれる商売女は実はそれなりにいるのだが、当時はそんな交渉術も知らず、断られては肩を落とす日々だった。
はじめて私の相手をしてくれた人は、私よりだいぶ年上の人だった。
体を売るお仕事としては、引退も近づいているような年齢であったのだろうと思う。
私の肉体的な欲求は、やはり男性のそれを受け入れることを望んでいる。
だけど元々男だった自分の理性は、男に抱かれることに強い忌避感を覚えてしまうから。
男性の象徴は持たないにせよ、テクニックのある女性に相手をしてもらえることは、かなり気を紛らすのに役立った。
特に女性のその柔らかい体を抱き締めていると、性的な満足感というよりも安心感というか、気持ちが落ち着いてリラックスできるのが一番ありがたい部分だった。
その商売女にはかなり頻繁にお相手頂き、3ヶ月ほども過ぎたころには、すっかり友人のように心を許すようになっていた。
何度か金銭のやり取り抜きに食事にも行った。
夜のお勤めをこなしてもらった後には、のんびりと二人で飲み物を楽しみながらくだらない話もできるような、気のおけない関係になっていると思っていた。
だけど彼女は、急に私の前から消えた。
ちょうど、私が三等級に昇格できたころのことだった。
彼女と一晩過ごし朝に目を覚ますと、そのベッドにはもう彼女の姿はなかった。
そしてTSの治療を目指してコツコツ貯めていた私の貯金の入った大きな袋が、どこかへごっそりと消えていて。
むき出しで置いていた財布の中にあった多少の生活費には手をつけないでくれたのは、彼女なりの私への情けだったのかもしれない。
それだけならまだ良かったのだが。
三等級に昇格した私に与えられた最初の大仕事が、その女を捕まえることだった。
私以外にも被害者が出ていたらしく、庇う余地などどこにもなかった。
指名手配のようになったその女を見つけ出すと、その片足の腱を私は泣きながら切り裂き、引きずるようにしてハロワへ連行した。
彼女もまた狂ったように泣きながら、私に見逃してくれと叫んだ。
命が惜しいのはわかるけれど、だったら罪を犯さなければ良かっただけのことだ。
たぶん何か事情くらいはあったのだろう。だけど私は彼女を見逃すことも、言い訳を聞くことすらもしなかった。
盗られたお金が返ってくることはなかった。
彼女が何のためにそこまでお金を求めていたのかもわからないし、何に使ったのかは聞きたくもなかった。
たまに、その頃の夢を見ることがある。
彼女を見逃し、見つけられなかったとハロワに嘘をつく夢だ。
そうしていれば、多少なり愛しさを感じていた相手だったはずの彼女は、裁きを受けずに生きていくことができたかもしれない。
どうせそれ以上に自分が奪われるものなんてなかったくせに。
自分がなぜ彼女に容赦をしなかったのか、未だに自分でもわからないでいる。
ただそれ以来の私は、愛しあい恋人となって心を許しきった相手の前以外では、ゆっくりと眠ることもできなくなってしまった。
そして三等級から今の二等級に昇格するまでの間、私はとても数えきれないくらい、たくさんの人間を殺してきた。
誰かに求められるまま、誰かを殺す。
それが、誰かに求められるまま誰かに抱かれてお金を稼ぐ商売女たちよりも高尚な営みだなんてふうには、自分でも到底思えないのに。
故郷で生き別れた幼なじみのハジメと二人で、ワーカーとして大物になろうと約束したことが、ずっとぼんやりと自分の頭にあったからだろうか。
ひたすらに人殺しの仕事をこなし続けているうちに、いつの間やら二等級だ。
あの頃ハジメと二人で目指していた自分の姿と、今の自分の姿を比べてしまうと、情けなくて泣き出してしまいそうになる。
◇-◇-◇-◇-◇
軽い頭痛がした。
女の体にだって、賢者モードというものはある。
例えば今もそうだ。
「……あれ、ハルさんもう起きてたんですか?」
まだ薄暗い私の部屋の中。
なるべく静かに動いていたつもりだったけど、昨晩私のお相手を務めてくれた商売女は目を覚ましてしまったようだ。
正直、あまり満足はできなかった。
今になって思えば、あまり見た目もタイプではなかったし。
女同士という意味でのテクニックも、全くからっきしなようだった。
足りない。お腹の奥がまだ苦しいくらいに、不満を強く訴え続けている。
肌と肌のふれあいは、確かに私の心を慰めてはくれた。
だけど払ったお金の額にそれだけで見合うかと言えば、また別の問題だ。
「……おはよう。ごめん、起こしちゃったみたいだね」
私はその商売女の方をなるべく見ないようにしながら、彼女のそれよりもちょっと控えめなサイズの自分の胸に、薄く長い布を巻き付けていく。
自分が男の体のままだったのであればこんな無駄な時間は必要なかったのだろうと、毎日暗い気持ちになる作業だ。
特に今日は生理が近づき、その胸もなんだか少し張っていて、さらしを強く締めると痛みも感じていた。
邪魔なだけの胸なんて、いっそ自分で切り落としてしまいたいとすら考えたこともある。
「今日もお仕事なんですか?」
ベッドから起き上がった商売女は、私が並べた装備をぼんやりと眺めているようだった。
「まあ……少しは稼ぎたいしね」
私はそう答えながらも、もう今日はハロワには行かないと決めている。
身体の疼きは全然収まっていないし、横にこの商売女がいたことで一晩ずっと眠ることもできなくて、ひどい頭痛も続いていた。
自分でお金を払ってまでお願いしておきながら、こうして翌朝にはそのことをもう後悔し始めている。
私は馬鹿だ、本当に。
せめて最低限のマナーとして、シーツにくるまったままの彼女の前に、飲み水を入れた金属製のカップだけは出しておいた。
仕事はお休みと決め込んでいるくせに、最低限とはいえ防具を身につけているのはただの習慣だ。
いつ自分の命が狙われたとしても、最低限の応戦はできるように備えている。
人の命を奪うこともあるハロワのワーカーは、ある種の人間にとっては憎しみの対象でもあるのだから。
「それ、重くないんですか?」
商売女がそう聞いてきたのは、私が肌着の上から着こんだ長袖の鎖帷子のことだろうか。
崩壊前の文明で使われていたという、異様に軽い金属を加工した特殊な逸品だから、さほどの重量でもないのだが。
自分の商売道具のことを、あまりあれこれ話すわけにもいかない。
もし私を殺そうとするやつがいるとすれば、そいつにとっては非常に重要な情報になりえてしまう。
「まあ、慣れたもんだよ。……悪いけど、そろそろ支度をはじめてもらえるかな。準備ができたら出発するから」
まあつまり、早く帰ってくれ、と言っているわけだが。
商売女も特に文句は言わず、床に落ちていた自分の下着を身につけていってくれた。
ひどい頭痛で軽く目眩がする。
私は鎖帷子の上に、使い古して薄汚れてきた服を身につけ、深くため息を漏らした。
自分がお金を出してまで抱かせてもらっておきながら本当に申し訳ない話だけれど、ちょっと今日はもうあまり余裕がない。